溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

いつも文章を読んでくれている方へのお知らせ。

こんにちは。

いつも僕の書いている文章を読んでいただき本当にありがとうございます。

 

「いつも読んでるよ」

「読者だよ」

 

と、言ってもらることがあり本当に嬉しい限りです。

さて、今回のお知らせというのが今日からしばらく"オフライン生活"をしようと思っています。

要はネットを使わない生活です。

 

期間などは決めず、しかも絶対にネット禁止というわけでもなく、週一くらいは見る時間を作ってもいいかと思っているくらいの試行運転です。

 

一応このブログに毎日「詩的な日記小説」とうたって書き続けていたので、急に更新が途絶えると心配される方もいるかもしれないと思い書き残している次第です。

 

読んでてよくわからなかったという人のためにここで簡単な説明を。

ここで書いていたことは人の中で流れる意識についての記録であると思っていて、衝動的な動きや突飛な記憶、奥深くで眠っている感情、ループする思考回路からの逃げ道などを発見するといった、様々な出来事が絡み合って浮かび上がる文字をただ永遠と追いかけて書き記している物です。

 

なぜこうやって書くことが僕にとって必要なのかはよく分かりません。

ただそうやって自分の空間を何かしら生み出し、日常的にある苦しみのようなもの(それらは無意識に追いやられているものかもしれませんが)を昇華しようとしているのかもしれません。

 

結局僕自身は書かずにはいられないので、オフラインの状態で精度を高めて書けたらいいなと考えています。

 

今はもうすでに別の空間で書き始めていて、小説としてなのか、エッセイなのか、詩集なのか何か分かりませんがとにかく作品として作り続けて、それらを改めて読んでもらえる機会が作れたら嬉しいなとも思っています。

 

というわけでオフライン生活の始まりです。

いってきまーす。

 

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ちなみにこのブログはお知らせなのか、1週間であったことの日記としてなのか、気が変わってこれまでと同様にまた書くのか分かりませんが何かしら使おうかと検討中です。

 

どうぞ宜しくお願いします。

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溝井孝司(Koji Mizoi)

連絡先:mizokoji@gmail.com

Twitterhttps://twitter.com/kojimizoi

Instagramhttps://www.instagram.com/kojimizoi/

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20180120

残像

 まだ残っている。まだ残っている。残像が残っている。あの映像が、あの光が残っている。適当なことを言っている。見た目がどうだとか、身なりがどうだとかそんなことを言っている。そんなことはどうだっていい。どうでもいいことだ。そんなことはなんの利益にもならない。それらが交錯する。それらが時間の上に乗って、秩序通り行儀よく並んでいる。整列している。体育館に、まだ肌寒い体育館に半袖半ズボン、体操服姿で並んでいる。早く体を動かさなくてはいけない。早く動かさなくては体が冷え切ってしまう。そうこうしている内に足元の氷結に穴が空きそのまま水の中へ流れ込んで声も出なくなった。寒いはずだった。あまりの冷たさに声を失って、悲しみだとか、怒りだとかそんな感情は剥がれ落ちていった。そうやって私たちは感情を身に纏っていることを忘れる。それらが否定されることはない。私は確かに怒っていたし悲しんでいたのだ。私は空洞自体となってそれらの声を通過させていく。拡声する。それらの波紋はじっくりと無意識に広がっていった。私たちはその無意識下で対話する。奥底にある、茂みを抜けて、差し込んで来た光にあたり蒸発する。そうやって暗闇の中で手探りで形を彩る。彩られたキャンパスに触れ、それらは暗闇の中であったがその美しい色彩を感じ取ることができた。確かにそこにあった。桜が家の前を散っていたようにあった。仕事から帰ってくるといつの間にか散ってしまっていた桜のように足元に落ちた。風で運ばれてくる者もいた。あの街路樹だけは私の風景に残る。あの風景だけは私が持っている原風景であるのかもしれなかった。これらが闇の中にあるのだとしたら、それらを安易に闇だとか光だとかで区別していいわけがないのだが、なんでも安易に区別し始めた。彼らは何食わぬ顔で明るくいなさいという。それもそうだと思う。それもそうだと思っていたのは男の子だった。前髪を揃えた男の子だった。言われた通りにそうしてみるものの表情から笑顔は消えて、口角をなんとか引き上げてみるものの、男の子の目はもう遠くを眺めていた。目の前の存在を通して、内面にある遠い風景を見ていた。一本の木を眺めていた。葉が生い茂っていた。元々は街路樹だったはずの木が、今丘に一本だけ堂々と立ち尽くしている。この丘のことを知っていたのは彼だけだった。その一本の木だけだった。彼はいつの日も気にかけてくれた。口には髭を蓄えていて、いつも煙草を吸っていた。ニット帽からは長い毛がゆらゆらと揺れていた。風が吹くたびに髪の毛が踊っていた。サングラスに太陽の陽が反射して、私は眩しかった。それでも彼の振る舞いに耳を澄ました。目を凝らしてよく見た。彼が起こす風を皮膚で味わった。何度もなんども。そうしているうちに陽が暮れて、もうすっかりあたりは夜の匂いが立ち込めた。それと同時に彼も家路につく。どこに住んでいるかを聞いたことはない。彼はそのことを語ろうともしないし、私も聞こうとはしない。私は問い詰めないと決めている。何の問いも彼には必要なかったのだ。例えば髪を切れだとか、髭を剃れだとか、彼にとっては余計なお世話なのだ。どうして彼がしたいようにしている格好を、私の好みによって左右することが出来ようか。それが何より余計な気遣いであり、何かの組織に馴染むための思惑なのであれば、即刻断絶されるべき思考である。街灯が切れかかっていた。幾度も点滅を繰り返し、そうこうしているうちに私自身も反転を繰り返していた。光と同様だった。切れかかっていたあの電灯と同じ動きを私はしていた。

 

おしくらまんじゅう

 「もうやめてください。これ以上は聞かせてくれなくていいですわ。これ以上聞いたところで私がどうしろというのですか。私が例えばそれらを聞き入れたところで一体何が出来るというのでしょう。」私は素直にそのことを申しました。心の中で、もうどこか遠いところで申しました。そうこうしているうちに声が私に迫ってくるのです。空間をぎゅうぎゅうにします。それらの声が空間でおしくらまんじゅう。ドアの隙間から飛び出てしまったものは行き場もなくフラフラと彷徨っています。それらの受け入れ先が、あの森でした。そこでは動植物が多く暮らしていました。そこに唯一生息していない動物といえば人間くらいでした。そこで私たち、私と彼は狼になりました。狼に育てられることにしました。ウッフウッフと喉を鳴らします。それ以外にも敏感に動作を観察し、嗅覚、空気、そういったものも踏まえて私たちはコミュニケーションを図りました。そうやって会話をしていくにつれて、私たちの群れができたのです。それが私が初めて所属した組織のようなものでした。狼は群れを一つしか持ちませんから、私はその群れに所属することを誓いました。彼もそうでした。彼は時期にその群れの長になり、狼の一族として、もう狼として生きていくことを誓ったのです。私には時折彼の遠吠えが聞こえてくるの。あの森でまだ生息しているはずの彼の声が聞こえてくる。私はその群れから離れることになった。軋轢があった。それは暗黙され、私はそれに耐えられなかった。それらを生み出してたのが私と彼の関係だったのかもしれない。今となってはわかる。あの狼の言葉が、彼の視線が。私はいまでも思いを馳せるわ。

 

残留物

 そうだから、僕の体にはまだ残留物がある状態なんだ。だから排泄をしなくてはいけない。それらの行為を自主的に行わなくてはいけない。消し去るのではなく、これは循環なのかもしれないね。安易に一側面だけを鵜呑みにしてはいけないかもしれないけれど、そうやって僕たちの意見を押し殺そうとするのもよくない。何でもかんでも中庸だ中庸だというのもどうもおかしな話だよね。だってどちらかにも感情が振れるはずからだ。そのバランスを見ているのだろうか。何か片側の意見を押し殺すための中庸があるとするならそれは自然や科学に対しての冒涜だろう。もっともそれらは多面的あり、多面体なのだ。それらが転がって数字に従って僕らは人生ゲームみたいに出されたお題どおりに動かされているのかもしれなかった。しかもそれらのお題を決めているのは自分自身であるということもすっかり忘れてね。それなのに嘆いたり、悲観していても仕方のないことなのかもしれないよね。あくまでこれは僕の意見だけど。

 

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みーさん特製じゃがいも炒めがうまい。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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20180119

意識

 あなたの意識はどこへ向かっていますか。どこへ飛んでいますか。旅に出ていますか。踊っていますか。歌っているのですか。意識が外に向かっています。ただそこで停止しています。それは本音ですか。こちらはむき出しですから、いつの日も晒け出していますから、何も怖いものはないのだと思います。怖いとは隠すことです。隠蔽こそ恐れなのです。恐れていることは隠蔽されています。そのことを無視します。どうして無視されるのでしょうか。誰が無視しているのですか。あなたですか。それとも私が無視しているのでしょうか。意識が飛んで跳ねて、行き場を失ったとしても私は逃しません。見逃したりしません。中途半端にするからいけません。生命がかかっているからです。生命がむき出しで歩き回っています。その光景を目撃します。私はそれらを描写します。映し出します。それらを掘り当てます。揺さぶります。それは揺れで、大地の揺れで、海の満ち引きだからであり、その揺れに覆いかぶさるように大きな球体が対峙する。それらが球体であることは触感から掴んでいることで、私はまだ目で確認をしていない。それでも確かに球体と確認し、認識し、承認した。受け入れて、入り込む隙を与え、この意識について追いかけ、記載し、記録し、カルテをつけ、状態を浮き彫りにし逃げ場もなく、ただ彷徨っている。その彷徨っている先にこそ行き場があり、その曖昧さの中に存在している。私たちは曖昧な世界に存在している。それ何も関わらず、みようとしない。灯台をみようとしない。灯りに目が向けられる。それはそれで構わないのかもしれない。しかし真実とはどこにあるのか。これらは関係妄想によって引き起こる曖昧な真実である。絶対的な答えなど誰も持ち合わせていないし、誰かに答えを頼ることなどあってはいけない。それらは素材である。素材であるのだから、それらをどう活かし、調理するのか、ブリコラージュするのかは私たち次第である。手を動かさない限りは何も始まらないのであり、今もまだ何もかもは始まりながら終わっている。始まりと終わりが繰り返される中で、空中に浮遊する少女の姿を見た。何か諦めているようだった。少女は諦めるように指事された。誰から。自分から指示した。自分から指事され、それらを受け取った。多様性を求めた。普通と普通の積み重なりがあった。そこで積み重なった多様性を大盤振る舞いした。なにもかも皮膚から剥がし、ひとつひとつを顕微鏡で細部まで確認した。そこにあったのが多様性だった。少女はそれらをもう持ち合わせていた。それなのに指示に従って、抵抗することもなかった。思考は停止していたのだろうか。考えるという行動を辞めてはいけなかった。そこに言語が、失われた構造が、舞が、音楽が潜んでいるからである。しかしそれらは堂々と鳴り響き、そして民族の踊りを舞い続ける。笛の音が鳴り、炎を囲う。そこから外れるものを引き戻さない。踊りたい場所で踊る。強要ではない。しかし誰もその輪から外れようとはしない。すなわちなくならない。全くなくなることはない。それらを律儀に守り続ける。その規律の中にも自由があった。そのことを舞いながら知る。汗が流れる。溢れて、水たまりに浮かぶ。水面に現れたのはアメンボだった。運び出していた。浮かび上がった情景を、気配を、思惑を何もかもをアメンボは背負ってその水面で踊っていた。

 

カラス

 「カラスが運んで来た石について」Kは言った。「カラスが運んで来た石をのぞいてみればいい。あの啄んだ石をその傷を覗き込めばいい。覗き込んだ先に、反射したあの丘が浮かぶ。風が強く吹く、草木はなびく。雲はたなびく。どこまでも長く長く装って待つ。切れ目もなくそれが永遠のようにも思える。その永遠の先にある点在した木目。その木目を切り裂いてそこに住み着く。その穴の中で生命活動が繰り返される。循環する。時期にそこから這い出そうとする生命が現れる。閉じてしまった世界から抜け出そうとする。それらは一筋の光であり、希望である。私たちが見ていたのはあの希望だったのだ。あそこにある抜け道に沿ってあるく。壁を登る。ナイフを使い、片手、片足ずつ交互に登る。あの光にたどり着いた。一面光に覆われた、まぶしいと感じた。そこでみたあの街の光景。進化、栄進がはびこる。そこで停滞して、混ぜ合わせる。混ぜ合わせるのは麺棒で混ぜる。そしてこねる。定着させる。菌を用いて発酵させる。ベーグルにする。ふっくらとしたモチモチの生地を作る。それらの工程を経て、また元に戻る。一つになる。離れる。離れ離れになる。遠い存在だと気づく。全く違うものであると気づく。同じであり、違う、すなわちそれは個人であると気づく。そしてそれらの声を代弁する。拡声器になる。地下道から這い上がってくる。排水が流れだす。その汚水を追いかける。私が確かにそこにいたはずだと、今更探したところでもう遅かった。汚水もう混じり合って、果てまで行った。こうした過程を石に刻みつける。石板となる。カラスはそれらを啄んでいる。採集せよ。採集せよ。」

 

怠慢

 「まだ見たこともありません。それなのに僕は知っていたし、そう身体自体が知っていたし、記憶していました。その動きを覚えていた。振る舞いを知っていた。勝手に身体がそうしていた。瞬く間に進んでいく。次から次へと身体が揺れて、言語が通り抜けていく。僕はそのことから空洞を作ることに専念する。その場を空洞にすることで、何か言葉が流れ込んでくることを知っている。それらを採取することが仕事であることも知っている。出会ったものは何もかもが登場することも知っている。それらを編集する。ブリコラージュする。組み合わせによって無限であるような感覚になる。もう二度と同じものは作れない。その瞬間だけの遊び。僕の遊び。僕が知っていた出会いについての遊び。それらの集合体が積もる。積もり積もってドボンと底が抜けて、僕もその底に落ちていく。何があるかは知らない。どこに続いているかもしれない。それでも知らないから落ちていく。潜っていく。泳いでいく。泳ぎ方は知らない。それなのに泳ぎはじめる。深層で出会う。そこで待機する。だからここにいる。ここまで引っ張る。半ば強制底に突き落とす。それらの方がよほど効果がある。怠慢な状態には。」

 

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もうちょっと書き溜めてから出そうかどうか検討中。

ちょっとやり方変えるかも。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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