溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20171211

通り過ぎて行った

 「もう通り過ぎて行ったみたいだよ」と、Kは言った。「いずれ通り過ぎる。その渦中にいるときはそんなこと思えないかもしれないけれどね。台風みたいなものかな。嵐が来るんだ。必ず。どんなに避けようと、回避しようとしても、それは自然現象みたいなものだから、進路が変わることもあれば、そのまま直撃して、その渦に飲み込まれることもある。それでも台風が通り過ぎた後の空気はなんであんなに心地よいのだろう。何かもを一掃して、淀みや、汚れや、停滞をなにもかも巻き込んでいくんだ。あの心地よさを君も知っているだろう?呼吸が出来るかどうか。そこにかかっているんだ。君自身が呼吸を出来ているか。肺に酸素を送り込むことができるか。体全体を巡らすことが出来るか。そして吐き出すんだ。何もかもを、淀んだ、滞ったその体内にある不純物を吐き出し、撹乱し、そのまま混沌とした状態を保ち続けることだ。すっきりしてはいけない。一時のその気持ちよさだとかに馴染んではいけない。それもまた通過儀礼なのであり、保とうとしがみついていてはいけない。ただ自然の流れにその現象に耳を傾け続けることだ。風はいつだって待機している。僕らの背後で、それでいて正面からやって来る。それが彼らの特性であるし、自然現象であり、僕たちはどこまでも風に乗っていけるんだ。軽やかだけど、重厚感を持ってね。」

 

外出

 銀座の月光荘エムゾで額装してもらっていた絵の受け取り。やっぱり額装するとカッコイイ。お姉さんも元気そうだった。その後、公募展の出展で末広町へ。公募展に出すのは初めてのこと。これまでも何度か出そうと思うことはあったが出展するまでのやることが嫌になってしまったり、誰かに評価されるために作っているわけではないなんて思ったりしてやめてしまっていたのだが、今回はそういう気持ちの部分も含めて出してみることにした。前日まで実際に出すか出さないか悩んでいて、重荷になっているとすら考えてしまっていたが、出してみたら出してみたで、行動できたことが嬉しかった。行動する前はああだこうだと言い訳を考えたり、やらない理由なんて考えることは出来るのだが、やってみようと思ったものは積極的にやってみるのがいいのかもしれない。やることとやらないことを分けて、やろうと思ったはとことんやってみることで、その過程の中での様々な変化を含めて続けることだと思えた。お腹が空いたのでご飯を食べる。みーさんが珍しく牛丼食べたいと嬉しそうに言うので近くにあったすき家に入る。みーさんはすき焼き定食。僕は、おろしポン酢に、味噌汁、冷奴、りんごのついたセットを頼んだ。そういえば鎌倉には牛丼屋がないので久しぶりだったような気がする。僕の頼んだものはネギが乗っているものばかりだったのでネギ抜きと伝える。「冷奴のも抜いていいですか?」とのことなので、そうしてくださいと伝える。ネギ嫌いなのだ。昔から。ラーメンもネギ抜き、なんでもネギ抜き。乗っていたら避ける。わさびも抜きで頼む。わさびはあまり得意じゃない。いざ牛丼がやってくると、しっかりネギ抜きになっていた。味噌汁以外は。そう、味噌汁以外。おろしポン酢のネギも、冷奴のネギもしっかりネギ抜きだったのに、味噌汁だけネギありだった。おしい。散々ネギ抜きにしておいてどうして味噌汁だけなんて思ったが自分で避けて食べた。久しぶりに食べた牛丼は美味しくて満腹になった。店内は終始すき家ラジオが流れていた。すっかり選曲もクリスマスモードだった。その後、自由が丘のじょうたさんへ糸の買い出しへ。やはり銀座線や地下鉄は息がつまり苦手だ。車内は狭いし、人との距離感が近すぎてどうもうまく立ち回れない。渋谷で乗り換えて東横線へ移動。途中、スケボーを持って全力で走る男(スケボーには乗っていない)や駅構内にスクリーンなし映画座席みたいなものが設置されていた。みーさんも東横線へ向かう途中の駅構内を見て「ここはサイエンスミュージアムか」と良いツッコミを入れていた。その場でハイタッチ。糸は種類があるのでみーさんとそれぞれ選ぶことにしている。自分だけが選ぶのだと好みで偏りがちなので、みーさんの選んでもらった糸を加えるとバリエーションが出て面白いのだ。ここまで移動も多かったのでカフェで一休みしてから帰ろうということになり、カフェ探し。どこも混んでいて、街はイルミネーション。ピカピカ。クリスマスモードまっしぐら。以前仕事でクリスマスの装飾をすることがあったのだが、意外と楽しかったのだ。モコモコしていて楽しいのだ。なので布もウールの暖かい糸で作るのが楽しいのかもしれない。モコモコ感が重要。しばらく歩いてやっと見つけたカフェへ。ベーグルなどを主に扱っているお店らしい。どこも混んでいたが空いていたので即決で入店。ベリーの入ったスコーンとアメリカーノを注文。みーさんはチョコスコーンとチャイラテ。カップは重量感があって重たい。指は三本入るタイプ。いつも二本なので少し新鮮だった。がっしりと握りしめるような感覚だった。みーさんに相談事を持ちかけられて、なぜかテンションが上がり始める。頼られると元気になるらしい。それも相談事とかそういう類のものが好きらしい。一方でよく喋るご婦人がいてみーさんと観察する。その振る舞いに対してどう感じるか、どうしたらよい関係性を築くことが出来るかを話し合うのだ。僕たちはなんだかんだ言って人とのコミュニケーションが好きなのかもしれない。僕は多くの人と関わることは苦手だが、少ない人達との関係は濃密に作りたいと考えているのかもしれない。自分自身が何を感じているのか、他人の話や噂ばかりではなく、そこから自分の感覚的な部分をシェアしあえるのはとてもありがたいことであると思える。表面的な話は聞いていても疲れてしまうし、僕は聞くことが出来ないから、無理に聞くこともないのだと思える。情報の出し合いではなく、お互いが深め合える対話をすることの方がよほど有意義だろう。お店を出ると足取りがおぼつかない。暗くなって足場がうまく分からなくなってしまった。ちょっとした段差を踏み外したり、つまづいたりするがなんとか駅に到着。東横線の特急に乗って横浜まで出て、そこから横須賀線に乗り換えて鎌倉へ。やっぱり鎌倉に着くと帰ってきたと思える。あまり鎌倉から出る機会はないがたまには足を伸ばして遠出することも大事かもしれない。ずっと同じ場所にいるとそこの良さがどうしてもわからなくなってしまう。それに何よりも帰ってきたと思えることが嬉しかったのかもしれない。帰る場所があるのはいいことだ。

 

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今日はまた織り上げる予定。

絵もキャンパスにまた描き始めたい。

 

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溝井孝司(Koji Mizoi)

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20171210

見返す

 「僕は思うんだよ。」Kが言った。「僕が思うにはね、見返すことだとなんだよね。君たちが作り上げてきたものを改めて見返すことなんだ。そこに何がある?そこにあったものを今はどう見ることができる?捨てるべきものと、捨ててはならないものがある。そこを履き違えてはいけない。君たちを癒してくれるものはなに?穏やかにしてくれるものは何?感動させてくれるものは何?それは自分から生み出していないかい?見返して見たらいい。君たちがこれまでしてきたことを見返すことだ。読み返すことだ。今、感じてみることだ。それでいいんだ。そうやって味わってみるんだ。」

 

忘却

 彼はすっかり忘れてまう。自分が口にしたことだとか、自分がどんなものを作っただとかそういうことをすっかりなかったものにして、また空白、何もないとうな垂れるんだ。常にそうしてる。いつもそうなんだ。忘却してしまう。悪気はない。積み重ねているはずのものが、何も積み重なることはなく、消え去ってしまい、もう遠い記憶のようになってしまう。そのくせ昔のことは鮮明に思い出しはじめるのだ。より鮮明に、感情までも。そうやって縛られている。縛り付けられている。自分でだ。これも彼自身の主体的な行動によって縛られているのだからどうしようというのだろうか。これは否定ではない。観察である。ただ眺めている。私の役割。見守っているわけではない。ただの観察である。趣味嗜好だ。ただそれだけの理由で長年連れ添っているだけだ。飽きたらまた次へ行くだろうが、飽きさせないことが上手な彼に私はすっかり白羽の矢を立て続けているのだからこれは彼の思惑通りなのかもしれない。助けて欲しいと言いながら、それすらも拒むのだ。裏腹なのだ。言葉に騙されてはいけない。その言葉から感じ取れるのはあくまで表面的な物で、隠蔽されているものを発掘、発見することだ。決して、逃れようとしてはいけない。そのことからは逃れられない。ただ代償は大きい。苦しみを代償と履き違えてはいけない。彼が笑顔でいることが、世界にとって必要なことだった。単純なことだ。これは彼だけのことではないし、彼の隣の、その隣に至るまで、延々と続く対話なのであり、終わらせる気もなければ、終わることもないのだろう。永遠に続く営みのようなものだ。その間もただ静かに時は流れるし、布団を用いて作りげられた新しい座椅子は、冬を過ごすにあまりに快適で暖かかった。その温もりの中で何を感じることができる。冷え切った体では、正常に、穏やかに物事を判断することなど出来ないだろう。体は冷えていないか?体に無理はしていないか?体を我慢させていないか?強いのではなく、我慢強いだけだ。彼は教育にて学んだことは我慢強さであり、それが良くも悪くもいまも癖として、体に残っているのだ。彼のしてきた我慢強さは、それはその代償として何らかの結果を求めるということであり、果たしてその我慢の連続の結果、彼に結果は付いてきたのだろうか?確かに、何も残らなかったし、実績も生み出していないのだろう。何もなかったのだ。積み上げてきた先には何も残らなかったのだ。彼はまた回想を始めているし、止めようともしない。止まる必要もなかった。あの河川敷は水はけの悪いグラウンドだったのだ。

 

難癖

 「人と関わるなんてろくなことがない。」Mが言った。「だってさ、なんだって難癖つけて来るんだよあいつらは。無言で睨みつけてくる奴だっているし、嫌味を言う奴だっている。時には罵声を浴びさられたり、発狂、暴力。そういうことが繰り返し目の前で行われ、その渦中に飲み込まれるんだ。それを見てどうしろと言うのだろうか。ただ俺は目の前のことに集中していただけだし、人に興味なんてなかったんだ。それなのにあいつらは興味を引こうと必死になってくる。その子供らに構っている余裕なんてなかったし、あいつらは人間じゃないとすら思ったね。なんで俺は俺のことに集中しようとしているのに邪魔ばかりするのかわからなかったよ。これは俺の言い分さ。俺の声に耳を傾けてくれ。俺の情報を精査しないでくれ。検閲せずただ聞いてくれればいいんだ。俺が欲しいのは意見やアドバイスじゃないんだ。ただ俺に語らせてくれ。それで十分なんだ。あの時の行き場のない怒りと悲しみをただ語らせてくれと言っているんだ。どうして俺だけあんな目に合わなくてはいけなかったのだろうか。どうして。それでもそれでよかったのだろう。立ち止まるきっかけになったのだ。俺は運動が得意じゃなかった。ただ好きだった。だから続けていただけだ。やめた途端に何もかもがなくなってしまったんだから、露頭に迷うことが普通だったし、だからって何もそれが悪いことじゃない。ただ戻ってくるべきはあの家の中の光景だったんだ。初めて友達が出来た時の感動だったんだ。そこに歪みや僻みは存在していたか?何か罵声を、怒号を浴びせていたか?あれは何だったのだろうか。俺は未だに困惑しているし、解決できていない。あの3年間だ。そのことを俺は語っているし、未だに縛られているのだ。どんなに鎖が解けたと思ってもまたそこに繋がれてしまうのだ。逃げ出すことは出来ないのだろう。それでも何度だって逃げ出すのだ。あの恐怖から、そしてまた戻って行くのだ。もっともっと俺は子供だったし、そこにいたからだ。ただ実力がなかっただけだ。自分自身で実力なんて測ることができるのだろうか?ただ自分で見切りをつけただけだ。諦めただけだ。苦しみに耐え続けてきた。もう耐えきれなくなった。それだけのことだった。それ以上何を模索する必要があった?体が動かなかった。軽快ではなかった。いつも重苦しく、どんよりとしていた。まるで自分の体ではないみたいだった。あの頃の軽快に、自由に走り回っていた体はどこへいったのだろうか?それでも結局その時からどんな風に見られているだとか、どんな動きをしているだとかそういうことばかりが気になっていたのだから、どういうことなのだろうか。こんなつまらないことを書いてどうする気だ?また俺は俺を問い詰めようとするんだ。解決策は見つかったのか?どこに行く気だ?もう終わりにするのか?俺はまだ語れる。俺にはまだ語る権利がある。」

 

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今日は公募展に出展する絵の搬入をする。

また体が重たい感じが続く。

 

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20171209

白湯

 彼は沸かした白湯を一口飲み込むとその熱が内側を通っていくことを感じた。体は冷え切っていたからより一層内臓が熱で温まっていくようだった。着込んでいた服が、ちゃんちゃんこが暑いとすら感じられた。自分自身から熱を体温を発することができれば良いと思うのだが、どうもそのエネルギーが不足しているのか、寒さに打ち勝つことが出来なかった。とはいえ、これは勝負ではないし、何者とも争う必要もなかった。それでもどこかでその能力、自発的な、持久的な能力というものを失ってしまったのだろうか?いつからこんなにも弱い状態になってしまったのだろうか?いま指先は温まっているし、体全体に熱が覆っているのがわかる。それを逃さないように包んでくれているのが今着込んでいる衣服であったし、それが大変重要な役割をしているようにも思えてくる。家の中でも家を作るのだ。衣服とは家の役割なのである。寒いのは家が原因なのではなく、衣服である。衣服から寒さをしのぐことが出来る。その役割がある。機能性や見た目だけではない。いつからか衣服の役割は人様の目を気にするための道具へと退化していった。もっと根源的な、生命的な振る舞いとはなんだろうか。どこへ行ったのだろうか。

 

映像

 「目を閉じてみたらいいの。」と、彼女は言った。「目を閉じることを恐れてはいけないし、そうやって立ち止まると思ってもいけない。目を閉じることこそ何物よりも先へ進むことができる。これは感覚器官の話で、あなたは全く何も感じ取れていないってことよ。気づいていないってことよ。あなたが目を閉じれば開けてくる。少し休ませなくてはいけない。その眼を、その裏側にある映像に着目しなくては。その映像にある足音、その音楽に耳を傾けるの。散歩と一緒よ。ただ歩くことじゃない。目的地を持たないことよ。その場の発想だけで進むの。発想はあるわ。そこに発想がある。それは足を動かした先にある。そこに置いてきた。あの場所にあるのがその裏側の一部。それらは全てで一部。一側面にすぎない。遮断することよ。遮断した時に見えてくるものは何?希望?それとも憂鬱?劣等感?虚栄心?自尊心はどこに?これらの幻想、何もかもが幻想として今現れているのなら、私は、私はただブリキ製のあの人形、木こりの人形。森の開拓者。それが英雄だと言われていたのは一昔前よ。開発に変わった時、何もかの均衡は崩れ去っていた。これは暴力だというが、私たちの欲求なのかもしれない。欲求不全。行き場もなく、漂っているの。それが蔓延している世界。どんな世界かわかる?希望も絶望も何もかもを履き違えてしまったのかもしれないわ。私たちはまずその誤った履物を脱ぐところから始めなくてはならないわ。そして、もう何もかもを脱ぎ捨て、皮膚事態となり、その皮膚の記憶を癒し続けることよ。傷は深かった。だから私たちは存在している。目を閉じた時に存在している。消えることはなかった。消えようともしなかった。消し去ろうとしたのは誰?あなた?いえ、私自身よ。」

 

宣教師

 映像が流れ始めてもうどれだけ時間が経っただろうか。1時間か、2時間か。2時間経っているのならもうとっくにこの上映は終わっていても良いはずだろうが、一向に終わる気配はない。「詩人の歌を聞いている」とKは言った。「詩人の歌を聞いていた。上映と同時に聞こえてくるのはその詩人たちの声だ。浮かび上がってくるのは文字であり、その世界に没頭していた。映像は同時に流れていたし、止まろうともしなかった。ただ同時並行的に存在し、それでいながら無秩序に整列を繰り返した。それを制御しようと監視を続けている。足音が聞こえた。我々はその足音に着目し、その監視の存在を知るように努める。一芝居打つということだ。我々は一同が整列し、あの舞台上の、つまらない話に耳を傾けていたが、実際の所我々が聞いていたのは思考、その詩人たちの声であり、あの男が話している声はただ錯乱していた。声自体が行き場を失い錯乱していた。受け止めようとする者は誰もいなかった。ただ野放しだった。踊ってはいなかった。狂気に満ちていた。怒り狂っていた。寂しかった。そうただ寂しかった。あの冷え切った広場の中で寂しさだけが、孤独だけがただ彷徨い歩いていたのだ。整列していたにも関わらずである。我々は誰と整列していたのだろうか?我々を統率するのは宣教師たちだった。無宗教という名の宗教を我々は受け入れていたし、無信仰という信仰を産んでいた。それが宣教師たちの狙いであったし、宣教師すらもそのことに気づいていないなかった。ましてや今壇上の上で話をしているあの男さえもそのことに気づこうとはしなかったのだ。」

 

壇上

 「次はいつ戻ってくるの?」Nは言った。「戻ってくる時に私たちはもうこの街にはいないかもしれない。だから伝えておこうと思ったの。もうこの街自体が、島自体が存在していないかもしれない。あの森の中の立ち入り禁止区域の中で何が行われているか知っている?このことを口にしようとすると私たちはそのまま連行されてしまう。罪になる。だから私は今最新の注意を払って、あなたと話しているわ。誰にも聞かれてはならないし、誰も聞いてはいけない。だからあなたと話しているの。あなたはもうここを出ていくでしょうから。船に乗ってどこか遠くへと行くのでしょうね。必要なのは目的地ではないわ。ただその1歩を踏みしめることよ。その1歩、足の裏から伝わるあの土の感触、それすらも次第に奪われ始めて、もうあたりの土は支配されている。取り戻すことは出来るのだろうか?生きている。大地は生きている。だから絶望することもないし、希望を抱くこともない。ただ日常的に大地は生きていた。それだけのことよ。あの森の中で行われている事態をあなたは目撃する勇気はある?対面出来る?出会うことは出来る?私たちが出会ったように、たまたま私たちが今こうしているように出会うことは出来る?あの奴隷船の行く末を変えるのはあなただし、この立ち入り禁止区域の中で行われるあの悪態を変えるのもあなた。私たちなのかもしれない。指名制ではないわ。気づくことよ。気づかぬふりを辞めることなのよ。辞退しなくてはいけない。自らが、あの壇上から降りることよ。それがあなたには出来る?」

 

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今日は晴れてる。

 

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