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溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

日記らしい文章になった気がする

0円で出来ることはリアルでどんどんやってみること

 胸のあたりにあった重たさは今はすっかりなくなり身体の中を通り抜けているような状態です。少し喉のあたりに違和感があり、これは歌ったりすることで調子を見ることが出来る。けれど、この3日間くらい頭の中でもわーんとした何かが存在している。そのせいか寝ても覚めても思考している状態が続く。なのでずっと夢を見ている。今日は、オーガニックマイムの先生のワークショップに参加していた。そこにはぼくのことを嫌っていた高校時代の先輩がひとり参加していた。こういう嫌だった人というのはいつも夢に出てくるものだ。そのせいか、当時の苦しさが蘇って来たりもするが、いまはどうってことない。夢の中に出ていた先輩はギターがとてもうまくてカッコいいとすら思った。それにアイディアも出てきて行動的になる。こんなものを書きたいとか。昨日はそれで新しいブログを作った。でも元々はビジネスブログみたいなものを作ろうかと思い立ったのだが、その意図とはすっかり変わってしまい、ぼくは物語のようなものを書き始めてしまった。そのため、一度書いた記事は消してしまった。そもそもビジネスブログみたいなものを作ろうと何度も思い浮かび、やってはみるが全て削除することを繰り返していた。続けられないのだ。なのでそれは昨日思い浮かんだ"連載"という形をとって、定期的に物語として書き続けようと思った。それで、やることは"ビジネスをすること"ではなく"自分の経済"を作ることなのだと思った。すなわち芸術作品ってこと。自ら作り価値を高めていく。それは意外とシンプル。そんなことを考えてみーさんと話していたら「ネットはよくやっているけど、やっぱりリアルなんじゃない?」みたいなことを言ってもらい、そりゃそうだと思えた。こういう時のみーさんの一言はぼくにとって良い指針になる。「0円で出来ることどんどんやってみなよ」って言われた。芸術活動をしていくのはお金がかかると思い込んでいるところがある。ギャラリーを借ることだってお金がかかったりする。だけど、無料で貸してくれるギャラリーやカフェもあったりする。現に、家の近くのドーナッツ屋さんでは無料で展示をさせてもらうことだって出来る。だから、ちょっとずつやって見ることも大切だと思った。こうやって書いていることもひとつだが、リアルで出来ることも。どうもネットで全てやってしまおうなんて思ったりするが、やっぱりリアルも大切なのだ。そのことに改めて気がついた。

 

つらつらと書いてみること

 個人事業主とかそういう働きかたが流行っているように見え、そりゃ焦ったりもする。ぼくは19歳の時に起業しようとして大学も辞めたのだから。やりたいことも分からずベンチャー企業に進んでみたが、そもそもの精神的な浮き沈みのおかげで少しお堅い世界で生きていくことは難しかった。会社のためとかそういう自己犠牲がまったくできなかった。自分が窮屈な状態になるとすぐに鬱になり、布団から動けなくなってしまうのだから。なのでそういう生き方から落っこちてしまったような状態だ。就職も出来ないし、どこかに属して長く働くことも出来ない。そういう働きかたや生き方を目指そうとしたがやっぱり出来なかった。これは努力とか忍耐力とかそういう精神論ではないのだと思った。高校時代からぼくの精神状態は少しおかしかったのだ。どこか塞ぎ込んでいたし、人とうまく関われなかった。それに精神的には常に落ち込んでいた。時折、前向きになるときもあったが。それにしては極端に自信がなかった。なので軟式野球から硬式野球に移った12歳くらいから自己啓発みたいなことをしていたと思う(笑)高校時代に出来た彼女は頭も良く、美人だった。なので、そんなへにゃへにゃなぼくの状態を見ると食ってっかかって来た。ぼくはどうにか対処しようと自己啓発本を読みその内容をあたかも自分の言葉のようにそのまま伝え、その場を耐え忍んだことだってある。「人ではなく自分に目を向けるんだ」みたいなこと言って。だけど、ぼくはカラオケに行った時だけは生き生きしていたように思う。自分らしく居ることが出来たのだ。なので、学生時代やっぱり歌うことで生き延びていたのだと思う。とにかくそんなことしている人生だったわけでもうすっかりどうしていいか分からなかったのだ。何がやりたいかも、どうしたいかも分からなかった。だけど、今はこうして書くことが出来る。これは0円だ。パソコン壊れたら、ノートに書けばいいと思っている。ブログに書いているのは、ぼくと深いところで通じ合う人と出会ったら面白いかもしれないと思っているし、誰かにシェアできればと思っている。絵だって絵具がなくなれば紙とペンでいい。ぼくははじめる基準が低い。しかし、理想の自分は高いのでそのギャップに苦しんだりもする。だって、いま28歳。芸術家として生きていくしかないなと思っているわけです。それでの稼ぎはいまだ0円。どうするのよって思う。それでもこうして書いているのはひとつの作品としてだと思う。双極性障がいと言われているぼくだからである。しかし、双極性障がいというのも割とおおざっぱな括りだと思っている。辿っていけばもっとその人の性質とかの話になる気もするが、ぼくの過去の行動遍歴を話すとどうやら双極性障がいらしい。どちらかというとHSPっていう性質なのだと思っているけれど。あとは分裂気味。お告げみたいなの聞こえる。そんなんで今となっては長期的に働いたりすることが難しい。なので作るしかないと思っている。

 

 

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0円で出来ることはどんどんやればいい。

自由に書ける場はありがたいものだと思った。

 

元々日記のつもりで使っているわけですが、やっぱりなんでも書ける場を持つのは大事だ。

 

なんでもそうなのかもしれない。

リアルだから自由じゃないっていうのはおかしい。

なんでも言える場っていうのが必要なんだ。

 

安心感のなさすぎる社会って嫌ね。

でも、言ってみないといけないよ。

それは本人次第。

伝えてみないと分からない。

 

けれど、肌で感じることも大切に。

回想候。

回想

 作文の時間が好きだったんです。そりゃ最初はえーって思いますよ。書くの面倒だなとか。ただ、書いている内に文字の世界に入っていけたんです。夢中になったことを覚えているんです。溢れるように文字が紙の上に現れていくことを覚えています。その時間が楽しかったんです。あっという間でした。すぐにチャイムの鳴る時間が迫ってくるんです。国語が好きだったんだと思います。朗読するのも好きでした。手を挙げて読むのを立候補しました。それは友達もやっていました。少しドキドキしながら、それでも指名されたら堂々とやりのけるあの感じが好きでした。まるで演技をしているようでした。舞台に立ち、僕の演技に観客が見とれているように感じました。だから工夫をしました。ただ読むだけではありません。感情を込めた話し方をしてみたり、抑揚をつけたりしてみました。そういった工夫をする友達を見て感心したりもしました。体育も好きでした。しかし、縄跳びとか鉄棒とか水泳とかそういうのは苦手でした。サッカーも。ボールを上半身で使う競技が好きでした。ドッチボールとかバスケとかバレーとかソフトボールとか。だから野球を始めたのかもしれません。ボールを投げたり取るのは楽しかったですから。打つのは苦手だったから練習しました。そうしたら打てるようになりました。練習の甲斐あって、4打数4安打した日を覚えています。僕は4番だった。父と喜んだ日のことを覚えています。なぜか、ランニングホームランをしたことも。バッティング練習の時に柵をボールが越えていった日のことを今でも忘れません。「やったー」と心の中で喜んでいたのですから。顔はにやけていました。そのことは監督にすぐにばれました。音楽が好きでした。歌うことが好きだったのです。人前で歌うことはすごく緊張したのを覚えています。テストか何かで歌うことがあるのでみんな一人ずつ歌うのです。ちょっとした拷問のようにも感じましたが、歌うとやっぱり気持ち良かったですね。恥ずかしさよりも気持ちよさの方が優っていました。合唱の一体感が好きでした。声が混ざり合うこと。表情は見えないが、並んでいるみんなの声が一人一人感じ取れること。そうやって歌っていました。歌っていて涙が出てくる体験をしました。涙が出そうになることはありましたが、それは中学校の卒業式でした。「旅立ちの日に」という歌を歌うのです。そこにいる人たちと歌う最後の曲だと思うとこみ上げてくるものがありました。教室に戻ってから、もう一度その歌を歌いました。担任は音楽の先生でした。先生の計らいだったのです。「最後にもう一度歌おうか」と言ってくれたのです。僕は歌いながら涙を流しました。これが歌いながら涙を流した初めての体験です。その後も音楽の力に魅了されました。どんなに意見の違う人同士でも、わかり合うことができないと思っていたとしても、一度ドラムの音が、ギターの音が、ベースの音が、ピアノの音が、そして歌声が。音が鳴り始めるとそこには一体感がありました。この空間をまた作りたいと思いました。美術の時間はあまり好きではありませんでした、僕よりも絵を描くのが上手な人がたくさんいたからです。僕は写生とかそういうのが苦手でした。上手く描こうにも上手く描けなかったのです。だけど、絵を描くことが好きでした。小学校4年生の時の夢は「キャラクターデザイナー」でしたから。アホ星人というアホな顔したキャラクターに、ゲームに出てくるキャラクターを被せて、着せ替え人形みたいにして遊んでいました。自由帳にたくさん描きました。それを見て笑ってくれた、友達がいたことを今でも覚えています。しかし、野球を始めてから絵はあまり描かなく鳴りました。たまーに描く程度でした。ちょっとして絵です。挿絵のようなもの。それでも何か描きたいなと思うことはあったんです。だから、人目に触れずに描いていました。また絵を描こうと思ったのは絵日記を始めた時でしょうか。ちょっとずつ絵を描く喜びを思い出したように思います。最初はシャーペンだけだったのが、今では絵具にまで手が出ました。あの頃はそんなに好きでなかった絵具が、今は楽しくてなりません。「芸術とは自分の作った思い込みとの対話なのだ」と思いました。それは無意識が作り上げているものです。暗黙の了解のようなものです。過去の経験でもあるのでしょう。そこと向き合い対話するのです。こうやって書き始めたこともきっかけがあったのでしょう。「夢を叶えるゾウ」という水野敬也さんの本を読んだ時、文章を書きたいと思うようになりました。これまで本はお堅いもんだと決めつけていたのですが、軽快に自由に書いていいんだと感動したのです。ギターをやりたいと思ったのは高校生の時でした。カラオケにはよく言っていたのですが、友達がバンドで演奏しているのを見たのがきっかけだったように思います。その後、中学校時代の友人にギターをもらうものの一向に触れることはありませんでした。2年前にようやく触れました。そこから少し距離を置いたりはしたものの、やっぱりそれは過去の自分との約束のようなもので、今は下手くそで落ち込んでも続けたいものです。

 

 

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こうやって挿絵を添えて、この文字が本になったらいい。

僕にある成分が伝わればいい。

 

その出版を記念して個展を開き、ギターの弾き語りライブも出来たらいい。

 

そうしてその空間を味わってもらえたらいい。

感じ取ってもらえたらいい。

 

深いところではつながっているんだと知ってもらえたらいい。

 

名刺交換や肩書きはいりません。

持ち込まなくて大丈夫です。

そんなものなくたってあなただから。

 

叫びと囁きはどちらも内にあること

対話と多様性

 対話とは何か。ただ、向かい合って話せばいいってことではない。慰め合えばいいものではない。生物の声を代弁する。大地の声を代弁する。風の声を代弁する。そのために音がある、声がある。そして、人がどうしたら健康でより良い地球に向かっていけるかを伝え合うことだ。そうやってつながり合うことだ。無意識が今の社会を生み出したことを知ることだ。私たちが放っておいたのだ。見て見ぬ振りをしたのだ。だから今の社会は生まれた。無関心が生んだ。自分のせいにしなさい。なぜ、人のせいばかりにするのか。自分と向き合いなさい。徹底的に自分を批判しなさい。大きな人に子供はどこに言ったのか聞きなさい。あなたの子供はどこにいるんですかと聞くのです。性別は誰が決めたのですかと聞きなさい。どうして、男らしさとか女らしさで振る舞いを決めるのですかと聞きなさい。どうして、見た目だけで人を判断するのですかと聞きなさい。ダイバーシティとか多様性を訴えることは内面に置いてもです。人の内面の多様性がそこにはあるのか問いなさい。好きなものを一番に大切にしたいと言いなさい。愛している人と一緒にいたいと言いなさい。時間持ちになりたいといいなさい。あなたの内面が知りたいと言いなさい。あなた自身に興味があると言いなさい。いつから隠すように生きなくてはいけなくなったのか聞きなさい。もう怯えることはないと言いなさい。何も思考していない人間がその場を取り仕切り、それがいかにも正しいような振る舞いをすることは怖いことだ。そしてそのことに対して警告を鳴らさないことが何よりもいけない。気づいている人がいけない。気づいている人が見て見ぬ振りをしていることがなによりもいけない。私は誰よりも対話が生まれる場を望んでいる。それが出来ると思っている。それこそが生きる意味なのだ。話さなくてはいけないことが何かを捉えなくてはいけない。今、大切なことは何か。目覚めなさい。目を覚まして。夢になりなさい。そのまま目を覚まし夢自体になるのです。いつの日も緊張感を持ちなさい。対話はいつ起こるかはわからない。その瞬間を見逃してはいけません。タイミングです。それは一瞬なのです。わかったような口を聞いてはいけません。理論では語りきれません。それは感性。感じ取ってください。理論ではなく、感じ取ってください。しかし、知性と感性はどちらも活かすべきです。どちらも使いなさい。そして、自身を見つめなさい。あなたに還りなさい。冷静でいようとしなくていいです。どうぞ、かき乱してください。それが必要です。揺れを感じてください。地震は起こっている。体の中で起こっている。その揺れこそあなただ。揺れに耳を傾けなさい。静かに耳を傾けなさい。

 

表面でなく奥を見る

 表面的な解決もいいのかもしれません。しかし、僕は大地に興味がある。あなたの大地にだ。大地はコンクリートに殺されている。息が出来ずに苦しいと言う。海は流れ出た生活排水によって苦しいと言う。死ぬものまでいる。空気は飛び出た廃棄物によって苦しいと言う。空気は殺されてしまった。目を背けるな。目を背けてはいけないことがある。よく見ることだ。目の裏にある映像を見るのだ。音を見ろ、肌で見ろ。根本に興味がある。表面的な物ではない。物に捉われてはいけない。直視せよ。目を使え。本当の使い方を。本来あった使い方を。視力ではない。視力は関係がないのだ。あなたがどこに属しているかなど興味がない。あなたの周りに誰がいるかなどどうだっていい。あなた自身に興味がある。あなたを知りたいのだ。あなたはなにが好きなんだ。あなたの奥にいるのは誰か。周りではない。奥にいるのが誰かに興味がある。それは芸術か。音楽か。あなたの奥にあることを教えて欲しい。伝えて欲しい。周りではない。奥だ。

 

無視しないこと

 僕は声を無視しないようにしたい。声にならない声だ。それは悲鳴のようなものかもしれないし、静かに囁いているかもしれない。どちらにしても、その声を無視してはいけない。そのことを書いている。伝えている。人は自分自身までもコンクリートまみれにする。硬く硬く壁を作る。そのことを直視しなくてはならない。無視してはいけないことだからだ。隣で泣いている人を無視するな。泣いている。あなたの子供が泣いている。泣いている。泣いている。なぜ手を差し伸べようとしないのか。大人になったような顔をするな。大人であるように振る舞うな。大人などいない。ダサい顔するな。死んだ目をするな。生きろ。生きて伝えろ。生き抜く術を伝えろ。魂を売るな。乗っかるな。独りになれ。損得で近寄るな。滑らか。柔らかくなる。静かになる。止まる。時間が、空気が止まる。もともと動いていなかった。

 

水と砂

 喉が乾く。水ではなくなってしまった。私が水ではなくなった時それは人なのか。水は乾いていた。水が乾燥していた。水は浸透しなかった。体に吸収されない。かと言って干からびない。ミイラ化もしない。ただ、水を吸収しない体になった。喉が乾いている。水を飲んだところで状態は変わらない。むしろ悪くなった。いい悪いではなかった。私の中にある水は亡くなった。泣いた。水は泣いた。友の死を泣いた。水はまだ隣にいた。しかし私に入り込もうとはしない。ただ、水として歩いている。水は砂漠の上を歩いた。砂に吸収されることはなかった。私は砂になっていた。どんなに水を吸収したところで、水はどこか深くへ流れていく。すぐに私は乾いていた。元に戻った。いつもの乾いた状態に。水が欲しいと叫ぶ。水はすぐにやってくる。そして浸透していく。しかし、私の中入ることはない。ただ抜けて行っただけだ。私は乾いていた。浸透することはなかった。

 

 

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僕は声を書きたい。

それは内側にある声。

それは外側からくる声。

 

どちらも漂っているもの。

そのことを書いている。

 

水と風のこと。

そのことを書きたい。