溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

大した理由なんてないのです。

ブレスレットの紐が切れてしまっても、しっかりと繋がって落ちてしまうことはなかった。

 

1度切れてしまった紐はもう戻らない。

しかし、その繋がりが切れることはありませんでした。

 

 

すっかり暖かくなったかと思うと、また寒さがやってくる。

抗うこともなく、ただそれを受け入れる。

 

 

冷静な眼を持った時、真実が顔を出す。

隠れているわけでもなく、本当のことが見えていなかった。

ただそれだけのことだった。

 

 

森には静けさと、かすかな響きが混在していた。

風が道を知らせる。

耳を傾ける。

静けさが聞こえてくる。

 

虫が知らせる。

危険を教えてくれる。

 

落ち葉が知らせる。

ここで一休みしなさいと。

 

 

ひとつひとつの出来事には意味がある。

これまでもそうだった。

その時は気づかないのかもしれないが、確かにそこには意味があるのでした。

 

 

しかし、意味はなくあるのはただ出来事として存在しています。

出来事と意味は混在していました。

どちらもあるのです。

 

 

線と色彩を冒険する。

人が人であることを問う。

求められなくとも、ただ続ける。

 

 

最悪の病は魂が侵されることだ。

 

 

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 歩く。

気づけば登っている。

決して平坦な道ではないのですが、面白そうだから。

 

大した理由なんてないのです。

思ってる以上に良いこと沢山あった日。

あの頃に押し殺した気持ちはいつかすっかり忘れて、何事もなかったように日常を送れるはずだと信じていたのに、そんなに都合よく忘れてくれることもなく。

 

もうこの苦しみから解放されたいと願えば願うほど、どこか遠のいてゆくのでした。

 

それでも歩み寄ることは出来るようなのです。

 

それはあちらからではなく、こちらから歩んでゆくのです。

 

後ろ歩きでゆっくりと。

目を離すことなく、背けることもなく。

後ろ歩きで進むのでした。

 

 

 

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「なんかいい事あった?」と聞かれたので「えー、何もないよ」と返した。

けれど気になり始めたので、今日あったいい事を口に出し始めたら止まらなくて、なんて幸せな1日だったのだろうと思った。

 

なんだかインディアンの方達との方が話が合うかもしれない。

図書館でふと手に取ったインディアンの本を読んで思ったよ。

 

大地も子供も人の所有物じゃないんだ。

 

力強い、彼ら彼女らの写真に釘付けになった。

 

おやふーみ

観察と聞く耳。

もう戻ることは出来ないし、きっと引きずられながら共に生きゆくしかないのです。

 

もう一つの今はすぐそこにあって、懐かしい喜びより、苦しみを生み出します。

 

それでもここにある今は確かにここにあり、揺らぎながら進むしかないのです。

 

そして、苦しみだけではないことを忘れてはいけません。

その中にも小さな希望を、光を与えてくれた人がいたことを忘れないようにしにしなくてはいけません。

 

でないと、すぐに忘れてしまうから。

居場所は確かにそこにあった。

しかし、いつまでも止まることは出来ないと知っていた。

 

いまもそこに居場所はあるし、これからもあり続けるのです。

 

 

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観察すること。

聞く耳を持つこと。

 

そうすると自分でいられるのだ。