読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

本当に困った人のために、僕は公共でありたいと思った。

朝起きて調子を確認すること

 脚全体が布団の中でモゾモゾとしている。少し気だるい感じもする。仰向けに寝っ転がったまま、右足を抱え込むようにして、股関節辺りを伸ばしてほぐす。次に、左膝に右足を引っ掛けて、臀部の辺りも伸ばすように。ちょっと揺らしてほぐしながら。左も同様に。体を起こして、大腿四頭筋を伸ばす。ハムストリングと呼ばれているやつだろうか。足裏同士をくっつけて、股関節のストレッチ。腰の辺りにまで刺激が伸びてくる。少し体を揺する。足を揺らす。止まらない。振動する。精神的な調子は悪くないように思う。10点満点中7、8点くらいだろうか。体は疲れぎみでも、気持ちで持ち上げることが出来る。意欲が出てくる。起きてから活発に行動をすることが出来る。5時半起き。30分のストレッチ。車のブレーキがかからず、進んでしまう夢。よくみる夢だ。これはうまく自分を制御出来なくなってしまう夢らしい。今は気持ちが溢れてくる。意欲が溢れてくる。気づいたら肩回し。体をほぐす。

 

他人を責め、結果自分から逃げていること

 仕事を休職して、2ヶ月ほどが経った。離れて分かることがある。僕は理想が高い。「人の面倒を見ているフリをして自分から目を背ける人ばかりだ。仕事を忙しくする事で自分から逃げようとする人ばかりだ。誰もその考えから抜け出そうとしない。そんなんで世の中が、社会が良くならない」と言っていた。そうしてそこにいる他人を責め、理想を押し付けた。自分の考えを理解されたかった。しかし、結局は自分がそこから"抜け落ちて"しまうことが怖かったのだ。何食わぬ顔で労働することが出来ないと言いながら。湧いてくることしか、主体的に生み出そうとすることしか続けられないと言いながら。そう言いながら、ここを辞めてしまったら、僕はもうどこにも属して働くことが出来ないだろうと不安だったのだ。だって、そこには僕のことを理解しようと気にかけてくれる人が沢山いたから。だから、どんなに体調が悪くても休まなかったし、波もないように振舞おうと努力した。離れたくなかったのだ。

 それだから僕は「他人のことどうだっていいから、自分を見つめろよ」と他人に言いながら、自分を見つめる時間を作ることが出来なかった。仕事をしていない自分や定期的な収入が入ってこないことを恐れていた。そして、独りになることを恐れていた。独りなった時、社会との接点をどう作れば良いのか分からず怖かったのだ。

 いま、よく行くラーメン屋の店主は僕自身を見て話をしてくれた。「来てくれて嬉しいよ」と言ってくれる。海でギターを弾いて歌えば人が集まってくることを知った。「また来週も一緒にやろう」と言ってくれる。そして何よりも、みーさんは「働く以前に僕が元気であることが一番。」だと言ってくれる。そしてお前の考えは素晴らしい、正常だとも。

 

自分自身を生かし切って還って行くこと

 思い返せば中高くらいのときからひどく落ち込みやすかった。その後もそれは続いた。だけど落ち込んでいるだけでなく自信に溢れて、行動的な時もある。大学に行っても起業するとか言って半年で辞めた。借金作ってまで海外に行ったり、セミナーに出たり、コンサルを受けたりした。とにかく会いたい人に会いに行った。僕は興奮し始めると、先のことやお金の不安なんてまったくなくなる。今のこのアイディアが考えが素晴らしいものだと思う。人にとにかく会いに行く。そうして、しばらくすると不安に駆られる。そもそも、不安はなくなっていないからだ。なんでこんなことしたんだと後悔し始める。一気に行動して、突然停止する。突然、会社に行かなくなることが何回もあった。そんなことを何年も繰り返していた。そして、2年ほど前に双極性障がいと診断された。なんで、こんなにポンコツな体で生まれて来たのだろうと思ったが、今は乗りこなせるようになってきたし、まあいいかと思っている。調子のいい時はどんどん集中して取り組めるわけだし、決してポンコツとも言い切れない。今では双極性障がいというのは後付けだとすら思う。いまだにそうじゃないと思っている。ただ、鬱のような症状が出ると辛い。不安に駆られ、お金がなくて貧しいと思い、生きていくことが困難であると自信を失ってしまう。希死念慮に襲われる。いろんなんことが複雑に絡み合ってそうなっていると思う。だから、その都度、細かく見ていかなくてはいけない。その反応に対して。それは幼少期から繋がっているもので、もしかしたらそのもっと前の、生まれてくる以前の記憶とも関わっていると思う。だから、僕は僕自身のことを見て見ぬ振りが出来ないのだ。放っておくことは出来ない。幼少期の僕が困っているのだから。叫んでいるのだから。

 あなたは繊細な人だと言われる。人の表情を、声を、内面を感じ、共感性がある。そういうのが、HSPという性質なんだと知った。感受性が豊かなのだ。人よりも多くのことに気づく。人が見ないようにしていることも。だから自分が見ないようにしていることもあると知りながら放置することが出来ない。知ってしまったら、放って置けないのだ。無視出来ないのだ。僕は自分を活かして生きたい。生き切りたいのだ。使い切りたい。とことん使い切ろうと思っている。乗りこなそうと思っている。それが使命だ。この体で生まれて来た意味なのだ。最後は自然の元に還るのだから。土になり、水になる。そして木になり、森になる。海に、湖になる。元に還るのだ。この体は元に還る。その体を生かし切らずに、還っていくなんてもったいないと思うのだ。

 

 

f:id:mizokoji:20170516082023j:plain

 僕は公共でありたいと思った。

もう限界だって思ったとき、辛くてたまらないって思ったとき、もう終わりにしようと思ったとき、本当に困った時に僕を自由に使ってくれればいいと思った。

 

あなたの子供と一緒にいることができる。

 

気の向くままに散歩することができる。

疲れたら、お茶でもしながら語らうことができる。

日が暮れて来たら海に行ってギターを弾いて一緒に歌うことができる。

 

 

そして何よりあなたの使命を知っている。

教えて欲しい。

僕は無知だから。

 

あなたの芸術に音楽に興味がある。

何かあったら連絡してね。

 

mizokoji@gmail.com

 

ばいび

 

 

大抵が人づてだから見たいのはあなた自身てこと。

いつまでも治らないこと

 僕は、池袋の東口にある居酒屋で珍しくお酒を飲んでいた。煙草の煙や声がフロア一帯に充満している。僕の頭上で声の不協和音が鳴り響き、煙は行き場を失って漂ってる。どちらも迷子になっているようで、可哀想にも思えた。それで居酒屋にいる僕はなにがしたかったか伝えたい。そう、おしっこがしたかった。もう流石に我慢できないと思ってトイレに駆け込んだ。僕はなぜか便器にではなく、洗面台に用を達した。水道をひねって水と一緒に流した。だが、どんなに出したところで、また尿意が襲ってくる。何度も何度も尿意が襲ってくる。僕は不安になった。一生終わらないんじゃないかって思い始めた。トイレは一つしかなかった。洋式の個室トイレだった。ドアの外に誰か待っていないかとヒヤヒヤし始めた。だって、僕はこの尿意が治らない限りトイレから出れないんだから。誰かが待っていることに対して、さらに不安が倍増する。そして尿意も倍増してくるんだ。もう、洗面台からは水が溢れ出しそうになっていた。そうして僕は心底思ったんだ。「トイレに行きたい」って。そうしたら、僕は布団の中にいた。すぐにトイレに向かおうとした。だけどまずは布団を確認したんだ。大丈夫、濡れていなかった。漏らしていないことに安心して僕は実際にトイレに駆け込んだんだ。

 僕は膀胱の映像を見たような気がした。あの洗面所の水がもし流れ出していたら。僕はきっと布団をびちゃびちゃに濡らしていたかもしれない。そうして、どうしていいかわからずに隣にいたみーさんにこういうだろう。「すみません。漏らしました。」素直に言おうとは思う。嘘ついたってしょうがないからね。そう、それで僕はすっかりスッキリして今度は安眠したってこと。尿意に襲われることもなくね。

 

あなたの先にいる人と作品に出会う

 僕は無知だ。何も知らない。音楽だって、絵画だって、何に関しても初心者だ。知識もない。意識が散漫になる。しかし、僕に必要な人には誰かが出会わせてくれる。誰かが知っている。誰かが作品を知っている。あなたと出会うことはその先にいる何人もの人と出会い、いくつもの作品と出会うことになる。あなたから人と作品に出会う。すごく簡単なことだ。それが僕に出来ることだ。あなたに興味があるということは、あなたの先にいる音楽に、絵画に、作品に興味があるということだ。あなたを構成している要素に興味があるということだ。僕にはそれが出来る。あなたとその先にいる人と作品と出会うことが出来る。僕は人に興味がある。その先に興味がある。あなた自身を取り巻く物たちにだ。だから僕は触れ続けなくてはいけない。接触を続ける。それは一見頼りない。一本の糸だ。とても細く今にもちぎれてしまいそうだ。しかし、何度だってその糸は繋がりを取り戻す。それは意図だ。意図することで、その糸は手繰り寄せることが出来る。その先にも無数の意図が存在する。そこに焦点を当てる。あなたとの出会いに。あなたのこれまでの出会いに焦点を当てる。個人である、名前のある出会い。匿名化されていない世界。

 

母の日のプレゼントは織り布だったこと

 5月14日は母の日だ。誰が決めたのか知らないけれど。鎌倉ではボーダフェスが行われていた。御成通りや由比ヶ浜通りはボーダーを着た人と犬で溢れてた。由比ヶ浜通りにある、みーさんお気に入りのミサキドーナツ。そこのお兄さんは「ボーダフェスは1年で1番盛り上がるかもしれないです」なんて教えてくれた。みーさんの家に遊びに行く予定だったのでみーさんはお土産にドーナツを買っていた。お昼ご飯はもちろん太陽堂でラーメン。しおつけめんにした。大盛りでネギ抜き。今は店主が一人で切り盛りしているので席に着くまで僕たちのことを気づかなかった。「ごめんね〜、気づけなかったよ。怖い顔してなかった?」なんて話しかけてくれる。店主とは自然と話すことが出来る。そういう人がいるのはとても嬉しいことだ。 みーさんのお母さんには僕の織った布をプレゼントした。とても気に入ってくれたようだった。「この色合いは素晴らしい!」って言ってくれた。元は織りあがった布を見て、みーさんが「これ母ちゃんが好きな色だなー。きっと喜ぶ。」と言ってくれたので、母の日のプレゼントにした。

 みーさんは人と物や空間と物を組み合わせるのがうまい。物の活かし方を知っている。空間の活かし方を知っている。どうすれば人が喜び、どうすれば物が売れるかまで知っている。プロデューサーでもある。これは僕の言う空間とは違う空間だ。僕のは空想上の空間。架空の空間、思考の中に巣を作ることだ。みーさんの得意とする空間は実際にある、空間をどう活かすかだ。部屋の中やお店の中といった空間。五感を使って空間を作るんだ。そこには、みーさんの感性がふんだんに盛り込まれる。それが居心地の良さや、安らぎを生んでいるのだと思う。

 

 新しいことを始めて、飛び込んだ後のこと

 思えば鎌倉で家を探していたとき朝早く佐助という地域を歩いていた。鎌倉時間は早いので、まだ鎌倉に住む前は始発に乗って鎌倉に集合し、みーさんと散策していた。街の人は目があうと「おはよう」と声をかけてくれた。挨拶があるっていいなってその時思った。そうしたら鎌倉に住むことになった。僕とみーさんはすでに結婚していたけれど、どこに住むか決まっていなかった。結果、みーさんの嗅覚で鎌倉の物件を見つけた。まだ住み始めて5ヶ月くらいだけど、ゆっくりでいいのだと思った。僕は空想的なところがある。現実のスピードが空想に追いつかず、そのギャップに苦しみ始めたりする。だから、じっくりと続けていくことが大切なんだと思っている。僕の場合は。「続けること、やめないこと」これはある男からのメッセージだ。これは僕の中に深く刻まれている。夢自体になる。そしてやめずに続けなさい。何か新しいことを始めるなんて簡単だ。どんどん新しいことを始めたらいい。それは刺激になる。勇気を持って始めるだけ。勇気だけで飛び込むことは出来る。大切なのはそのあとだ。興奮状態から覚めた時どうするか。絶対に覚める。ずっと覚醒なんてしていられない。そうなったとき、どうやって振る舞うか。冷静に物事を見始めた時どうするか。恐怖をかき消さずに共に居続けることが出来るか。これは飛び込み続けないと分からないことだ。飛び込む勇気があるのだから大丈夫なんだ。何にも飛び込んでいないことに気がつくんだ。そこには何もなかった。踏み出さなかったから分からなかっただけだ。飛び込んだ先にい続けなさい。それが僕であり、あなただ。

 

 

f:id:mizokoji:20170515115400j:plain

ブラックバードのギター音が頭から離れません。

これに出会ったのも人づて。

大抵のことは人づて。

 

だから、その人自身を見たいのだ。

空き瓶にお花を添えること。

肌で触れたことを文字にすること

 雨が降り続いていて、すっかり眠ってしまっていた。雨音はずっとずっと鳴り響いていて、それがどこか違う世界に誘われる合図のようで。その合図に従って眠りにつくと夢を見る。現実か夢か曖昧な世界に漂っている。まるで風のように。気ままに吹いていなくなる。部屋に入ってきてはいなくなる。夢は風だ。吹き抜けていく。当たり前の日常の中に夢は吹き込んでくる。前触れもなく。突然。風はどこにいるのか誰も知らない。知らなくていい。知ってしまったらみんなそこに集まってしまうし、寄ってたかってしまったら風の通り道はなくなってしまうから。雨風に関係なく鳥は飛んでいった。僕は布団の中でその姿を見た。「行ってしまった」とだけ思った。それ以上は何も考えなかった。飛んで行ったことだけを見た。目が覚めると、空気が変わっていた。数時間前とは明らかに違うと思った。雨音はまだ続いていた。何か落ちているようだった。空気が雨につられて落ちてしまったようだった。空気が変わっていた。重くもなく軽くもない。空っぽの空気。音のない世界に包まれたようで。この空気の変化をどうやって言葉にしたらいいのだろう。言葉にならない、肌の記憶。雨と一緒に空気が落ちてしまったんだ。それだけでは補いきれない何かがあった。耳の奥で感じていた。

 

一人で集中したいこと

 「ねぇねぇ、お兄ちゃん遊んでよ」小さい人が声をかけてきた。女の子だ。おかっぱ頭で前髪はしっかり切り揃えてある。水色のワンピースを着て、人形を抱きかかえている。

「この人形はクマのミミちゃん。お耳がどこか行ってしまったからミミちゃん。私はココちゃんっていうの」

「そうかいココちゃん。そうしたら後にしてくれるかい?今、集中したいんだよ。頼むから。ね。お願い。いま物語を書いているところなんだ。いい話が浮かんできそうだったのに。」男は物書きだ。今まさに執筆を進めているところだ。とは言っても、すっかり行き詰まって全く筆は進んでいなかったのだけど。

「うーん。よくわからないわ。集中ってなあに?あたしは今がいいの。今遊びたいのよ。ミミちゃんだってそう言ってるわよ。」ココは物書きの目をじっと見つめてそう言った。

「集中は集中だよ。自分の世界に入りたいってことさ。頼むから一人で遊んでくれるかい?僕は今一人になりたいんだ。」物書きは無愛想にそう告げると、ココは首を傾げてしまった。

「一人になりたいなんておかしなことを言うものね。そんな願いはずっとずっと叶わないわよ。ココは知ってるんだから。」

「そんなことないさ。何を知ってるって言うんだい?一人になれるさ。君がいなくなってくれればね。そうしたらどうだ。どれだけ集中できるか。今よりもずっとずっと集中できる。この作業に没頭出来るんだ。誰にも邪魔されることなく、物語の世界を描くことができる。分かるかい?邪魔されたくないんだよ。頼むから。ね。」

「だったら尚更よ。あなたは一人じゃないもの。一人ココが増えたところでなんら変わらないわよ。あなたが一人と思い込んでいるだけよ。ココと話をしているあなた。集中したいあなた。その先にいる男。物語の中にいるあなた。その先にいる男の子と、女の子。犬、猫、羊。夜ご飯のことを考えているあなた。その先にいる八百屋のお姉さん。お肉屋さんのおじさん。一緒にご飯を食べるお父さん、お母さん。明日のデートのことを考えているあなた。大好きな彼女。その友達。学生時代の友人。その先にいる昔に聞いた音楽を思い出しているあなた。大好きなギタリストやベーシスト。こんなにいるのよ。一人じゃないじゃない。あなたの考えている先にこんなにたくさん人がいるんだから、ココ一人増えたってなんら問題ないでしょう。ココはあなたの物語の一部よ。たまたまここにいるわけじゃないの。ココが話していることだってあなたの一部なんだから。」

「それとこれとは別さ!実際問題、邪魔なんだ。俺は邪魔されている。俺が何人いたって、その先に何人いたって構わない。だけど、君はいま、まさにこの今邪魔をしている。実際に邪魔をしているんだ。分かるか?分かったらさっさとここからいなくなってくれ。」少し強い口調で物書きは言放ったが、ココは悪びれる様子もなく淡々と言葉を返した。

「もう、なんにも分かってないんだから。これだから大人っていやね。いいわ。今日はもう帰る。また来るからね。バイバイ。」

 

空き瓶になって、一輪の花を食卓に添えること

 集中したいとか、自分の世界に没頭したいとか、そういうことをよく思う。だけど、実際に一人になったところで集中していないし、没頭もしていない。どっちにしても気が散っている。誰かのことが気になっている。今やっていることとまったく違うことをやりたくなる。集中力がない。気が散っている。いつもいつも気が散っている。気が散りながら集中している。気が散っていることに集中している。没頭している。そのことに没頭している。一人ではなく、何人もの人と会話している。会話しながら生まれている。何処にいたって、誰といたって一人にはなれない。みんな自分だからだ。邪魔しているわけじゃない。排除しようとするのではなく取り入れればいい。全てを登場させればいい。物語にしてしまえばいい。自分は空っぽにしておけばいい。自分なんてものに捉われなければいい。風が心地よく通れるようにしておけばいい。これは全て物語だ。現実での出会いや言葉も。人も物も自然も。全て物語にすればいい。書くことで、浮き立てればいい。空間を建築すればいい。自分の中にとどめておかなければいい。いつの日も空っぽ。空き瓶になればいい。水を注いで、一輪のお花を添えればいい。食卓に飾ればいい。彩ればいい。そうしてまた、大切な人とお花でも見ながらお話しすればいい。

 

f:id:mizokoji:20170514100604j:plain

昨日、書いていて思ったこと。

 

 

伝える術を身につけよう。

もっともっと言葉にしよう。

 

言葉では伝えられないことを知ろう。

絵を描こう。

音楽を奏でよう。

 

そうやって空間を彩っていこう。