溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

思考にいたのはわたしではありませんでした。

どうやら勘違いをしていたみたいですね。

あなたの中で思考される世界は、あなたではありませんでした。

それは、今日のあなたであり、昨日のあなたであり、明日のあなたである。

 

わたしではなかったんです。

じぶんでも驚きました。

シャワーを浴びながら思考していたことは、わたしの声ではありませんでした。

体の中にこんなにも声が残ってしまうことに驚いています。

響いていると言った方がいいかもしれません。

 

これまでのあなたが、隣にいるあなたが、これからのあなたが、わたしのようになりすまし、わたしはそれをあたかもじぶんであるかのように錯覚し、生きていくのです。

 

わたしには感情といえそうな感覚はあるものの、ただ反応があるだけでそこに意味はないのです。

 

怒ることも、悲しむことも。

喜ぶことも、楽しむことも。

それは、ないのです。

 

時折、あなたのことが羨ましくも思えますが。

 

それは、わたしにないものを持っているということなのでしょうか。

 

いま、ぼくはわたしでしょうか。

わたしは誰ですか?

誰かがいるような気がしてなりません。

 

ぼくの言葉は、踊りは、音楽はどこへいってしまったのでしょうか。

 

また、探しにゆきます。

ごきげんよう。

 

 

 

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体の中にいたのは、じぶんではありませんでした。

じぶんという概念はとても脆く、歪んでいくのであり、それでよいのだと思いました。

 

声に耳を傾けましょう。

そこに意味はありません。

ただ聞くのです。

 

音楽を流してゆくのです。