溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

萎びたワカメが元どおり。

水はワカメの救世主。

ワカメは水の救世主。

 

水の心を救ったのはワカメだったのだね。

水の役割を思い出させてくれたのはワカメだったのだね。

 

無形のその形にシャワーを吹きかけた。

勢いよく、堂々と。

 

その無形物は少し汚れているようにも見えたし、何かが固くこびりついているようにも見えた。

 

水の力が必要でした。

 

洗い流した時に見えた無形のその形は、あなたでした。

すなわち僕でもありました。

 

その視点が僕だったのです。

生きていたのはあなた独自の視点だったからです。

 

大多数が獲得している視点では、新たな経済は生まれませんでした。

 

だから私は無形物を持ち続けた。

少し汚れ、こびりついた何かを落とす必要があった。

 

僕は水だった。

洗い流したのは社会だった。

社会の視点だった。

 

無形物は独自の視点を持った。

無形物と出会った時、観客から拍手が起こった。

鳴り止むことのない拍手だった。

 

その興奮は今も覚めることはありません。

目覚めることはありません。

それは無形物だったのですから。

 

 

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独自性の高い視点と出会い、僕は興奮を隠せなかった。

 

それは、個性であり才能だった。

 

自らを発掘するよりも、興奮した。

何よりも新たな出会いに感動した。

そしてそれは僕自身でもありました。

 

言葉にならず、体の中に残り続けていた無形物が本来の姿に戻ったのです。

 

ワカメやワカメや。

おやすみなさい。