溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

記憶と忘却と。

街並みは訪れるたびに変わってゆくものの、そこで育ったという事実は変わらずそこにあり続けるのだと思いました。

 

数十年かけて築き上げた、その空間はいつまでもいつまでも残り続けていました。

 

これは決して自分一人で作ったものではありません。

 

家族、友人、体験、記憶。

 

様々な要素が重なり、空間は成立していました。

 

もう戻ることは出来ないと思いながらも、いつでも帰ることの出来る場所がそこにはあります。

 

それは、実在していないし、姿も形も見ることは出来ないのかもしれません。

 

しかし、感じることは出来ます。

記憶を嗅ぎ分けるのです。

 

しっかりと両手で確かめるように触れるのです。

 

味見も忘れてはいけません。

目分量ではなくしっかりと、味を見ながら確認していきます。

 

レシピは存在していないので、混ぜる調味料も感覚に委ねられます。

 

信じていいのです。

味に特に意味はありません。

 

書き記すことに意味はあるのでしょうか。

言葉の意味はないのだと思います。

ただ書いているだけで、忘れ去ってしまわないようにするためです。

 

しかしきっと、また自ら消してしまうのだと思います。

 

この記憶も。

あの時に味わった感情も。

全て忘れてしまうのです。

 

いまを残しているようで、それは通り過ぎていきます。

この瞬間、もう既に手に取ることは出来ません。

 

しかし、確かに存在していました。

記憶は私の中に存在し、しかし消えてゆくのでした。

 

 

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垂れるような音。

流れてくような音。

 

外にある音を聞いて寝る。

濡れずに外にゆけるから。