溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

点子ちゃんとアントンと永遠の僕たち読んで観て。

曖昧さの中を力強く生きる。

それでよい。

それがいい。

 

風は何を知らせるのか。

木々を揺らし、壁にぶつかる。

やめようとはしない。

ただひたすらに向かい続ける。

 

 

揺れていたらいい。

揺らいでいること。

そこには動きと振動がある。

 

あの時足りなかったのは、芸術と音楽だった。

決して、奪われたわけではなく、自ら捨ててしまった。

ひとつのことに集中すべきだと、そうやって大切なものを追いやってしまった。

ひとつではなく、全てが大切だったのだ。

何ひとつ欠けてはいけなかった。

それは、心を豊かにし、体を整えるものだった。

 

調律。

 

調律することを放棄していた。

それは自分だった。

自分の音はそこにあるのに、どんなに鳴らしても、音がなることはなかった。

 

それでも、やり抜いた経験があってよかった。

自分でない音を鳴らし続けたから、気づける。

違いに気づけるのだ。

本物の音を聞き分ける事が出来る。

 

聞く耳を持つことの大切さを知っている。

 

体は空洞です。

響かせるためにある。

それはあなたの声を響かせるためにあります。

そのために私はいます。

散歩しています。

あなたに出会うために。

 

 

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点子ちゃんとアントンを読み始め。

 

ケストナーが語りかけてくれているのは、池田香代子さんの訳のおかげなのだろう。

 

久々に観る永遠の僕たち。

静けさを映像で見た。

あの静けさが好きだ。

 

アメリカと日本。

戦時中と戦後。

 

いまは戦後でしょうか。

お国のために死んでいく。

 

企業戦士と溢れてく人。

今も昔も変わらず戦時中。

 

やり方は違えど死者が出ているのだから。

 

死を感じる映画。

それなのに重たくない。

美しく時間は流れていく。

映像と音楽で。