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溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

積もった塵を活かした先の吟遊詩人と。

詩を書こうと思ったこと

 駅前の本屋に立ち寄り、平積みされていた坂口恭平先生の新作『しみ』を手に取る。そのまま購入し、その後文具店コトリさんにいってノートを購入。今回はB5サイズの方眼。そしてカフェに行ってしみを読み始める。第一章「音楽のはじまり」という題。そこでハッと大切なことに気がつく。「そうだ、詩を書こう。詩を書きたかったんだ」ってね。僕はいつもこんな感じで物事がはじまる。ここで大切なのは本当にやるってことね。思い立ったらやってみる。書き始めてみる。

 

いつもの席で コーヒー飲んで

仕事帰りの君を待つ

カモフラージュで 開いたノートは

いつまで経っても 白紙のまま

 

……。ここで僕の手は止まる。「いやいや実際にノート開いてるけどめっちゃ書いてるし。そもそもノート白紙じゃないか。カモフラージュってなんかな。むっちゃ嘘ついてるやん」とツッコミが入る。うーんうーんとちょっと唸ってみる。頭の中が「ぐるんぐるん」する。「あっ"ぐるんぐるん"って好きかも」って思う。そして「ぐるんぐるん」を使って書いてみる。形とか気にせずにね。

 

ぐるんぐるん 

頭の中 ぐるんぐるん

訳分からず ぐるんぐるん

スイッチ一つ ぐるんぐるん

頭の中 ぐるんぐるん

何しても ぐるんぐるん

息できない ぐるんぐるん

ぐるんぐるん ぐるんぐるん あーあー

ぐるんぐるん ぐるんぐるん

頭の中 ぐるんぐるん

ぐるんぐるん ぐるんぐるん…

 

なんか好きかもって思ったりする。僕は割とすぐに実行する。やってみる。するとなんだか自分がいま作ったものに愛着が出てくる。ここで評価はしない。愛着が出たものを評価し始めるとくじけてやらなくなってしまうんだからさ。

 

"蓄積"が何で活きるかはお楽しみなこと

 そうそう、きっかけは作詞や作曲だってやりたいからなんだ。それにこれまでもメロディが思い浮かんだとき、ひっそりとiPhoneに録音していたこともあった。でも、そのままになっていたり、その後どうしていいかわからないからやらなくなってしまっていたんだ。だけどね「よくわからないけどやったことの蓄積から何かが生まれる」ってことがよくわかってきたんだ。例えば今書きたくて書いているこの文章もね。一つの作品のように捉えることも出来るし、書くという経験の蓄積にもなる。歌いたくて歌っていたら心地よい声の出し方がわかってきて、日常生活でも声を出すことが苦じゃなくなってくるとかね。それに、一見関係のないように思っていた蓄積が何かに影響を与えることだってある。例えば絵を描いていてそんなことを感じたんだ。読書した時にたまたま見かけた挿絵が絵のための蓄積になっているじゃんってね。そういうのも蓄積があるからこそ。蓄積は引用できる。これは言い出したらきりがないことかもしれないね。誰かとの会話だってそうさ。たまたますれ違う誰か知らない人と目が止まってしまう時がある。それはその人から何か大切なメッセージを受け取っているかもしれないでしょう。そういう人を見る"嗅覚"も体に蓄積されていくように思うんだ。いま口ずさんでいる鼻歌だってね。

 

塵は積もりすぎるとゴミ山になって重たいこと

 そんなこと言っていると僕はお調子者だなぁなんて思ったりするんだ。いろんなことを都合よく捉え始めるからね。でもきっと小さくても積み重なったその蓄積はどこで本領発揮するか分からない。「人生無駄なことなんてないんだよ」っていうけど、本当にそうなんだ。無駄になってしまうのはそれを活かさないことさ。それは自分の好きなことで、やりたいことでやればいい。だけどやろうともせずにそのまま蓄積だけが溜まっていく。それこそ、ゴミになってしまう。そうすると体が動こうとしても中々動き出せないでしょう。重たくて重たくて仕方がない。「塵も積もれば山となる」だけど「積もりすぎるとゴミ山になる」から蓄積された物をどう活かしたいかは自分自身が考え、行動に移さないといけないってことさ。それで僕は芸術がいいなって思った。こうやって書いたり、絵を描いたり、ギターを弾いて歌ったり、布を織ったり。僕は今やっているそういうことが全部好きなんだ。それにずっとずっとやりたいって思ってきたことだったからね。やらずにきてしまってこれはいけないって思った。あやうくゴミ山に埋もれてしまうところだった。

 

吟遊詩人のようで、そうじゃないこと

 僕は吟遊詩人のよう人かもしれない。でも、吟遊詩人になることは出来ない。僕はなんでもないのだ。だけど、自分で作った布を身にまとい、ギターを背負ってと画材を片手に旅に出るんだ。あんまり行きすぎると疲れてしまうし、家の方が落ち着くからきっと定期的に帰ってくるけどね。笑 鼻歌を口ずさみながら散歩して歌を作る。時折足を止めて、絵を描く。出来たらその場でギターを出して歌い始める。通りがかりのお母さんや子供達は足を止める。僕はあぐらをかきながら演奏を続ける。僕の周りには描かれた絵が並んでいる。だんだん人が集まり始めて、一緒に歌って踊り始めるんだ。鳥がさえずり、犬や猫、羊や馬。ありとあらゆる動物達も集まってくる。風が心地よく通り抜けて行く。あたりはすっかり暗くなって月明かりが人々を照らし始める。あたりは一転静かな空気に包まれる。目を瞑って音楽に耳を傾ける人もいる。目から涙を浮かべる人だってね。そうして、大きな握手に包まれて僕はみんなと握手しハグをし、絵を買って行く人がいる。関係なく手渡しでお金を握らせてくれる。ぼくはしっかりと日銭を頂いて(笑)その場を後にする。すると一人の紳士な男性に声をかけられる。「今日は家に泊まっていかれてはどうか?宿はあるのかね」ってね。僕はこれから宿をさがすところだったからその提案を快く承諾した。家には奥様と5歳のお姉ちゃんと3歳の男の子が迎えてくれた。女の子は「さっきの音楽素敵だったわ」とまん丸の目で僕を見つめながら伝えてくれたんだ。晩御飯は、その土地で取れたきのこがふんだんに添えられたクリームパスタ。たまねぎとコーン、そして分厚いベーコンの入ったコンソメ味のスープ。無農薬で自家栽培しているというサラダなんかも一緒にね。ドレッシングはオリーブオイルにちょっとのお塩をまぶして。そして楽しくお話をする。お互いがお互いの声に耳を傾けあってね。

 

 

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お金がなくても、その場でお金を発行し善意と共に生きていきたい。

 

そしたら死ねないと思うんだ。

何もかも失ったとしてもね。

 

お金はその場で発行できるし、お金自体がなくなったとしても善意ある人と共に生きていけるしね。