溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

受け取っていたメッセージと新江ノ島水族館の思ひで。

「続けること」と「やめないこと」について

 彼は30代で主に執筆をし、絵を描いている。時には人前で歌うこともある。自らの哲学と経済、政治を持っている。これは自ら作り出している。すなわち芸術家のようでも彼はある。決して反乱を起こそうとしているわけではない。淡々と自らの空間を築いている。すなわち建築家でもある。彼は言った。「続けること、やめないこと」それだけ言葉を残し去って行った。

 続けることに意味はない。その瞬間やらざるを得ないからやる。それはやりたいものではなく、やりたかったことだ。続いているものだ。これは反復練習ではない。同じことは繰り返すことが出来ないことを知っている。刻一刻と変化してしまう。変わってしまう。水であり、アメーバである。変わってしまったんだ。もう変わってしまった。ここに留まることは出来なかった。変形したのだ。跡形もなく。有形と思われていたこの体は、頼りなかった。変化して行く。体は無形だ。形などない。漂っているのだ。体は漂っている。やめないのではない。もうやめることなどできないのだ。停滞出来ない。滞る。渋滞が起こる。いつの間にか渋滞を引き起こした。クラクションが鳴り響く。恐怖に怯え、車を動かすことが出来ない。クラクションはいつの間にか僕を取り囲んだ。体が圧迫されて行く。クラクションを止めようとする人はいない。時にはリズムを変え小刻みに、僕をあざ笑うかのように音は鳴り続けた。取り憑かれたようだった。体を動かそうとするが、アクセルを踏むことは出来なかった。

 それは声だった。一人の老婆の声だ。威嚇するような声を出す。本人は気づいていない。その声に空間は包まれていった。次第に、体は圧縮されていく。目玉が落ちる。口から内臓が、穴という穴から内臓が漏れ始めた。それでも老婆は声を止めない。一方的に捲し立てる。私は耐えることが出来なかった。いてもたってもいられず、落としてしまったものを懸命に拾い集め、扉を開いて外へと駆け出した。圧縮された空気が抜けていく。空間は元に戻っているように見えた。しかし、老婆は気にする様子もなく威嚇するような声で私を捲し立てることをやめることはなかった。空間は私を守ってはくれなかった。私は老婆の声に屈したのだ。老婆の声に取り憑かれたのだ。老婆の声が体の内側から私を侵食していった。入り込んでいたのだ。全てを喰い尽くそうとした。内側も外側も老婆は喰い尽くそうとしていた。

 

反復と刻むことと

 刻一刻と変化してゆく。そのことを受け入れなくてはいけない。もう戻ることは出来ない。感覚を反復することは出来ない。感覚は刻むことだ。書き刻むことだ。こうやって書き刻んでゆく。それは反復だ。反復を勘違いしてはいけない。同じ反復を繰り返すことは出来ない。感覚は死んでゆく。言葉は失われてゆく。体さえも。魂さえも。反復によって失われてゆく。感覚は刻むことだ。刻むことを反復する。

 

海月に思ふこと

 海月に囲まれていた。新江ノ島水族館にやってきた僕は気づけば、海月の前にぼうっと突っ立っていた。海月は漂うようにしなやかに線を描いていた。美しかった。月は空に浮かんでいるのではなく、海に浮かんでいた。どちらも同じ月であった。どちらも生きていて、呼吸をしていうように見えた。いっそ包まれてしまいたかった。この体ではなく小さな魚にでもなって。海月をもっと近くで魚の眼で触れたかった。僕は海月を描きたいと思った。海月のように描きたいと思った。

 

f:id:mizokoji:20170502095054j:plain

 

f:id:mizokoji:20170502095238j:plain

 

f:id:mizokoji:20170502095359j:plain

 

f:id:mizokoji:20170502095550j:plain

 

 さて、ちょっとまとめてみようかな

 どうだろう?みんな僕の書き方が変化していることに気づいているかな?どうも最近は奥の方から声を出しているような感覚なんだ。書き方なんてどうってことない。その時の感覚をここに刻んで行くってことさ。僕はなんとなく文字にしている。特に深い意味なんてないんだと思うよ。僕は適当に忠実でありたいと思っているんだ。人だから出来ること、機械のように出来ることはうまく組み合わせていかないといけないね。「適当にリラックスして続けること、機械のように忠実でありながらやめないこと」なんだか、30代の男性から受け取ったメッセージが見えてきた気がしない?受け取ったメッセージに自分の言葉が加わってきた。これは今だから作れた言葉かもしれないよね。だけど、これが変わって行くことも大いにあり得る。それも良しと出来るくらいの柔軟性が必要さ。そうでないと、老婆の声に身も心も喰い尽くされてしまうんだからさ。そうそう、それで新江ノ島水族館はとっても楽しかったんだ。海月なんて最高だったよ!もう、美しいのなんのって。優雅に泳ぐ魚や人を見て僕はちょっと泣きそうになってしまったのはここだけの秘密さ。それとね、こんなこと言いながらなんだけど、水槽に入れられた魚や動物を見て「人間もいつの間にかこんな風に水槽に入れられて、人に飼育され、人に監視されているんだ」なんて思ってたことはここだけの話。笑 人間ならまだいいなんて思うのかな。猿の惑星は逆転しているだろう!とか言ってしまうのかな。僕はそういうことを考えてしまうんだからさ。水族館は楽しいと思いながらも、内心はそんなこと考えてる。人は同時に様々なことを思考しているのかもね。もしかしたら宇宙自体が水槽みたいなもんだったりしてね。星は水の中を漂っているんだ。ふわふわ優雅に。そして僕たちは飼育され、監視されているってことさ。宇宙の外側からね。

 

 

f:id:mizokoji:20170502100118j:plain

水族館はみーさんの甥っ子ちゃん達と行ってきたんだ。

子供の成長って早い。

 

老婆も実は実在していたりね。

僕はもう現れた人は参考にして全て、作品の中に取り込んでしまおうと思っている。

そうすると、なんてことない日常も活きてくるってもんでしょう。