溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

スタバの様子と死後について。

スタバの様子がイメージと違ったこと

 今日はいつもと様子が違う。書いているは書いているんだけど、全くもって違う。うーんと違う。雲泥の差がある。でも、どっちが良いとか悪いとかじゃない。そう、今は書いてる場所が違う。いつもは部屋の中で書いてるのだけど、今日は鎌倉駅前のスタバで書き始めたんだ。今日はみーさんを誘って朝からスタバに来た。なんせ、同一種類のドリンクがもう1杯無料のチケットを持っているんだから!そんなことがない限り、人を誘うなんて恐れ多いんだから。なんせ内向的なもんだからさ。それにしても朝早くから鎌倉は賑わっている。なんせゴールデンウィークなもんで。そんなことすっかり忘れていたよ。一体何人の人とすれ違ったのだろうなんて思ったりする。そうそう、それでこのスタバは2階建て。隣のよく行くエクセルシオールも2階建て。2階っていうのが案外落ち着くんだ。扉が開いてお客さんが出入りするわけでもないし、店員さんの声が聞こえないから、なんだかそういう方が落ち着く。あんまり店員さんがいるとちょっと見られていたり、気になってしまったりする。自意識過剰だなーなんて思わないで欲しいんだけど、本当にそうなんだから仕方がない。だって、もしかしたら怒られるんじゃないかなんて考えてしまったりもするんだから。今、目の前ではみーさんが読書をしている。「冒険が始まったよ!」なんて言っていたけど、ページはもう後半に差し掛かっている。でも、きっとハラハラドキドキしているんだろうなと思う。そして、僕の右隣には窓際の席がある。5人座れる。そこはすべて埋まっているんだけど、僕は正直驚いている。「こりゃあ、大変だ!」ってね。だって考えて見て欲しいんだ。スタバといえば、Appleじゃないか。みんなMacBook Airだったり、ちょっとお仕事してそうな人はMacBook Proを使ってる。だけど、ここは一味違う。5人全員、Windowsを使っている!珍しいこともあるもんだなんてね。そのうちひとりの女性のカバンから「あした死ぬかもよ?」という、ひすいこたろうさんの本がチラッと顔を覗かせている。「あぁ、この本読んだな」と、ちょっぴり思い出した。その本には「あした死ぬとしたら」という前提のもと様々なワークが用意されている。僕はその本を読んで、死因について考えたんだ。どんな死に方がいいだろうって。そうして思いついた死因は"満足死"だった。数年前はそんな風に死にたいくらいだったが、今となっては割と設定が出来上がりつつあり面白い。

 

死んだ後のこと

 僕は88歳だった。88年もよく生きたもんだ。88年生まれだし、なんか縁起がいい数字みたいだ。8は龍が好む数字なんだよ。僕は辰年でもあるしね。布団って暖かくてこれたまらなかったな。子供の頃から変わらなかった。いつまで経っても最高だった。こんなに素晴らしい物をよくぞ発明してくれたなと思う。布団は誰が発明したんだろう。知らないけど、知らなくてもいいか。そうそう、僕いま体からは抜けちゃってるんですよ。「なんでそんなことわかるんだ」なんて言わずにね。それはその時が来たらわかるんだからさ。「この後どこに行くのか教えて欲しいって?」みんな知りたがりだな。やっぱり興味があるんだね。死んだ後って。よーく耳を傾けてみて欲しい。なにか聞こえて来るはずだから。今の君でも分かるんじゃないかな?悪い場所ではないよ。そして良いとも言えない。なんたって僕にはもうそんな概念はないんだからさ。そうそう、割と楽しい人生だったことは伝えておきたい。なんせ「残念ですが、満足死です」なんてお医者さんに言われる始末だからさ。「こんなことは初めてです」だって。ようはこういうことさ。僕たち人間っていうのはさ、自分の欲求を満たすために生きている。それは最初エゴと言われるんだ。だけど、そのエゴが満たされて行くとね、やっぱり人は誰かのために生きたくなるもんなんだ。それは、自己犠牲とは全く違うものさ。エゴが満たされることで、そこから愛が溢れ出すってこと。分かるかな。今は自分のためと思ってやっていることがあるとするでしょう?それが次第に、誰かのために変わり始めるんだ。これは意図するものなんかじゃないよ。「人に愛されたいが、人を愛したい」という気持ちに変わるんだ。そうすると、一人が二人になる。それがどんどん広がって、地球全体、宇宙全体になっていく。あっそうそう、僕は芸術家だったからね。常に作り続けていた。その時は独りぼっちさ。だけどね、独りぼっちからしか愛は生まれないんだよ。孤独をどれだけ愛せるかさ。すなわち自分自身ってこと。孤独は自分を取り巻く人や物を愛するってことなんだ。愛していると伝えることなんだ。そうすることで孤独を愛せるようになって行く。矛盾しているようなんだけどそういうことだよ。さて、なんの話をしていたんだっけ。そうだそうだ、そんなことしてたら満足死に至ったってことね。僕は20代中盤過ぎるまで芸術なんて全く縁もゆかりもなかったんだけど、なんで芸術家になったのか伝えよう。答えは簡単さ。たまたま鎌倉住んでいた時に会った、さをり織りをしている奥様に「彼は芸術家なんです!」って言われたからさ。その時に僕は芸術家と名乗ればいいかと思った。「僕は僕で、肩書きなんてありません」なんてずっと言ってたけど、芸術家と言ってもらったしそう振る舞えばいいかと軽い気持ちで始めた。僕は肩書きを泳ごうと思ったんだ。だって、その時もこれまでもずっと言葉を書いてたし、絵を描いてたし、布を織ってたし、ギターを弾いて歌ってた。その頃からこれまでやってることはあんまり変わらなかったな。時には詩人や画家って言われる。時には、作家や音楽家だともね。そしてセラピストだとか、ヒーラーだとかもう見る人によって自由に僕の肩書きは変わってしまうんだから、なんだってよかったのさ。大切だったのは"振る舞い"さ。「はい!そうですよ!」っていうね。だから役者でもあった。即興役者さ。だからひとまず設定を"芸術家"ってことにした。僕にとっては全てが芸術活動だった。それは、すなわち社会活動。重苦しい社会からの抜け道を見つけ、新たな社会を作る。自分の生きやすい世界を作るってことだった。ただ、現実の社会を変えるのは重っ苦しいもんだから、作品として創造を続けることにした。そんなことがきっかけかな。なんせずっとずっと生きづらかったからね。そして、こんなことを言い出してから、なんだか深いところで話をできる人が現れ始めた。彼ら彼女らは未だに僕の友達さ。さっき布団にいた僕にハグしたり、ハイタッチしてくれた。「うらやましいなー!早くそっちに生きたいぜ!」なんて言ってた。そう、みんな僕の死に際を見物しに来ていた。それにしても驚いたのは、妻のみーさんさ。28歳の時に結婚した。僕は部屋を片付けたり洗い物がすぐに出来ない。そういう当たり前のことがからっきし出来なかった。だけど、みーさんは仏のように僕の良いところを見ていてくれた。だから僕は安心して創作活動が出来たってこともある。孤独を愛そうなんて言いながら、出来た文章を見せ、描いた絵を見せ、織った布を見せ、出来た曲を聞かせ。そうやって僕の発表をいつもすぐそばで見て、聞いてくれたのはみーさんだったのだから。だからなによりもみーさんには感謝しなくてはね。といっても僕たちは一緒の布団で隣同士手をつないでいた。僕とみーさんは本当に仲良しで、相棒だったんだからね。まさか死ぬ時まで一緒だとは思ってもみなかったけど。「死ぬ時は一緒だ!」なんてふざけてみーさんが言ってたから本当になってしまったね。笑 これがお医者さんもびっくりの満足死さ。色々話してたけど飽きて来たから遊びにいきます。それじゃあ、こっちで待ってるねー。ばいび。

 

 

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この絵が「毛根の神」って思えて来ました。

 

気づいたら設定は出来ているもんである。

その時しっくりこなくても落ち込むことはないのである。

 

だって、ちゃんと出来るようになるんだからさ。