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溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

自制することで自由は生まれること。

声が増幅すること

 「いらっしゃいませ!」静かだったはずの店内に声が響き渡った。するとどうだろう。突然、声の波が押し寄せてきたんだ。正直驚いたよ。僕は読書していたいし、集中していた。そこに出てきた人の名前を調べていた。あっ、このことも話したいから先に話すね。その人が何をしていたのか知るんだ。そうすると、その人とはもうすっかり友達になれる。これから一緒にやってく仲間じゃないか。僕に任せておいてよってね。人が何しているのか知るんだ。そうするとさ、自分のしたいこと、やっていることと一致する部分がある。そこを探すんだ。そうして、すっかり友達になる。共に作り始める。決して一人で作ってなんかいないからね。自分の中にすっかり取り込んでしまうのさ。イタコ体質なんて言われるよ。だから、僕は空洞なのさ。自分なんてものは幻想だからね。そう、上手に取り込んでしまうのさ。様々な人を。全てが同じ、一致する人なんていない。行き来するんだ。人を行き来する。人は人で作られる。人は人から生まれるんだ。誰にでもなれるってことさ。そうそう、声の波が一気に押し寄せてきた!って話だ。声が聞こえた瞬間に周りでお話ししていた人たちの声が増幅したんだ。僕は慌てて音量を縮めた。どうやら僕に取り付けられた音量のメモリが勝手に動いてしまったようなんだ。これが困ってしまうんだよ。いつも誰かがイタズラすんるだからさ。こうやって気づいた時はいいんだけど、そうじゃない時はその音量のままに耳に入り込んでくる。僕はその情報量に追いつけなくなって、すっかり疲れ果てちまうんだからさ。今回は気づいて元どおりさ。まったく誰がそんなことするんだか。イタズラ好きな奴がいたもんだよね。まあ、そんな体なもんだから自分でうまく操縦しないといけないよね。イタズラされたってどうってことないくらいにね。

 

恐怖と関わること

 目が覚めると思考が巡り始めていたようだ。あれもこれもとやらなくては。アツウラは焦り始めた。「やらなちゃ、やらなくちゃ…」しかし体を動すことが出来なかった。「どうせやるんだから大丈夫だと、信頼しておくことだよ。」と、アヤが笑顔で言った。洗い物を終えて、洗濯物に取り掛かろうとしている。アツウラはかすれたような声で「そんなこと言ったって、やらなくちゃいけない。これは私の使命なんだ。やり続けないといけないのに、体が動かない。そんなことがあってたまるか。やらなくちゃいけないんだ。でないと何の意味もないのだ」「そうかなぁ?」アヤは洗濯物をパンパンと音を立てて干し始めている。「やれない時はやれないよ。だって恐怖に負けちゃってるんだもの。でもそれは過ぎ去っていくよ。嵐みたいなものだもん。雨や止むし、風は通り抜けていく。ずっとずっと止まることなんてしないんだよ。だから大丈夫よ。やれるって時がくるの。私は知っているよ。その時が来るまで英気を養っておく。その時が来た時に動き出せるようにね。まずは恐怖を感じることよ。恐怖は確かに存在するわ。でもそれを幻想と知ることよ。そして存在している恐怖を感じながらそれでも行動することよ。今は恐怖が増幅してしまっているだけ。きっと、穏やかになる時がくるわ。だから慌てることないわ」アツウラは焦っていた。焦燥感に駆られていた。なぜそんなに焦らずにいられるのかが分からなかったのだ。アツウラはまた布団に潜り込んで、貧乏ゆすりをした。

 

夢から覚めて考えたこと

 「アツウラアヤです。"マツウラ"ではなく"アツウラ"です。どうぞ宜しくお願いします」そこは今日行われるライブ会場だった。僕はアツウラさんの挨拶が一番印象に残っていた。なんせ中学生の頃に松浦亜弥は大ブームだったんだ。まさかこんなところで松浦亜弥って名前を聞くなんて思ってもみなくて、懐かしさのあまりすごく印象に残った。アツウラさんはジーンズにパーカーというシンプルな洋服を着ていた。アコギで弾き語りをするようだった。今日は僕もこのライブに出演することになっていたんだ。とんびという鎌倉観光客に向けたとんびの注意喚起の歌と、海でギターを弾いていて出来た曲。あとは七尾旅人さんのカバー曲をやろうと思っている。さあ、これからステージだというところで僕は目が覚めてしまった。起きた瞬間はボーッとしているが、気づけば思考し始めてしまう。「あぁ、やらなくちゃ」と考え始める。

 商品化なんて考えなくていい。そう思った。商品にしようとするからアイディアを出してなにか差別化を計らなくてはいけないと思ってしまう。その時点で僕と物は同一線上に存在しなくなる。僕は下から物を見上げることになるのだ。おかしなことだと思った。物を特別なものにしようとする必要なんてないのだ。物、それはすなわちお金だ。それでは、従来のものづくり、いまある経済の仕組みの中で働くことと何ら変わらなくなってしまう。生み出し方が違う。物を作ってお金に変えようとするからいけない。自分自身が貨幣になり、貨幣を発行していなくてはいけない。だから、僕と物は同一線上で共にいることが重要なのだ。そうなってようやく経済が回り始める。自分の経済を作るっていうこと。いまある経済の中で経済を回そうとするのではなく、まったく違う世界で自らの経済を持ち、いまある経済と交易すること。うまく言葉にならなくても体は反応している。そのことを忘れてはいけない。体は行きたい方向を知っているから。いまある退屈な苦しみから逃げ出そうとしている。それが体の反応。これこそが自分の地図だ。反応に耳を傾ける。触れる。感触を確かめるのだ。味はどうか。体は知っている。体が知っている。

 

 

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夢と現実を自由に行き来する。

夢は自由である。

現実もまた自由。

 

言葉という縛りが自由にする。

そうやって自制することで自由を生む。

 

自分の経済を持つ。

今の経済とは全く別のもの。

その経済をどう作るか、どう言葉にしていくかですのん。

 

アツウラアヤさん、どこにいるかしら。笑