溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

しまい込んでいたことはそのままにしておくことは出来ないこと。

内側にあった情熱

 ぼくが安全なことしか言わなくなってしまったのはなぜですか。今覚えていることがあります。ぼくは野球をやっていました。だから野球が上手くなりたいと思うことは当たり前でした。普通だと思っていました。そのために練習するのだから、周りのことよりも自分はどうしたいかが大切だと思っていました。しかし、周りの人はそうではないようでした。そういう人間は煙たがられ、話しかけられなくなり、必要以上の罵声が飛び交います。それでも別に構いませんでした。ぼくは野球が好きだったからです。やっぱり分からなかったんです。「野球を好きでやっているのに、野球に集中せずに、なぜそんなに群れる必要があるのか。練習をサボってどうするのか。タバコ吸ってどうするのか」が。しかし、次第にそれはエスカレートしネット上での誹謗中傷が始まりました。誰が書いているのかはわかりません。ぼくはそのことで恐怖を覚えました。それは高校生の時でした。全ての人が敵に見えました。自分という存在を見られたくないと、消えたいと思ったのです。些細なことでまた何を書かれるか分からない。しかも、ネット上という広い場所に書かれてしまった。何も気にしていない顔をするのは大変でした。その頃からです。希死念慮というものを自覚したのは。「もう死にたい」と、強く思いました。それからぼくは隠れるように生きました。大学に行ったらもっと違う自分になろうと決心しました。もう、自分を押し通すのではなく、人に合わせ、友達をたくさん作り、ふざけたことを言い合って、笑って楽しく過ごしたいと思いました。だから、お酒を浴びるほど飲んだり、ふざけたことや、下ネタのようなことをよく言っていました。すると周りの人は笑ってくれたのです。次第に学校内での知り合いも増え、少し人気者になったような気さえしました。しかしぼくのこころは一向に満たされなかった。自分を押し殺し、自分なんてものはすっかり忘れてしまったのですから。その状態が何年か続きました。心に穴が空いてしまいました。何か大切なものを失ってしまった状態です。それは野球をしていた時に持っていた"情熱的なぼく自身の姿"でした。私の中にあった情熱は奥底に追いやられ、ぼくは声を失っていきました。失声症です。言葉にならず、悲しみ、怒り、感情を顕にすることでしか表現できないこともありました。それは仕事をしている時もです。私はその自分の姿を恥じらいました。煙たがりました。「もっと、柔軟に飲み込みなよ、これが社会なんだから、もっと大人にならなくてはいけない」とすら思っていました。私は野球をしていたぼくを奥底へと追いやっていました。そうです。私自身が追いやりました。

 

高揚

 ぼくは休み時間、教室で中島くんに殴りかかった。思いっきり肩をめがけてパンチした。2、3回命中した。その瞬間なんとも言えない優越感に浸った。勝ち誇ったような気分になった。相手は反撃してこなかった。ぼくはいい気になった。清々しい気持ちさえした。ざまあみろと思った。もう1発お見舞いしてやろうと思った。小学生のぼくは気分がひどく高揚していた。気づくとぼくは体当たりされ、壁に激突した。中島くんはぼくに体当たりをした。ぼくはその瞬間我に返っていた。ぼくは目に涙を浮かべた。友人が何人か止めに入った。その後ぼくはひどく落ち込んだ。とんでもないことをしてしまったと思った。そして、壁に激突し呆然としてしまった自分への悔しさも込み上げていた。何かがおかしかったのだ。ぼくはおとなしい性格だった。喧嘩なんてしたいと思っていなかった。しかしその時、確かに興奮していた。人を殴ることに興奮していた。

 

劣等感

 鈴木君はおとなしかった。だから、殴った。他の人も殴っていた。だからぼくも殴っていいと思って殴った。鈴木君はおとなしいが体つきはがっちしりしていた。中学生になった男の子はみんな背が伸び始め、体型も筋肉質になってくる人が多い。ぼくは殴りながら焦っていた。ぼくの体はどう見たって男らしいとは言えなかった。線が細く筋肉もない。周りの男の子たちが力をつけていくのをぼくは恐れていた。自分の力の無さを自覚していた。明らかに体力が、筋力が他の男の子に比べ劣っていることを自覚していた。だから焦っていた。ぼくは強さが欲しかった。男らしさと強さが欲しかった。肉体的にも精神的にもだ。どうしてもぼくは弱々しいんだと嘆いた。どうしようもなかった。だから人を殴ることでなんとか自分を強く見せようとした。

 

しまい込んでいた者が顔を出す

「雇用形態とか関係ないと思うんです。アルバイトだって派遣だって、やりがいを持って働くことはできると思います。上からの命令があって奴隷のように数字を追いかけるんじゃなくて、一人一人が真剣に自分のことを考えて仕事に向かわないといけないと思うんです。」

「あなたの言っていることはもっともだけど、みんながみんなやる気があって、あなたのように出来るわけじゃないからさ」これは私に向けられた一言でした。上司と言われる人の言葉でした。当時、私はこの言葉にひどく怒りを覚えました。どうして、人はみんなこうなのかと思いました。しかし、一番向き合わなくてはいけないのは私自身でした。相変わらず上っ面で表面的な自分を演じていました。時折、こういう真剣な姿が現れてしまうのですから、きっと周りの人も驚いたに違いありません。それに、なんでそんなことを口に出してしまうのかが不満で仕方ありませんでした。もっと静かに生きたいと思っていました。おとなしくしたいと思っていました。それができない自分にうんざりしていました。

 

 

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あの頃のぼくには劣等感と高揚感があった。

しまい込んでいたはずの姿がなんども現れていた。

 

 

出てくるたびに後悔した。

おとなしくしてくれと思った。

 

だけど、しまっておくことはもうしなくていいと思った。

 

 

長いものに巻かれる必要も、誰かと意見を合わせることもないのだ。

自分の言語が失われていることに気付かなくてはいけない。

それが危険だということを知らなくてはいけない。

 

「男でも女でもどっちでもいいよ」とみーさんに言われた。

どっちだっていいのだ。

どっちでもないのだから。