溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

ここに書かれているのは願いであり、叫びである。

出力

 人には出力のようなものがあり、扱う物によってその出力方法は変わってくる。ここで書くことも、人に見られぬ場所で書くことも、物語を書こうとすることも、全て出力が違うのだ。うまく文字が出てこないこともあるけれど、それでも書き続けたら良いのだ。絵を描くこともそうだ。僕は絵を描きたいと思いながら、結果イラストのようになってしまうこともある。それはそれで良い。それも今しか描けないからだ。その精度をあげていくこと。今を積み重ねていくこと。ありきたりなこの言葉をただ継続していくこと。大切なことは「続けること、やめないこと」なのである。僕はこのメッセージに忠実に生きると決めた。だから、やっている。やめないのだ。例え形が変わっていこうとも、やめることは出来ないのだ。誰も止めることは出来ないのだ。排泄だからだ。循環だからだ。何を書くかはあまり重要ではない。どれだけ書いたかが重要である。ドローイングだ。散文でいい。それこそがいい。まとめることを考え始めてはいけない。とにかく生み出し続けることだ。行為をやめないことだ。その行いをやめないことだ。続けなさい。どんな形でも構いません。呼吸するように続けなさい。

 

嫉妬

 アーティストの友人から送られて来た文面に僕は嫉妬してしまった。文才がある。ユーモアがある。人は嫉妬させるべきだと僕は学んだ。だから、とことん嫉妬させることだ。そうしたら、人は生きたいと思う。悔しいと思う。その感情こそが大切なのだ。自分を奮い立たせるのだ。僕は人の才能にいちいち嫉妬する。羨ましいと思う。だから自分自身がやろうと決めた。悔しいからやってやろうと思った。しかし、最近思うのは僕は人の才能にいちいち気づいてしまうお節介な人間のようだ。人のことをとてもよく観察している。ある意味自分の国を持っているように、国の人々が困っていないか、悲しんでいないか、やりたいことはないか、どうしたら才能を活かせるかなど勝手に気にしてしまう。多分、どこかの総理大臣よりもよっぽどあなた個人を見ている。笑 別に行動に移すのはその人自身なので、やろうがやるまいがどちらでも良いのだが"多くを受け取っている人"というのは時期が来たら必ず何かしらをやることになると思っている。僕が嫉妬したその友人は「あなたは自分の深い海の中に潜りながら、他人の深い海の中まで入ってくることが出来る」みたいなことを言ってくれた。僕はいま以前とは違い、ほとんど人と会わないで生活をしているが、夢の中でかなりの人数の人に会っている。だから、すごく想いを馳せるのだ。あなたという人に。あなたがいま笑顔で生きているかが気になってしかたないのだ。社会の中で嫌な思いや、苦しい思いをしていないか気になって仕方ないのだ。と、僕は勝手に想いを巡らせている。普通に会社行って、酒飲んで、週末はボード行ってとか楽しんでるならそれでいい。何も言うことないもん。疑問も違和感もないんだもの。だけど、その瞬間に虚無感や違和感を感じるなら、少しずつその感覚に耳を澄ましたらいいと思う。僕は言うことはできる。あなたがどれだけ素晴らしいか伝えられる。だから僕を見ていてほしいと思う。勝手にどんどんやるから。

 

荒い篩

 これまで、心理学や深層心理を学んで、それでも何かもう一歩なんだという人こそ芸術家であり、アーティストなんだと僕は思った。それでなんとかなる人は大抵、ビジネスをする。現在ある政治や経済の中でやっていける。それならそれでいいのだ。そうでない人はもっと細かく、世の中を、自分自身を見ていかなくてはいけない。顕微鏡で見るよりもさらに細かく、粒子よりも細かく、社会を、自分自身を捉えていかなくてはいけないのだと思う。社会の目は荒い。今、言葉にされていることは大抵荒い目で出来た言葉だ。その篩からこぼれ落ちてしまうのだ。「私はその言葉の奥にいると思います」と言うのだ。だから、漂いを嗅ぎ分けなくてはいけないし、静寂に耳を澄ませなくてはいけない。それこそが僕は繊細な人が出来る仕事だと思っている。僕たちは0になる。そして、新たな空間を作り出す。それは建築とは全く別の建築だ。建物ではない。空間として作り上げる。ネバーランドのようなもの。その世界を作り出す。一人一人の中でその世界が起こる。一人一人が国を持ち、独自の国旗を持つのだ。それは孤独である。しかし、一人ではない。世界中に同じ感覚を持った人たちがいる。だから、独りになるのだ。力を発揮するためにだ。これこそが仕事である。今、最もやらなくてはいけない仕事だ。すぐに取り掛からなくてはいけない。すでに死者は出ているからである。生きながら死んでいる人が出てしまっている。それは国としていけないことではないか。人が死んでいるのだから。死骸が出なければ、人を殺してもいいと思っている社会で、口先だけの安心感で、口先だけの対話で生きていくことなど出来るのだろうか。疑問を持とう。いや、疑問を思い出そう。あなたが小さい時に抱いたその疑問こそ、あなたの使命である。もう、誰かに学びにいく必要はありません。あなたはもう持っているのだから。忘れているだけです。思い出せ。忘れるな。本当のことを知っていることを知っている。だから、忘れないでください。これは願いです。僕から子供達に対する願いです。

 

 

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Evernoteを使い始めて、もうここで書かなくてもいいかと思ったけど、ここだとまた違う文字が出てくるから面白い。

 

書き分けて、書く。

何を書くかではなく、文字を生み出していることが大切。

 

ここに書いているのは願いであり叫びである。