溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

なんとか主義の先にある見えないものを言葉にすること。

1日のこと

 正確な起床時間は分からなかった。詩が浮かび、そのままノートに書いた。ギターを手に取り1曲できた。「海にいる」という曲。10時ごろ起床とEvernoteに書き記す。書き始める。書き終えた頃、みーさんが洗濯物を干していたので手伝った。その後、作った歌を歌おうとしたらすっかりメロディを忘れていて焦る。寝起きで録音した鼻歌というかガラガラな声を聞いてなんとかメロディを思い出す。作った曲は録音しておかないと僕は忘れてしまうということがわかった。その後、みーさんが机の上でダンボールの切れ端や、紙に絵の具を塗っていた。なにやらそれらを乾かして、その後にお手製の箱を作るようだ。絵具を塗る作業に加わると、これはいいと思い立つ。昨日、絵を描いている紙を使い果たしてしまったけど、こんな風にあるもので作ればいいやと思った。みーさんはそのあたりの工夫とか知恵を持っていて、何かを自分の中に取り入れるのがうまい。僕はアホみたいにひとつのことしかやらないので、新しいことをやってみようと思った。そしたら色紙が5枚あることに気づき、ここにコラージュ作品を作り、1枚10,000円で売って、50,000円稼いで、画材を買おうと思った。芸術経済。思いついた言葉。あとで書く。

 お昼前になって僕は思い立つ。「SNS見過ぎじゃねえか」と。そのまま「SNSはお昼の30分」と紙に書き、誓約書を作りみーさんに渡す。そのままガラス戸の隙間に貼られる。そんな調子で、スケジュールを円グラフで書いて、これもガラス戸の隙間に。あとは、コラージュ作品のことも書いて、またガラス戸の隙間に。とにかく書き出して張り出したくなったのでやった。

 その後、図書館に行く。みーさんは図書館にDVDがあることを発見。僕と視点が違いすぎて驚く。みーさんは発見上手なのである。「これでいよいよTSUTAYAもいらなくなるかもしれない」と言っていた。その足で、銀行、駅前の東急ストア、スーパーやまかをはしご。途中、買い物疲れしてしまい、フレッシュネスバーガーに入って、コーヒーとチョコケーキのセットを頼む。僕はなにやら興奮し、みーさんがやっている段ボールなどの色ぬりのセンスに「あなたはすごすぎる。あなたの刺激を受け、私もコラージュ作品作りをすることにした」とお礼する。みーさんは疲れていて「お、おう」って感じだったので、おとなしくコーヒーを飲む。みーさんはジンジャーレモネードを飲んでいて、飲むたびに元気が出てくるようだった。「よし、買い物いこう!」と、元気よく言ったが、僕のコーヒはまだ半分残っていたので「すみません、飲んでからでもいでしょうか?」と確認しその後買い物に向かった。

 前の日の冷やし中華を二人で食べる。僕が麺を茹でて、みーさんが卵焼きを作ったり、トマトとハムを切ってくれた。コーンも載せて。食後にバニラアイスにきな粉と黒蜜を添えて。ハマっている。mii美映画の授業1作目は「東京ゴッドファーザーズ」は食後に。2作目のチャップリンの「モダンタイムス」は夜に観た。

 1作目を観終えてギターをしに海へ向かった。東京ゴッドファーザーズはアニメ映画で、見ていて元気の出てくるような内容だった。そのテンションのまま海に到着したのは7時ごろだった。いつもの丘の上にやってくるとその下の方でカップルらしき二人が抱き合っていた。僕が来た時にはもうこの状態だった。結局8時前までずっと抱き合っていた。すごい体力だと感心した。以前の僕だったら、こんな状況を前にして歌うことはできなかっただろうから、おとなしく家に帰っていたと思うが今日は違った。そのままいつも通りに歌った。もちろん少しの気遣いはした。失恋の曲なんて歌わないように。「小さな恋の歌」とか歌ってみた。数メートル先には愛し合う二人。その愛をぶち壊すわけにはいかないのである。ようやく二人が一人ずつになったのは8時前のことだった。僕の横を通り過ぎた時、「パチパチ」と拍手をしてくれた(ような気がした)こういうのは気がしたらそう思っておけばいいと思った。拍手されたら嬉しいし、今日のライブは大成功ということになる。二人がいなくなり、なんだか帰りたくなったので僕も帰り支度をして家に帰った。

 カフカの「城」を読み始めた。第1章を読んだ。その後チャップリンの「モダンタイムス」を鑑賞。チャップリンの社会批判はどこか響いてくるものがある。それでも明るく前向きなチャップリンの言葉は好きである。チャップリン"の"明るく前向きな言葉は好きである。その後、お風呂に入って、なんとか主義とかなんとか経済とかそういうことを考えて眠った。

 

芸術主義とか感性経済とか色々

 僕たちは結局のところ"なんとか主義"とか"なんとか経済"とかそういうものに括られているのだと思った。「あの人はなんとか主義のような考え方だよね」みたいな。そういう思想のようなものは、昔から考えられていて、自分に当てはまりそうな思想というものがある。しかし、それこそが僕たちを無意識で縛り付け、思考停止させる罠のような気がした。大げさかもしれないが、そうやって右とか左とか、なんとか派とか、日本は資本主義経済だからとか、価値観が形成されていく。ベースとしてはいい。「国として、チームとしての基本方針はこれで行きましょう」はあってもいいのかもしれない。けれども「僕はこのへんの人間かな」なんて思うことがいけないようだ。その思考から抜け出さなくてはいけない。とってつけたものは結局当てはまらないのだから。だからこそ、自分で作らなくてはいけないのだと思った。それで思い浮かんだのが、「芸術経済」とか「芸術主義」みたいなこと。これは現在の経済とか主義の中では僕は資本主義でもあり、社会主義でもあり、芸術主義でいこうと思っていることを言いたい。民主主義ってことなのか。よくわからないけど書き進めてみる。大切なのはその先なのである。見えない世界を作り上げるってことだ。こういうと怪しいのか。「見えない空間を自分で作り出し、声なき声に耳を傾けること」それを自らの経済にしていく。芸術経済。とことん人の深いところを見る、聞く、肌で感じる。人の中にいる子供を楽しませ、喜ばせる。感性経済なのかもしれない。繊細経済。感受性経済。それこそを経済、政治として、見えない空間を作りだす。仮想空間を立ち上げる。繊細さと感受性で世界を作り上げる。固く動かないコンクリートのような現実ではなく"脆く弱い力強い現実"を自ら作り出す。海のような、風のような現実。流れていく夢。空を想う。天を見上げる。空にある。広い空にある。空間を広げる。現実とは違う層に世界を織り上げる。

 

 

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それでも書きます。

とにかく書きます。

ずっと抱いていることを書きたい。

伝えいたい。

 

自分の感じていることを知りたい。

誰かが言っていることからでなく、自分の口から伝えたい。