溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

言葉を生むためのフィールドワークをする。

生と死の繰り返し

 人には大きな一つの流れがあり、その流れが終わるとこれまでは死に、また新しく大きな一つの流れがやってくる。新たな生命が誕生する。これはすごく短い視点で見ている。全体で見れば、大した流れではないのだが、短く見るとそれは大変な流れのように感じる。ここからまた始めることが出来るのだろうかと思ったりもする。それでも結局は続けて行くことしか出来ず、目の前の不安など幻想に過ぎないのだと気づくしかない。死んでは生まれを繰り返すのだ。ただ、続けて行く。やめないのだ。永遠運動。永続。自分から生み出し続けるのだ。それは一人ではない。独りではある。それでいい。口を開く。解放。好き勝手ではない。そこには意志がある。強い意志。作るという意志。示すという意志。重たくはない。極めて軽い。風に飛ばされて行く。それでもその意志が消えることはない。永遠に生き続ける。飛び続ける。運動を止めることはない。停止はない。止まっているようで止まっていないのだ。微かに揺れていた。風は微かに揺れていたのだ。体は揺れていた。揺れから生まれる。体は揺れる。揺らぎから音楽が流れる。滑らかになり始める。現実と空間との接続部。滑らかにするための。切り分けないための接続。それが音楽。現実から切り離しているわけではない。空間がある。別次元の空間。自由に飛び回る。風の悪戯で次元を飛び回る。それでいい。私はあぐらをかいて座っていた。地べたに腰掛けた。アスファルトの上。その下には土がある。そこに座った。腰掛けていた。そこで飛び回ったのだ。風が飛ばした。綿毛のようにふわふわと飛んで行った。地に足は付いていた。それでも飛んでいた。空へ、大地へ飛んだ。大地の中へ飛んで行った。あぐらをかいたまま、アスファルトに座ったまま、遠く遠くへと飛んだ。ここにいいた。意志はここで立ち止まっていた。それは響きとして広がった。静かになった。確かに声は響いていたし、車の音はしていた。ガソリンの匂いもした。ライトが目に入って眩しいと思った。それでもそこは静かだった。静けさが響き渡っていた。これは私が作っている空間である。静けさは存在するのである。それは音楽が導いた。音楽の中に静寂があった。飛び出したのだ。抜け出した。現実とは違う層への行き来を可能にした。それは空間だ。意識の空間。断層。断層からは香りがした。独特の香りだった。雨が降ったアスファルトの香りに似ていた。雨には香りがあったのだ。私は雨と似ていた。雨が空間を作った。私も雨だったのだ。雨と同じようだった。

 

フィールドワーク

 最近よく歌っている。カラオケに行かなくてもよくなった。海で歌えば良いし、路上でも歌えると知った。これは0円だった。0円で空間を作れるのだ。楽しみを生み出せるのだ。お金ばかりかかると思い込んでいただけだった。まったく別の空間がある。お金をかけなくても、出来ることはたくさんあるのだ。なければ作り出すという力がつく。こういうのが、東京に住んでいてなにもかもあって当たり前だった僕には欠けていたものだった。いや、知らないものだった。それは怖いもののように思ったし、危険なことのように思い込んでいた。空間は自分で作り出せるのだ。外に出てしまった方が安全だと知った。なにもない安全。空間はどこにでも存在する。現実の空間はどうも難しく感じてしまう。ここからここまではやって良い、やってはいけないと妙な線引きがある。ここは誰々の土地で、ここは国有地。ここは県が買い取った。そうやって線引きされていく。いったい、どこが公共の場なのか分からなくなってしまう。そうって自由とは程遠い生活になって行く。決められた世界でしかいけないように思えてくる。きっと、どこの国に行ったところでこれは存在する。自由に海外を生活送ってますとか、旅してますとかそういうことじゃないのだと思った。抜け道の見つけ方なのだと思った。公共を自ら作れるかどうかなのだと思った。公共の場を建築することなのだと思った。それが、作ることで見つかった。書くことで、描くことで、歌うことで、織ることで作り出した。それは道端に存在しているか。道端で探すのだ。フィールドワークをする。そして、そこで実際に行動を起こす。公共の空間を見つける。

 

買わない空間

 居場所がないと思っていたからなのかもしれない。ただ休憩するだけなのに、どこに行っても落ち着かないし、お金ばかりがかかると思っていたからなのかもしれない。だから空間というものが一つのテーマだった。目に見える空間ではなく、自らが立ち上げる空間。これが生きていくための鍵になるんじゃないかと思った。あまりにも窮屈で、どこに行っても居場所がないと感じていたから。だから自ら作り始めたのだと思った。自ら空間を作り、歩きながら公共のスペースを探す。生き続ける幅を広げる。拡張する。生きづらさを作り出しているのはガチガチの社会であり、自分自身だ。だから作るのだ。何度死んだって作るのだ。また生まれ続けるのだ。生きづらさを伝えるだけでは意味がない。そうじゃない空間があることを伝えなくてはいけない。結局そうやって、文字に言葉にしていくのだ。それがしたいからいろんなことをする。書いているだけでは、ダメなようだ。だから散歩する。風を浴びる。月を見る。道にいる、街路樹を花を見る。静寂を探す。そのために歩く。0円で見つける。豊かさを探す。買わずに見つける豊かさ。消費しない。生み出すのだ。自らが。

 

 

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結局、空間を居場所を書くために歩いている。

歌っているし、描いている。

 

文字に言葉にするためである。

言葉を作ろうとしている。

そうやって伝えたいと思っている。