溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

冷蔵庫の中と夢の中。

晩御飯と冷蔵庫

 作った炊き込みご飯がうまし。塩、てんさい糖、醤油、酒、みりん。人参を細切りに。ピューラーがないので皮を包丁で剥く。前よりも成長。大根の時はよりうまく向ける。人参は細くて慣れない。しめじの根っこをきって、半分に切る。しめじは安定。よく食卓に並ぶ。油揚げは冷凍されている。みーさんの指令により、冷蔵庫の配置は決まる。監督からの指示をみんな素直に聞き入れる。おとなしく、暗がりの中でちょこんと座っているのだ。冷蔵庫のしまっている世界を僕は見ることができない。おとなしいとは限らない。タバコ吸っているかもしれない。そのせいか、時折冷蔵庫から「ウィーン」って音がする。冷蔵庫の中で起こる不可解な事件。暴動。何が起こっているのだ冷蔵庫。一体全体どうしたんだ冷蔵庫。そしてそして、鮭をどどーんとまるまる2匹。鮭は土鍋に入れる前に、ちょっぴり焼いて、骨を取り除く。しっかり味が染み込んで。シャケは柔らかく炊き込まれたのである。あぁ、幸せ。ご飯って幸せだ。それを美味しいと言って食べてくれる人がいる幸せ。餃子を作って、一人で餃子を焼いて食べても、そんなに楽しいもんじゃない。飲み物買いに行ったみーさんが早く帰ってこないかと、窓から身を乗り出して待っていた。餃子を一人で食べるのはとても寂しことだ。例え大好きな餃子でもだ。どんなに好きだったとしても、手作りの餃子を一人で食べるのは寂しくて寂しくて仕方のないことだ。お味噌汁は冷蔵庫に入っていたものを温めて。日にちを置くと深みが出るのは、生きているから。味噌汁も生きているんだ。レタスとトマトにコーンを乗せて。特製のタレにちょっとの塩をまぶす。シャキシャキとした食感と、トマトのむにゅっとした食感。そしてトマトの液体が口に広がる。コーンは安定の食感。もぐもぐ。コーンの食感はどんな音だ。シャキッだろうか。コリコリとも聞こえる。最初の瞬間。そして甘みが広がりはじめる。コーンの甘み。レタスの味。トマトの味。みんな味がある。そう、一人一人に味がある。食感もある。食べる部位によっても変わる。僕は彼ら、彼女ら、どちらの性別か分からない人たちを食べる。お腹に入れる。そしてうんちする。そうやって生きている。うんちして生きているんだ。バカになんてしないでよね。堂々と「うんちしてきます」って言える学校生活だったらどれだけ幸せだっただろう。暗黙のうんちみたいなの嫌だよね。堂々とうんちだよ。やっぱり、自分から出るものが汚いとか、バカにするとか何やってるんだろう。出るもんなんだからさ。毛だって生える。抜ける時は抜ける。垢だって、鼻くそだって。みんな出る。バカになんて出来ないのだよ。っていう会議が冷蔵庫の中では日々繰り返されているのだ。

 

 夢の中で本当にたくさんの人と出会う。その度に、過去の記憶を思い出す。いい記憶だけではない。もう、忘れ去っていた嫌な記憶も僕はしっかり無意識で覚えているようだ。それでも、僕は夢を見続ける。もはやこれも一つの仕事だと思っている。夢と現実を接続するのだ。それが歌の役割である。だから、記憶がよく分からなくなる。よく会っている人もいるからだ。ふと、名前や顔を思い出すことがあるからだ。そういうことを思い出すと「僕はいまここにいます」と言いたくなります。「ここまで来ました。やってきました」と言いたくなります。あの頃の僕は「やりたいことが分からないと」嘆いていた。何が好きで、何がやりたいのか。何をしたいのか。そんなことすっかり忘れてしまっていた。しかし、何よりも言葉にする力や行動する勇気を持ち合わせていなかったのだと思います。未だに怖いことばかりです。人が怖いです。人目が怖くて仕方ないです。誹謗中傷とか、人に何言われるかとかそんなことばかり未だに気にしているのです。無視が怖いです。この世に存在していないように扱われることも怖いです。いろんなことが怖いです。お金がなくなることも未だに怖いと思います。だけど、なんとかなることもわかったのです。0円で人は自分の感性を蘇らせることができるとわかって来たのです。それは僕の部屋の中に置いてあった。実家の部屋の中に置いてあった。鉛筆が、絵の具が、紙が、ギターが。セミナーや講座に行っても見つからなかったものが、本を読んでも見つからなかったものが、そこにはすでにありました。部屋の中に存在していたのです。なんでもかんでも断捨離すればいいってものでもないんだと思いました。だけど、そこに残っていたものがありました。それをやっているだけです。きっと続けていくだけなのだと思います。こうして書き続けると思います。これは書いているというよりは空間を作っているのだと思います。自分の言葉を作ろうとしているのだと思います。そう思っています。すごく重要なことです。なんせここで自分は死ぬのですから。それでも生きています。そうやって生きているのです。そうやって表明しています。生を表明するのです。そして思うのです。人間関係。お金を使ってつながる関係はそこまでだと思うのです。講座とかセミナーとかそういうんじゃない。「あなたが好きだ。一緒にいたい。あなたのことをもっと知りたい。面白い。だから友達になろう」でいいじゃない。それでいいじゃない。

 

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夢の中でよく出会う。

「僕はここにいます。ここまできました。さぁ、あなたも」

 

炊き込みご飯おいしかった。