溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170622

カラスと鳩

 ぼくがいる場所は大通りとは違い路地になっている。その通りでは「もうカラスにやられていたわ。」「あら、嫌だ。もうカラスが来たのね」「いや〜、参りましたよ。カラスにやられていました」「いましたいました。もうカラスがいましたよ」何人もの人が、家の前を通るたびにカラスのことを語り出す。カラスがいる。そのことを、言っているのだろうか。カラスは飛ぶことが出来る。よく人を見ている。目の奥で。視野が広い。飛び込んでくる会話は批判的な声のように私は感じていた。カラスを批判する声だ。この通りでは、なんでもないような会話からこういった批判的な声まで様々耳に入ってくる。井戸端会議も行われる。私はただ、聞いているのだ。カラスもそうだ。ただ、見ているし聞いている。そして、食料を採取する。カラスにとってのゴミ捨て場は食料の宝庫だ。だから、啄ばむ。荒らされることが嫌なのだろう。しかし、カラスにとっては食料なのだ。人が出した食料である。カラスはそのことをよく知っている。そこに食料があることを。カラスを呼んでいるのは私たちの行いである。荒れることもまた私たちの行いのようである。そう言った。決してカラスのせいにするもんじゃありませんと言った。鳩もそう言った。鳩は糞をしながら言った。そこは青山にあるコンクリートの建物だった。どうやら有名な建築家が建てたらしいが、鳩はそこに住んでいる。鳩の住まいは青山。高級住宅街と言われる場所だ。そこに糞をする。当たり前のように糞をする。そこから生命が芽生える。糞から生命は芽生えるのだ。鳩を駆除することがなぜ出来るのだろうか。もともと住んでいたのは、暮らしていたのはどちらだろうか。追いやられて来たのだどっちだろうか。鳩は問いかけた。鳩はいつの日も問いかけている。

 

リコーダー

 笛の音が鳴り響いた。リコーダーの音色。それは突然現れる。「ピーィエー」「ププーピピプェー」「ピッピッピッピ」よく聞くとそれは寅さんの音楽だった。こういうのは突然舞い込んでくる。待っているわけではなく、ある日、ある時突然なのだ。決まった時刻に演奏されるわけでもない。リコーダーと声が混じり合った。リコーダーでは足りない音を声で代用した。喉の震えはリコーダの代わりとして十分な役割を果たした。私はその間、脚を揺らしていた。いつの日も揺らしている。体を揺らしているのだ。機械音が響く「ヴィーーーー」と機械音に変わる。これは生活の音だろうか。突然、舞い込んでくる。音。「カタカタカタカタカタ」震える。震えている。液体が飛び出た。震えた先から液体が飛び出ている。ヘリが飛んだ。何食わぬ顔で通り過ぎて行く。日常にある風景。当たり前の風景。ヘリの悍ましい音が街中にこだまする。それも当たり前の風景であり、日常である。音がなくなる。それは内側に入り込んだ時だ。私の中へ入り込んだ時、音はなくなる。静寂が訪れる。しかし、保つことはできない。すぐ小鳥の無く声に呼び戻される。目が覚めることと似ている。ハッと目が覚め、慌てふためいてる様子と似ている。大事なことを忘れてしまった。そのことを必死で思い出そうともがいている要すると似ている。確かに覚えていた。確かに見ていたし、触れていた。それなのに、どこかへ行ってしまう。体の中を通り抜けて行くだけだ。何の置き土産もない。頼りは余韻なのだ。そこにある余韻だけが頼りだ。

 

不純物

 確かさというのはそこには存在しない。正解というものも存在しない。ただ、主観と主観がぶつかり合うだけで、お互いが酩酊している。結局どちらも酔っている。ふるまっているだけなのだ。しかし、そのふるまいこそが必要になってくる。不純物を入れたまま錯乱する。撹乱する。不純物を取り除くことは決してしない。ただ、混ぜるのだ。混ぜ合わせる。排除しない。私たちはすぐに排除の対象になる。そのことを警告している。不純物として扱われる。ゴミとしてだ。カラスは私たちも同等に啄ばむ。それが食料であればの話だが。しかし、声を上げることはありません。排除されているからです。俺たちはゴミ同然の扱いを受けて来た。いつの日も臭いものに蓋をするように扱われて来た。体の中から排除される。正確には排除すら出来ていない。人間はそのことを知らない。排除したと思い込んですっかりいい気になっている。それは恐ろしいことだよ。溶けちまってるんだ。俺たちはとてつもない高温を発している。付着した部分を溶かす。追い出そうとしたからいけない。俺たちを追い出すなんて出来っこないのだからな。溶けていることも知らない。俺たちは不純物として扱われる。まるでないもののように。存在すべきでないように。存在すらしていなかったかのように無視されるのだ。俺には悲しみとか怒りとかそういう感情はない。ただ、無視されていることは知っているというだけだ。だから恨んでもいない。恨む必要すらない。なぜなら、人間は追い出した気になっているが決して追い出せていないし、排除すら出来て来ない。ただ増幅させているだけだ。

 

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追いやること、排除すること。

 

いつの日も繰り返されています。