溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170626

 ゆっちゃんと僕はもう何十年も連れ添ってきた仲だ。僕が生まれた時からゆっちゃんはもう日本で活動をしていたし、知らない人はいないほどの有名人だった。僕はすんなりゆっちゃんのことを受け入れたし、ゆっちゃんもすんなり僕に馴染んでいたようだった。しかし、しばらくするとゆっちゃんを巡って様々な論争が繰り広げられたのだ。ゆっちゃんは特に言葉を発することはなかった。誰が何を言おうと無言を貫いたのだ。ただ、その言葉を受け取っていた。その後、ゆっちゃんがどんな気持ちになっていったかは本人しか分からない。

「ゆっちゃんがいるから人はダメになるんだ」

「ゆっちゃんのおかげですごく助かっているよ」

「ゆっちゃんもっともっと来てくれよ」

「ゆっちゃんがもっともっと必要や」

 ゆっちゃんはとにかく引っ張りだこだった。ゆっちゃんの存在に評価を下すのはいつもゆっちゃんではなく、その人次第だった。ゆっちゃんはただ聞いている。それだけを徹底したのだ。僕はゆっちゃんに対して様々な意見を聞き、よく分からなくなってしまった。純粋にゆっちゃんのことが見れなくなっていった。「どこか裏があるんじゃないか」とすら思った。それでもゆっちゃんは僕のそばで静かに過ごしてくれてはいたし、今まで通りを装ってくれてはいた。しかし、僕はゆっちゃんのことを信じることができなくなっていった。僕自身がである。ゆっちゃんは決して人を判断することはないからだ。

 ある日僕は「ゆっちゃんはとある銀行からの回し者だ。奴は人の借金を増やしている。それも、内密に。あいつはスパイ同然だ。我々を食いつぶす気だ。そのことを気づかせないようにしている」ということを耳に挟んだ。まさかと思った。僕はゆっちゃんに問いかけた。少し荒々しくだ。なんでそんなことをしたんだと僕は叫んだ。しかし、ゆっちゃんはここでも沈黙を貫いていた。ゆっちゃんの姿勢から、僕はもう何を言ってもしょうがないのだと悟った。そこからだった。ゆっちゃんと僕の間に少しの距離が生まれた。僕はそういった様々な噂からゆっちゃんのことをすっかり信用しなくなったのだ。汚らわしいとすら思った。だから、出来るだけ一緒にいたいとも、触れたいとも、到底思えなかったのだ。

 僕がゆっちゃんと離れてから数年が経った。僕は何もなかったことを装いながら暮らしていた。あの日知ってしまったゆっちゃんの秘密を隠しながら。しかし、心のどこかでいつもゆっちゃんのことを気にかけてはいた。また、出会うことが出来るのなら、謝りたいとすら思った。僕はゆっちゃんに対して嘘をついていたと。僕がゆっちゃんを信じることができずに外へと追いやってしまったこと。また、あの頃みたいに。幼かった頃みたいに純粋にゆっちゃんと遊びたいと思った。しかし、今となってはもう遅いのかもしれなった。ゆっちゃんはもう何年も僕の前に姿を現さなくなってしまったんだから。それでもいつも通りの毎日が繰り返されていく。そんな毎日にしびれを切らした僕は、ゆっちゃんに手紙を書いた。「また、戻ってきて欲しい」と書き添えて。

 それから1週間ほど経ったある日、ゆっちゃんが久しぶりに僕の前に姿を現したのだ。僕は体調を崩しており布団の上で眠っていた。ゆっちゃんは何も言わずに僕の横に腰掛けた。すると、ゆっちゃんは僕の目元を覆うように手をかぶせた。痩せ細ったゆっちゃんの手は力こそないものの、重みがあった。僕はその重みを感じ取った。きっとこの数年間も様々な体験をしてきたのだ。ゆっちゃんの香りはハッカのような効果が僕にはあった。詰まっていた僕の鼻にゆっちゃんの香りは心地よく通り抜けていった。それに、覆われた目元に暖かくじんわりとなにか広がっていくような感覚を覚えたのだ。その時だった。僕ははたと気づいたのだ。僕はやはりゆっちゃんのことを誤解していたのだと。様々な噂がゆっちゃんには書き立てられる。僕はそれ故にゆっちゃん自身のことを見る目を失ってしまったのだ。いまこうして、ゆっちゃんの優しさを肌で感じ取り、爽やかな風を、香りを運んでくるゆっちゃんのその美しさを僕は忘れてしまっていたのだ。部屋は真っ暗だった。日もすっかり落ちていたからだ。部屋には小さいランプが一つ灯りをともしていた。僕はゆっちゃんの手を掴み、ゆっちゃんの顔をまじまじと見た。灯りに照らされたゆっちゃんの表情は透き通っていた。僕は、初めてゆっちゃんの表情をじっと見つめたのだ。少し日焼けしたその表情は輝いているように見えた。キラキラと美しい光を放っていたのだ。僕は、ゆっちゃんに向かって「ごめん」と伝えた。僕はゆっちゃんのことを誤解していたのだ。僕が見ていたのはゆっちゃんではなく噂だった。様々書き立てられた噂でゆっちゃんを見ていたのだ。ゆっちゃんは何も言わなかった。ただ「わかってくれて嬉しい」ということは僕にしっかりと伝わってきた。これまで表情一つ変えることなかったゆっちゃんが、少し笑っているように見えた。

 

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ゆっちゃん。

目元に置いたら、詰まっていた鼻も通って、目元にじんわりやさしく広がっていくような感じがして、いいやつでした。