溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170627

白い蝶々

 洗濯物を干していると白い蝶々が飛んで来た。家の前を通過し、忘れ物でもしたかのように慌てて振り向いて来た道を戻って行った。蝶々も考え事をしたり、物思いにふけったりするのだろうか。忘れ物をして自己嫌悪したり、反省したり。それでも蝶々はふわふわと飛んでいて、それが僕にとってまっすぐには到底見えないが、蝶々にとっては真っ直ぐであるかもしれず、僕は蝶々の飛んでいく軌跡をただ目で追うことしか出来ずにいた。いつのまにか梅雨入りしていたようで、曇り空が続いている。少しじめっとした空気が体にまとわりつく。まとわりついているのが空気なのか、僕から滲み出てる汗なのかは判別がつかないがきっと湿気を纏っていることに変わりはない。そして、やってくるのが蚊だ。虫がぷーんと鳴くと書いて蚊だ。蚊は夜這いを好む。寝ている間に、幾度となく僕に襲いかかる。おでこ2箇所。腕1箇所。まだまだ優しい方だろう。しかし、辛いのは左手薬指を刺されたことだ。指は痒いだけでなく痛みを伴う。かくたびに、痒いのか痛いのかよくわからなくなる。そういっている今も背中がなぜか痒いと感じる。ムズムズとする。こういった痒みだとかは何かのサインだったりするのだろうか。突然ぶるっとしたり、後ろに何かいるような気がしたりする。視界に入っている何かが動いているような気さえしてくる。

 

小さな精霊

 僕の目は見たいところしか見えていない。全体を見ることは出来ていない。その視界に入っている、一瞬何かが動いたと感じるあの瞬間僕が映し出している映像のなかで何が起こっているのだろうか。ちいさいおっさんがいる可能性だって否定はできない。だって確かに動いたような気がするし、突然「ガサッ」と音がするような時があるのだ。「お前、なにしとんねん!シャキッとせえ!シャキッと!」とか、転がり落ちたヤツが注意されている可能性だってあるのだ。きっと僕が見ている世界の中でも、見えていない世界があるのだろう。ほとんどが見えていないと言っていい。そこで日々取り交わされる人間との契約。「一応、気づいても、気づかんふりしといてください」ってヤツ。気づかれたら、彼らも、いや彼女らかもしれない。きっと生活がしづらくなってくるのだろう。こういうのが一度ニュースになれば人間は寄ってたかって集まってくるだろうし、彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらのこれまでの平和な生活の邪魔だってしかねない。それに、彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらはきっと人間がすぐ飽きてしまうことを知っている。

「人間ってやつはさ、飽きたらポイよ。ポポイのポイよ。もし、わしらが見つかったらきっと一瞬人が集まって、チョチョイノチョイなんよ。んで、気づいたらポポイのポイよ。風太くんとかどこ行ってんよ。」

 とか、言いだすかもしれない。とにかく彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらの生活は僕の盲目によって保たれているが、うすうす感づいている僕のことを彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらは日々監視している。

「あいつのことよう見といてな。バカ!音さすな!バレたらどうすんのよ?どないしてくれるのよ?お前、生贄やからな。一生生贄や。一生生贄てなんや。私、生涯生贄なものでとでも言うんかいよ。ええい、ともかく生贄やからな。気いつけい!しゃんとせい!生贄予備軍!」

 と、それはそれは日々戦々恐々としていることだってありうる。僕が感じ取ってる小さな精霊、すなわちちっさいおっさん、彼ら、いや彼女かもしれないヤツらはこうやって僕の生活空間に忍び寄って来ているのだ。とにかく僕たちは生活を優先している。どちらの生活に入り込もうとすることも実はない。ただ、ちょっとしたスペースの貸し借りの関係にある。そこに家賃は発生しなければ、契約書もない。そのスペースを使うことに関しては、誰の許可も必要ない。これは公共の場であるし、人間が管理できるものでもないからだ。しかし、彼ら、いや彼女かもしれないヤツらがここにおりまっせということについては契約が交わされる。書面的なものではない。しかし、それは契約なのだ。意思の疎通とでも言ったらいいかもしれない。その時点で、彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらにスペースを分けているとうことは自然と発生すると言うことだ。それについて語り合うこともなければいがみ合うこともない。互いに分けあって生活を進めるのだ。それは、とてもスムーズに、かつ自然に取り行われる。お互いが、自らが生活するスペースを知っているし、ある意味とても自立した関係であるのだ。だから、時に小さな精霊、すなわちちっさいおっさん、彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらが食料に困った時、僕はすんなり食料を分け与える。分け与えると言っても、僕から提供はしない。例えば、小さな精霊、すなわちちっさいおっさん、彼ら、いや彼女らかもしれないヤツらがキッチンで生活することを、暗黙の了解とすることだ。それはすごく絶妙な関係でお互いがバレているのを知っていながら、バレていないと装って生活を今まで通り行うということだった。だから、冷蔵庫に入っているバターやチーズが、大好きなイチゴジャムが多少減っていても気にすることはないし、元々の分量がこの分量だったと信じて疑わないのだ。こうやって、僕は、僕らは生活を共にしているのだ。そして僕はすっかりなくなったような気がする、大好きなイチゴジャムを眺めているのだ。

 

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見たいようにしか見ていないのだ。

都合よく、そして不都合に。

見たいように見ているのだ。