溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170703

メール

 友人から"地球になじめない人に向けてのメッセージ"という題名のメールが転送されて来た。僕はどうやら地球になじめていないと思われているようだ。「おいおい、勘弁してくれよ。オイラ立派に地球人やってるぜ。そりゃ、くる場所間違えたなんて思うこともあるし、未だに人間とうまく会話することできねぇ時だってぇある。ひとりになりてえなんてしょっちゅうよ。よく空を眺めるってぇもんだ。星を見たり、月をみたりな。その光を見ているとなぁ、見守ってくれているんだって思うんだ、これが。遠い星にいる、今は亡き父ちゃんや母ちゃん。そして勉学に励む妹が。妹よ、元気にやってるか。兄ちゃん、おめえのことは片時も忘れるこたぁねえさ。オイラ立派に地球人やってるさ。その姿見てておくんなせえ!手土産の一つや二つ持って、帰ってやるってもんでい。にいちゃん地球で頑張ってるかんな」と、まあようはオイラは地球になじめていないもんで、故郷の妹を思い浮かべてながら生活しているのである。ホームシックだ。まあその、とにかく突然面白いメール送ってくるなと朝から笑ってしまった。

 まあ、確かに世直ししに来た感覚というのは昔から持っている。社会とか会社とかそういう構造にイライラしていたり、そこでの人間関係がどうしてもなじめなかった。だからと言って「お前ら、ナンセンスだよ。全然ダメ。全くダメ。何をとってもダメ。」と、批判ばかりしてもしょうがないし、そういうやり口というのは僕がされていやだったことと全く同じであり、そうじゃないやり方がやっぱり良いと思うのである。ちょっとのユーモアを交えて。チャップリンのような姿勢が好きなのだと思います。自分のバカ真面目な悩みや考えを、いかにユーモアを交えて表現できるかというのは大切である。それに、誰かの考えを強制しても仕方がない。僕の絶望は結局誰とも本当にわかり合うことはできないという孤独感から来ているし、永遠に求め続けるのかもしないが、それは希望でもあり、だからこそ自分を表現することはごく当たり前の行為であり、誰にも遠慮や後ろめたい気持ちを持つことなどないということでもある。そういう、ふるまいから人を感動させ、行動を喚起することが僕のやることなのかもしれないと思っている。本当は嫉妬と言いたいけれど、僕は感動が好きだ。「自分も感動を起こしたい」というのは人の当たり前の行為のように思う。固まってしまった涙腺を緩めるのである。感動から行動喚起を起こす、そういうユーモア。

 

夏の集中

 夏が近づくにつれて起床時間が早まって行く。暑いので自然に目が覚めるのかもしれないが、これまでは起きたらそのまま朝から行動することが多い記憶がある。去年は、絵を描いたり、布を織ったりしていたような。多分、季節によっての過ごし方があるのだと思っている。そういう過ごし方というのは特に教わることはなかったし、自分の体調と季節に合わせた生活を心がけたいとふと思った。今の季節は行動的になれる時期でもあるような気がする。ここから実りの秋に向けて行動し、ぐんぐん成長して行くのである。なんとなくそんな周期で自分は生きて来たように思う。もしかしたら、冬と春は体が固まってしまい、そこから夏に向けての期間は最も苦手なのかもしれない。苦手というよりは、寒い季節から暑い季節へ体を馴染ませるのに時間がかかる。徐々に体を溶かして行くのだが、冬でカチンコチンに固まった体を溶かして行くのは僕にとってはまだまだ慣れない作業なのだ。多分、ピークは秋。秋の空気感、哀愁漂う感じが好き。そこがもっとも自分の空気に近いのだと思う。やっぱり秋生まれ。なので大きなことをするなら、その季節がいいのだと思っている。という、なんとなくの仮説を立てる。いま、あまり集中していない。なんせ、暑いからだ。結局夏は座って集中するのが大変なのだ。

 

混在

 そうか、鎌倉には神さまとか仏様とか精霊とか混在しているんだと思った。神社やお寺もたくさんあって、海や山も近い。なんとなく居心地が良いのは、そういう混在感なのかと思った。もちろん東京とは時間の流れが違い、どこかゆったりとした時間を感じることも出来るが、そもそもはいろんなお方たちが混在して、ともに生きているその感じが良いのだと思った。一つの何かに縛られるというよりは、様々な何かが混在、乱立するその無秩序感が好きだし、居心地が良いのだと思った。けれど、人間の無秩序感はあまり好きではないのだとふと思う。配慮がない人間の無秩序は辛いのである。多少の気遣いとかやっぱり必要なのである。例えば、声の音量。ただうるさいのやめてほしい。ピーピー、ギャーギャーは苦手である。そんなに大音量で発しなくても、ちゃんと届くのである。響きがあれば届くのである。音量ではなく響きで伝えよう。意見が違っても聞く耳を持つのである。批判的、攻撃的な態度ではなく、静寂に耳を傾け対話するのである。相手を通して自分を見るのである。いつの日も自分だ。自分大好き。自分が一番。いえい。

 

f:id:mizokoji:20170704090409j:plain

朝から暑いのう。

今日はネット切って過ごそうかな。