溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170706

変化

 確かにあの頃とは変わってしまうことがあるのかもしれません。あの頃、好きだったものが今となってはその気持ちと少しズレてしまうこともあるのかもしれません。しかし、あの頃、好きだったというその感覚は体の中に変わらずあり続けますし、今が違かったとしてもそれは、今そう感じていると言うことであります。全体的に好きと言うものがより細かくなったのかもしれません。この部分は変わらず好きで、その他の部分はあの頃とは違う考えに至ったと言うことなのかもしれません。より、細かく知って行くことです。ひとつをより細かく見て行くのです。全体をもっともっと細かく見ていきます。よりよい見方ができるのかもしれません。冷静な目で見れるのかもしれません。ものを見るのは見続けることであり、感じ取り続けることです。あの頃と変わらず好きな部分もあれば、今は違う意見だと言うこともあって当たり前であり、それが正常であるのです。私は変化します。変化し続けるのです。球体になるときもあれば、突起物になるときもあります。砂浜に突起物が突如現れることがあるようにそれと同様に、私は前触れなく変化を起こし続けるのです。

 

終わり

 月明かりが魅惑的に見えたし、買い物袋はガサゴソと歩くたび音を立てていました。炭酸の刺激が欲しくなるときもあれば、ナタデココの食感が、あのムニュっという食感の「あうんんん」という感覚を味わいたい時があるのです。それは空腹にはなかなかもってこいであったし、炭酸のあのシュワァという刺激も相まって、僕の体を満たしてくれていた。麻でできた服は、軽くて、着心地が良かったし、綿の素材の服が多い僕にとってこの夏を過ごす心強い味方になりそうだった。麻はパリッとしている印象があるが、どこか繊細だ。あまり強い刺激を与えすぎてはいけないように思った。風は遠慮することなく体の中を通り抜けていった。どこか、肌に触れる風は優しかったし、体を軽くしてくれるようだった。それに、とても涼しくて嬉しくなった。風がほてった体を冷やしてくれているようで、とてもとても嬉しかったのだ。月は雲で見え隠れしていたし、星は何個か雲の隙間から顔を覗かせた。夏の夜空はどこか眼差しを感じます。ただ、見られているようなそんな感覚になります。それは星になっていった者たちの視線であり、その眼差しを感じるたびに、胸が締め付けられるようなそんな気持ちになります。もう、夏は始まっているのだろうか。夏の終わりの切ない夜をもう思い浮かべてしまっている。夏は切ないのだ。儚い。すぐに消えて無くなってしまう。それなのに夏だからとどこか明るく振る舞う。もう夏は始まっているのだろうか。始まったばかりなのに終わりのことを考えてしまう。なんでも終わりがあることを知っている。そのことがどうしても切なく、変えられない運命であることを察知する。だから、いま夜空を見上げるし、風を受け入れる。今こうして感じることの出来る自分にいつか終わりが来ることも知っている。終わりまでの波はなだらかになるのかもしれない、そうではないのかもしれない。それでも、今はこうして月を見ることが星を見ることが、風を感じることが、人がいると感じることがどれほど幸せなことかと思うのです。また、どこか一人。また、どこか一人遠い場所へと行かねばならぬ時が来るのかもしれませんが、それでも今は幸せだと、幸福であるとそう思って焼きそばを食べたのでした。キャベツともやしとウインナー。あと玉ねぎ。オレンジジュースは冷たくて、ビールを一口飲んだ時みたいな声が出た。

 

花火と水

 海に行くと花火をしている人たちが何組かいた。スーツ姿ではしゃぐ人。男女二人組の若い人。花火はしてないけど、一人でぼーっと座っている人。それぞれがそれぞれの場所で、したいように楽しんで、自分の時間を生きているように見え。それは昔、憧れた夏の姿のように思ったし、少し胸のあたりがじんわりして来る。公園で、若い男女が水風船みたいなのでびちょびちょになりながら遊んでいた。今しか出来ないことを全力でやっているようなそんな気がした。「あんな風にはしゃいだりするの憧れたけど、あんな風にびちょびちょにされるの絶対不貞腐れると思う。」と、僕は言った。「あなたそうでしょうね。」と、みーさんが言った。夏に友達と水かけあいながらはしゃいだり、夜に花火したり、そういうのがいいなと思っていた。それでも僕は眠くなってしまうし、帰りたいと思ってしまうことがあった。どこかに帰りたいと。どこか水浸しになることにも、花火にも居場所はないような気がして、どこかに帰りたいとそう思っていた。夏が来るたびにそんな気持ちになっていた。そういうのがなんとなく切なかった。心のどこかで楽しめていない自分がいて、そういうのがなんなのか分からなくて。そういうのがなんかこう悲しかった。一人なのだと思った。どこか目の前にある、現実に繋がりを感じれず、居場所を見出せなかった。それでも、忘れることはないし覚えている。これまで出会った人に。共に過ごしたことを。夏はそういうことを思い出させる。それにいつも会っている。夢の中であっている。だから、よく会っている。あまり久しぶりじゃない。

 

f:id:mizokoji:20170706121500j:plain

夏の気持ちは何か思い出させる。

ちょっとそこに浸りたい。