溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170707

本物

 あの時のことは忘れません。あなたが笑顔で迎え入れてくれたこと。僕はなぜか掃除をしていた。訪れた場所で掃除をした。別に嫌だとも思わなかった。ただやろうと思った。初めて訪れた場所を掃除した。そこにはタバコの吸殻が落ちていたし、ゴミが落ちていた。そういうのを拾ったりもした。それがもう何年も前の話であると思うと不思議な気持ちになる。確かに僕はあの時、カンボジアにいた。一人で。何かを見つけようと、何かを掴もうとして、そこにいた。英語も喋ることが出来ないのに、一人でそこにいた。

 「僕はね、本物を作っているんだよ」

 笑顔を見せながらあなたは僕にそう言った。その一言が僕の問いとしていまでも残り続けている。その言葉の答えを見つけたかったというよりは、あの時あなたがその言葉を言った時に纏っていたその空気が、僕は忘れられなかった。しかし、それは纏うものではないのかもしれないといま思えている。思考し行動し続けた人から滲み出る香りがある。そして、人を惹きつける声がある。音楽がある。それを肌で感じた。それは纏うものではなかった。

 

落ち葉

 あの頃の僕は迷っていた。一体何がしたいのか。何にも夢中になれず、足掻いていた。自分はなんのために生まれてきたのか。なぜ生きているのか。そのことが分からずにいた。生きている意味とは何か、一体何がしたいのか。どんなに考えても、何も答えを出せずにいた。

 あなたは自身で村を作り、森を作っていた。その村では、布を作るための素材が自然から、そこに住む人たちの手から生み出されていた。そこには土があったし、落ち葉のことをお金といった。それは染めるための材料になる。すなわちお金だと。

 この感覚だと思った。自分で生み出す。自らがお金を生産する。そして、お金自体になる。発行する。自らが発行する。ゴミとして捨てられてしまうものをお金に変えることが出来る。木から落ちていた落ち葉。それがお金であるし、材料である。素材は村で生まれていた。土があるからだ。森があるからだ。

 

睡眠

 また、眠っていた。最近、気がつくと眠っている。とにかく眠たいのだ。眠ることで整理している。情報を、思考を。そのことに気がついて、寝ることも仕事のうちだと思った。刺激が多いですからね。気づかぬうちにたくさんのことを体はキャッチしていますから。そのことを整理する時間が必要なのです。多く情報をキャッチする人はなおさらです。だから、眠い時は眠るのです。それは体からのサインだからです。それを怠け者と言ってはいけません。決して怠けているわけではないのです。生命活動だからです。それは人としての活動だからです。それを、怠ることこそ怠け者なのです。生命の活動を怠って、人のことを怠け物と言う。そんなことがあっていいものですか。そのことに気がつかなくてはいけない。大地はそのことをいつも伝えているし、体もそのことを知っている。土から遠ざかってはいけない。空に手を伸ばしなさい。届きますから。手を伸ばした瞬間に、あなたは空に近づいています。水なりなさい。あなたは水自体です。夢なのです。夢自体になりなさい。それがあなたです。夢を夢と思わないでください。真剣に向き合おうとしてみてください。夢を見なさい。夢こそが真実であるのです。思考が作り出す、世界を現実としてしっかりと捉えなさい。そして、向き合いなさい。あなたはしっかりとその空間を生み出し、皮膚で感じ取っています。そのことをただ、見聞きしなさい。あなたが傷と思っているその傷は、傷ですらないのかもしれません。そのことをあなたは自覚している。それは傷としては癒えていることを示します。そのことに気がつきなさい。体を移動させなさい。流れてゆきなさい。そして眠りなさい。恐れないでください。そこで起こる出来事から目を背けないでください。

 

プラム

 プラムは柔らかいようで、食感があり桃に似た存在で、甘いと思っていたら酸っぱいこともある。そのことに口をすぼめているのですが、プラムは甘かったり、酸っぱかったりする。プラムが僕の元に現れ始めたのは最近のことだ。それまでは、積極的にプラムが僕の前にやってくることはなかった。僕はすぐいちごに走る。甘酸っぱいいちご。プラムとは違う甘酸っぱさがいちごにも存在する。プラムの酸っぱさは、口をすぼめるほどのすっぱさだ。「うーん!」って声出る。そのことを僕の舌は覚えていて、プラムプラムと書いている今でさえ、舌から唾液が出てき始める。舌は、プラムのことを甘い存在というより、酸っぱい存在として認識している。プラムもそのことを悪くは思っていないようで、桃のような姿で僕の前に度々やってくるのだ。ちいさなりんご。そんな風に思うことだってある。しかし、皮を剥いたら桃なのだ。プラムは何者にもなることができる。りんごであり桃。それでも、味はやはりプラムなのかもしれない。プラムはそのことを教えてくれていた。やっぱりプラムだ。今日もプラム。ああ、甘酸っぱい。食べ終える瞬間は酸っぱいのだ。

 

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甘酸っぱいプラム。

 

聞いた訃報。

得たことを受け継ぐ。

 

七夕の夜に起こる、偶然は必然ですか。