溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170712

太陽

 いつもより早く目が覚める。ここ2、3日眠りが深いとは言えないが、調子が悪いというわけではない。太陽が正面から入り込んでくる。いつもは眩しいと顔を背けてしまいたくなる。今は正面から太陽の光を受けている。そのせいか、顔や背中が少し汗ばんで来ている。早朝はいつもと様子が違うように思った。人が動いていない。まだまだ静かだ。と言っても、鎌倉の人は朝早い。朝早く動いている人が多いように思う。多分、この時間の心地よさを知っているからなのかもしれない。と言っても、僕は朝が弱い。起きるのが苦手なのだ。それでも、夏になると朝の目覚めが良くなる傾向があるように思う。冬は逆にギリギリまで布団の中に入っていたいと思う。寒さに負けて。気づけば冬は終わっていた。あんなに寒くて、何枚も重ね着をして、湯たんぽを使って布団を温めたりしていたのに、いまはすっかり半袖で、窓を開けて風が通るようにして過ごしている。もう、そんなに生きて来たのかという気持ちになる。今の家に住み始め、たかが半年くらいかもしれないが、それでも良く生きて来たという気持ちになる。この間、何度か精神的な浮き沈みはあったが、それでもこうやって生きていることはすごいことだ。それに二人でだ。妻のみーさんとこうやって生活出来ていることは本当にすごいことだ。多分、赤ちゃんが初めて立ち上がった時の感動と似ている。立ち会ったことがないからわからないけど、ワーワーっていう、よくやったぞみたいな、そういう盛り上がりと似ているのかもしれない。目を半開きにしながら歩いている。眩しいのかもしれない。それでもこうやって何度も朝はやってきて、僕を迎えてくれている。時にそれは絶望的に思えたりもするが、今この瞬間はとても心を弾ませる瞬間だった。今日も朝が来た。太陽がある。そのことに感謝している。巡ってくることに。何度も何度も、光を当ててくれる太陽に、久しぶりに感謝しているような気持ちだ。ありがとう。

 

スペース

 寝る前に風が強く、窓がガタガタと揺れていた。ガタガタに包まれながら眠るのは困難で、窓と窓の隙間に厚紙を挟んで揺れを抑えた。これは、みーさんが編み出した技だ。僕は、不快だと思う環境を変化させようと思うよりは、そのまま放置してしまうことが多い。わかっていながらそのままにしてしまう。それに比べみーさんは自分が心地よい環境を自ら作ろうとすることを徹底している。これは僕にはなかった感覚で、どこか不快な気持ちに引っ張られてしまったり、我慢してしまう僕にとって新たに生まれた視点だった。暑ければ保冷剤を首に当てればいいし、音楽を流して気分を変えればいい。何かを有効に使うこと。これも生きる知恵だと思った。あるもので生きる工夫をする。それが生命力であるのだとも思う。どうして、僕はそのままにしてしまうのか。そこまで自分に影響を及ぼしていると考えていなかったのかもしれない。鈍感でありながら繊細なのかもしれない。思えば、ちょっとの音が気になるし、ちょっと肌がぶつかるだけも苦手だ。それでも部屋の掃除をあまりしない。多分、自分の香りみたいなものがあるのかもしれない。掃除すると、そういうものが綺麗さっぱりいなくなってしまうような気持ちになる。新鮮で清々しい気持ちでありながら、どこか寂しい気持ちもある。何かがなくなってしまうような気持ちもある。それでも、掃除するとやっぱり気持ちが良いし、極限になると掃除するぞ!という気持ちになる。と言っても、みーさんは綺麗な環境が好きなので、僕が掃除をする出番はあまりないのだが。それでも、僕はこの家の中に自分の空間を作っているのかもしれない。ここで生活することで刻み付ける何か、香り、音。そういうものを僕は居場所を作るように、育てようとしているのかもしれない。何度も作り続けるのかもしれない。壊れても、何度だって作るのだ。それは生きていくためのスペースだからだ。自分が存在するためのスペースだからだ。

 

 太陽が眩しくてタオルをかざす。タオルの隙間から陽が漏れてくる。タオルは経糸と緯糸で織り成されていた。布というのは面白い。元は糸であるし、植物であるし、生き物でもある。科学的な物質である場合もある。それでも、まったく異なる存在が糸になる。細い一本の糸。それが何重かにされている場合もある。タオルもよく見ると細い糸で出来ている。そこから陽が漏れ出す。普段使いされる布。身に纏う布。重宝される布。布にも様々な表情がある。どれも絶やすことのできない存在である。そういうものが身近で、そんな森で生きたい。近くには水がある。湖がある。海がある。そういう生活が身近にある場所で生きたい。綿が育ち、麻が育ち、たまに羊の毛なども拝借して。そうした身近な環境から、身近な布が、表情のある布が生まれるそういう森のような場所で生きたい。食べれる植物も生えている。だから食料にも困らない。0円で生活できる村のような場所を作りたいと、思っていたことがあった。その考えは今でもあまり変わっていないのかもしれない。自給自足ができる村。お金がなくても生活していくことができる力。お金を稼ぐことも、お金がなくても生きることもどちらも生命力なのだと思った。どうせならどちらも身につけ、どちらもうまく扱って生きたい。どちらかだけではきっとダメなのだと思う。どちらも必要だからあるのだ。いいとこ取りしたい。全てをうまく使いたい。そのために生まれて来ているから。だから活かし切りたいのだと思った。

 

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早起きしたのでこれからパンを焼いて食べるのだ。

早起きできると、何か余裕がある。

ゆとりのある気持ちになる。