溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170717

  ポロシャツ、キャリーバック、ワンピース、スマホ、日傘、スカート、リュック、ジーパン、ポシェット、腕時計、スニーカー、帽子、タバコ、レジャーシート、車、バス、短パン、サングラス、イヤホン、ワックス、ジェル、日焼け止めクリーム、サンオイル、タクシー、電車、メガネ、斜めがけバック、トートバック、アイスコーヒー、ビール、ソフトクリーム、チューハイ、海パン、ビーチサンダル、ベビーカー、カーディガン、自転車、ポスト、ビニール傘、買い物袋、レンタサイクル、アロハシャツ、Tシャツ、カーゴパンツ、サルエルパンツ、ハチマキ、ピアス、アンダーシャツ、カフェラテ。

 向かうは海。海に向かう装い。香りが漂う。海へ向かう香り。山へ向かう人。海ではなく山へ向かう人。日焼けした体で海へ向かう。何度目の海。今年何度目の海。夏はもう来ているようで、梅雨は明けたのかどうかが良くわからず、それでもこれはもう夏だと思うと僕は伝えたいし、これが夏じゃなかったら、これから一体どんな夏になってしまうのか僕は不安になってしまう。どうしても、夏は一瞬のように感じられ、その一瞬を逃さないようにと海へ向かうし、花火を見るし、お酒を飲むし。夏は始まったばかりだなんていうけれど、いつも終わりのことを考えてしまうのだから、夏が過ぎ去ったあとの夕焼け空はやっぱり切なく、もうすぐ秋がやってくる喜びと、すぐに冬の寒さに備えなくてはならないという緊張感が、いつも僕を襲っているというか、いつも去っていく何かがあることを知っているようで、この時間が永遠に続かないことも、どこかで分かっていて、でもこの瞬間を味わい尽くしたいと、そう考えていることもあるんです。それでも、やっぱり夏の室内は寒いと感じることもあり、僕は作ったストールを巻いて冷えを凌ごうとしたりもする。なんとなくですが、こうやって変わっていく世界に住んでいるのだから、何かを変えずに守ろうとするのではなく、その季節に合わせて生きるように、何か私の中にある季節に目を向け、その季節に合わせて、工夫しながら抗うこともなく、淡々と生きてみたいものであります。夏は動きがあるね。それでもトンビは空高く飛んで、今日もクレープめがけて下りてくるのだと思うのだけど、そのあたりトンビさんはどう考えているのだろう。お話お伺いしてみようと思います。

 

空想

 あんなに楽しそうに話していたのに、あんなに笑っていたのに、それでもどこかで孤独を感じていたりするのでしょうか。孤独を埋めるために、そうやって話したり、笑ったりしていたのでしょうか。孤独は避けられてしまったのでしょうか。いつの日も、孤独はあなたのそばにいたにも関わらず、それなのに目を背けられてしまったのでしょうか。孤独はここにいるよと、孤独はここにいるよと呼びかけているのに、それでも孤独とは一緒にいることは出来ないよと、空想のコミュニティの中でそれが存在しているかのように振る舞うのだろうか。空虚を埋めるために、取り繕うために、私はあなたに声をかけ、一緒にいようというのだろうか。それは一瞬の出来事であると分かりながら、その一瞬の快楽を求めて、私は群れをなそうとするのだろうか。孤独とは群れをなすことを避けながら、私は誰かと群れをなすことでまるで私はそこに存在しているかのようにふるまい、そこでの存在意義を確かめるために躍起になり、孤独という存在が隣にいたことすらも忘れ、存在意義を確かめるために、呼吸をし、心臓を動かしているのだろうか。今もまだ、楽しそうに話しているし、きっと笑うのだろうが、それは孤独とともにであり、一人で笑っているわけではないのだろうとそう思うのです。そういう、話が笑いが出来るのなら私は、話すことが笑うことが出来ているのだろうと感じ取るのかもしれません。

 

空白

 空白があることを恐れてはいけないし、空白をいかに感じ取れるようになるかが、今とても興味関心があるような気がしてなりません。その間何をしていたの。きっとそこは空白で何もない場所のようで、白い場所で、空白で、空っぽで、音もなくて。でもその空白に耳を傾け、奏でることが出来たなら、その余白にこそ私の心はこもるのでしょうし、全てを塗りつぶすことも出来るのでしょうが、その衝動とどうやって折り合いをつけ、どうやって向き合えるかは本当に重要なことのような気がしてなりません。音の鳴らない瞬間に、私は耳を傾けるのでしょうし、その間にこそ、空白にこそ、空間にこそ、私はいるのだとそう思うのです。隙間に何を見るのでしょうか。隙間から山が見えるし、時には月が顔を出すこともあるかもしれません。星はもうそこにいたし、海は押したり引いたりしている。風はなんとか隙間を見つけて、吹き込んでくるし、なんとか体をよじりながら、細い隙間を抜けてくるのだと思いました。隙間から見える景色はどこにあるのでしょうか。私の元に隙間はあっただろうか。空白はあっただろうか。遠くを眺めることは出来ただろうか。私は遠くを眺めながら育つことが出来ただろうか。建物に追いやられているのは、人間自身だと気付くべきだと私は思う。隙間を、空白を失ってはいけないのだ。遠くは見えるだろうか。隙間は希望だ。まだ遠くがあることを見せてくれるし、教えてくれる。自分たちで自分たちを追いやってどうするのか。気づかなくてはいけない。隙間を、空白を、余白を失ってはいけない。

 

 

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夏の鎌倉は人がすごい。

香りが交錯しているよ。

私、錯乱しているよ。