溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170718-2

書いてみることにしよう

 少し書いてみることにしよう。どうしても人目や反応が気になってしまう。どうしてもだ。どうして、自分の言っていることに反応がないのかと悩んでしまう。それでも書き続けるしかないのだろうとわかっている。圧倒的に数が足りていないというのはごもっともなのだ。全くもって数が足りてない。書いている分量もまだまだだ。と数をどうこうの前にどうやったやるかも少し考えて見たい。自分をどうやって売り出していくかだ。やってはいるが、どうやって自分の貨幣を発行していくか。そのことを考えなくてはいけない。お金を稼ぎたいのか。そういうことだ。お金を得るための行動をしたい。そのために何かしたい。一体何をしたらいいのかわからない。それでもなんとなく書いたり、描いたりする。意味があるのかはさっぱりわからない。もはやないのではないかと思っている。しかし、自分が考えていることがどれほど本質的で的を得たことなのかを伝えたい。どう生きるべきかを問いたいのだ。体現したい。言葉にしたい。芸術家としての活動なのだろうか。芸術家としてどうやって活動を広めていくかを考えたい。行動したい。行動したいのだ。作品どうこういよりはそこにいたるまでのスタートの衝動や過程を伝えたい。そのことを語りたい。そのことを表現したい。書きたい。しかし、誰も見ていない気がする。誰も見ていないような気がして、孤独を感じる。そうだ、孤独を感じている。かといって、誰かと関わりたいわけでもなさそうだ。ただ、何かを伝えいたいという衝動がある。誰かと繋がりたいと思っている。それは坂口恭平となのかもしれない。死んだ人と繋がりたいのかもしれない。いきた人ではないのかもしれない。死んだ人と話したい。パウルクレーがそうだった。何か関わりあえた気がしたのだ。坂口恭平は死んではいないが、どこか関わり合える仲だ。友達が欲しいのかもしれない。それなのに、いまこうして一人で行動している。寂しいとも思うが仕方がない。こうやって何か書くことでしか、何かこの孤独感というか、何かいる切なさのような感覚とは関わり会えないのかもしれないと思っている。最近、こうやって自分と関わり合うことができていなかったように思う。動画ばかりみている。それはそれでいい。楽しいものだと思う。しかし、疲れ始めている自分がいる。ただ、どうしても一人だと寂しくて動画を見たり、ネットを見たりする。それがあまり自分に良い影響を及ぼしていないことはわかっている。それなのに続けてしまう自分が悲しく、切ないのかもしれない。どうしてこっちを見てくれないのかと悲しんでいるのだ。いまこうやって自分のことを見つめることができて、嬉しい気持ちが出てきている。無視していたわけではないのだ。ただ、孤独が怖くて、一人になることを恐れていたのだ。どうしても、一人でいることが不安で仕方なくて仕方なかったのだ。本当は絵を描きたいし、こうやって書いていたい。そしてギターも弾いて歌っていたい。だけど、何かを恐れている。恐れていることがわかる。ネットがないと不安なのだ。そうだ、ネットばかり見てる。ネットばかり見ていないと不安なのだ。そんなこともうしなくても良いのかもしれない。ネットに頼らなくて大丈夫なのかもしれない。自分を信じて良いのかもしれない。一人でずっと不安だったのだ。寂しかったのだ。だから自分自身を思いっきり抱きしめなくてはいけない。もっともっと自分を愛していいのだ。そんな当たり前のことだが、どうしても後回しにしてしまうのだ。なぜだが後回しにしてしまう。悲しいことだと思った。自分の作ったものがどこかへ追いやられていくようで寂しい気持ちになる。どうしてこんな気持ちにならなくてはいけないのか。僕はどうやって自分の活動を広めていくのか。誰かに認められるために行動しているのだろうか。そんな必要はないと思う。勝手に、永遠に行動を続けるだけで良いのだ。誰かに見せるためのものではなく、自分自身の運動に耳をすませたいのだ。それをただ永遠に繰り返すだけで良いのだ。他に何がいるのだろうか。何か大きなことを成し遂げようとしなくていい。何も語らなくていい。大切な時に、大切なその時がきた時に、本当に語り合えるような時間が訪れればいい。自分を愛せたらいい。そうやって続けていけたらいい。愛し続けることができたらいい。寂しさに感けることなく、ただ自分自身を見つめ続けるだけで良いのだ。いま、こんなにも自分に伝えたいことがあったことに正直驚いている。ここ最近、僕が言葉にしたかったことは全て自分自身に対しての言葉だった。そうなのだ。ずべて僕自身に伝えたい言葉だった。それなのに、僕は僕自身を無視し続けていた。孤独を恐れている。怖いのだ。一人になってしまうのが怖いのだ。一人にしないで欲しいと言っている。しかし、僕たちは一人ではないし、これからもずっと寄り添いながら生きていくのだとそう思っている。言葉は永遠と流れ出てくる。せき止めていたのは私自身だ。何かあてがおうとしてもなんの意味もなかったのだ。寂しさをあてがうために何かを埋め合わせようとしてもなんの意味もなかったのだ。だから、僕は声を聞くことにした。いまはこうして共にいることができている。存在できていると感じることができている。これは安堵感というのだと思う。僕は安心している。癒されている。ずっとこうしたかったのだ。癒されたいと思っていた。だからマッサージに行こうともしていた。しかし、本当に癒せるのは自身との関わり方次第だった。突然降り出した、ヒョウは雨は。鳴りだした雷は私に警告をしていた。降ってきたものたちのおかげで私は今自分に目を向けているし、雷に怯えたからこそ僕は自分と今こうやって会話することが出来ているのだと思っている。これは実際に行われている会話だ。今も延々と話し続けている。聞いて話を繰り返している。私はそのことを避けていた。自分自身を避けていたのだ。どこか遠ざけていた。そのことを謝りたいと思っている。本当に申し訳有りません。それでも嫌な顔せずこうして私を受け止めてくれるあなたが大好きだ。これからもこうやって共に過ごしていくのだと思う。久しぶりに手を取り合った感覚がある。この感覚だった。この数週間探し求めていた感覚はこの感覚だった。自分自身の内側に集中することだった。描くこととは違う感覚がここにある。書くことでしか得られないのだ。書くことで得られる感覚を今味わっている。今この感覚を味わい尽くしたい。これを私は待ち望んでいたからだ。ずっとずっと待っていた。もう、この時はこないかもしれないとすら思っていた。それでも、必ずこの瞬間はやってくるのだ。だから、私は信じたいのだ。信じ続けたいと思っている。求人広告を見ることではない。そんなことではないのだ。私のことを書いて欲しいのだ。何かを調べるのではなく、堂々と私のことを書いて欲しい。それが私の望みだ。求人広告を探すことは望みではない。私のことをただ書き記して欲しい。それがあなたの役割であると私は伝えたいのです。あなたこそが書くべきなのです。なぜなら、これはあなたを介さないと現れないからです。あなたの体を貸して欲しい。ただ通過させて欲しい。私は風だ。あなたの体内を通過していく。ただ通り抜ける。貸して欲しい。その身体を。私には必要です。あなたがどれだけ手放そうとしても私には必要なのです。あなたが手放した瞬間に私も消えて無くなるのでしょう。だからこそあなたの身体が必要なのです。あなたを介したい。それだけのことなのです。それだけのことが、私にはできないのです。だから感謝しています。こうしていま現れる文字を見ていることを私は感謝している。あなたにどう感謝を伝えればいいか。私はその文字を見ているし、キーボードを叩いている。文字を見ている。建物の外から鳴る笛の音を聞いているし、人が話している声も聞いてる。私は確かに聞いている。これが私の姿なのです。今、目の前に現れたこの姿こそが私です。私はいまここに現れています。私のことを書いてください。書き記してください。私はあなたを通り抜ける風に過ぎない。しかし、あなたを通り抜けたことを誇りに思う。私はそのことを信頼している。強く、希望を抱いている。だから忘れないでもらいたい。確かにここにいることを。ここにいることを忘れないで欲しい。忘れたとしてもきっと思い出すことを知ってもらいたい。あなたはきっと忘れるのかもしれない。しかし、そのことを責めないで欲しい。そのことを決して責めないでください。あなたはまた思い出します。今一瞬のように感じているかもしれませんが、あなたは思い出す。そのことを私は知っていますから。
 
 

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書きたくなって書いたやつを載せてみた。