溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170720

夜のこと

 白ワインに合う料理は白いものにこだわることもなく、もっと気軽に楽しめたらいよねとのことです。クラッカーに生ハムとカマンベールチーズ。そして蜂蜜を添えて。これが中々の絶品でして、甘みと生ハムの甘しょっぱさが口の中に広がる。クラッカーもサクサクとしていてい、むにゅっとするチーズもまた面白くて、僕はなんというか様々なものが口の中で踊っているのが楽しくて好きだ。なんだなんだ、どいつが何をしているんだといった、味わいながら食べるのが楽しいのだ。あとは、お寿司と白身魚の磯辺揚げ。珍しく飲んだ白ワインは中々美味しかった。とは言え飲んだのは一杯だけ。ほどほどに飲むのはいいなと最近思うようになってきた。20歳くらいの頃は浴びるようにお酒を飲んでいたけれど、どうもお酒を飲みたくて飲んでいたわけでもなく、なんとなくその場のノリに合わせて飲んでいたので、それはやめようと思ったのだ。それからしばらくお酒を飲むことはなくなっていたけれど、最近は美味しいお酒をご飯と一緒にちょっとだけ頂くのが好きだ。僕はお酒を飲むとすぐに顔に出てしまう。赤くなってしまうのだ。飲みすぎると頭が痛くなるし、すぐ吐く。それでも潰れるということはほとんどなく、大抵意識はあるというか酔えていないという感覚がずっとあった。確かに酔っているけれど、どこかに冷静な意識というのがあって、それが酔った僕と統合されることはなくて、いつの日も冷静に僕のことを少し離れた場所で見つめていたのだ。だから、何か一体になれないような感覚があったというか、例えば学校とか会社とか何かしらに所属していたとしても、どこか疎外されているような感覚というのをずっと持っていた。それは冷静な目によって僕が自身が感じていることであったし、今もやはり自分の中にその目は存在し続けているのだ。なので、無理に所属意識を持とうとすることもないのだと思うし、無理に人と関わろうと躍起になることもないのだなと思う。僕は人の影響を受けやすい。だから、言われた言葉が体に残ってしまう。しばらくだ。その言葉ばかり、その体に残る印象ばかりが僕に付きまとうのでそれが消えるまで時間を使わなくてはいけない。なんというか僕にとってはあまりよい状態を保てるものではないということだ。人と関わることでもらいすぎてしまうというのはやっぱりある。その受け取ったものを消化する作業が必要なのだ。中々大変な作業であるにも関わらず、僕は人との関わりを求めてしまうし、やめようやめようとしても辞めることができない。僕は何よりも自分の健康を第一にすべきだと思うが、それなのに自分が揺さぶられてしまうようなことをするのだ。安定して、元気な状態でいたいと思いながらも、揺さぶられて自分の状態が不健康な方へと進むことがある。だったら、人と関わることをやめてみたらいい。必要最低限の関わりでいいのだ。うまく人と関わらなくてはいけないと言っているのは一体誰なのだろう。誰の考えを元に言い出したことだったのだろう。別に、うまく関われなくていいし、たくさんの人と友達になることもない。わかりあう必要もないし、無理に好きになるとすることもない。僕は好き嫌いが激しい。本当に嫌いな人とは同じ空間を共にすることができない。これまでも、どうしても嫌いな人間は念じて職場からいなくなるようにしてきたし、それか自分自身がフェードアウトした。嫌いな人の良いところをみようなんて言われるが、嫌いなものを嫌いと言えない方が僕は辛い。嫌だと感じたその始めに湧いてきてものをどうすることも出来なくなってしまうことの方が辛いのだ。こうやって人は嫌いなものをどうこうするかにエネルギーを使っているのだと思った。僕は好きな人と好きなものがあればそれでいい。嫌いなものはどうこうしない。直そうとも変えようともしない。放っておく。ただ、こちらからは関わらない。関わりに行こうとしなければいい。どうして無理に関わる必要があるのか。仕事だからか、大人だからだろうか。生理的に無理という反応を受け入れたい。僕はその反応を受け入れたいのだ。だからこそ、自分自身がむき出しでなくてはいけないと思っている。生理的に無理の対象はやはり、何かに覆われた言葉であったり、その人自身ではない取り憑かれた何かである。いろんなことを書いているが、結局僕は全ての人を愛せるものだとも思っている。全ての人と関わることが出来るし、共に生きていくことが出来るとも思っている。なぜか、そういうことを言い出すのだ。深いところではみんな繋がっているんだとかいいだす。それもそうなんだろうが、それ以前に好き嫌いがあることを忘れないでいたいとも思うのだ。自分が嫌いだと思うこともごまかさないでいたいと思うのだ。愛想笑いはごめんだ。笑いたかったら笑うし、怒りたかったら怒る。どちらも一緒。同じ揺れであり動きなのだ。

 

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ノンストップで書いた。

昨日は鎌倉花火だった。

花火の音が体に響いた。

間近でみた花火は風情があった。

 

噂の煙は中々のものだ。