溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170723

記憶

 私は今確かに家の中にいました。家の中といってもそれは実家であり、実家といってもそれはもともとあったはずの実家の中にいました。もうそこには戻ることはできないと私は思っていたのですが、何遍も繰り返しに元あった実家に戻ることがあります。私は確かに押入れの中に潜り込み、その横には神棚や仏壇が置かれていました。窓枠に立ち冒険をすることだってあったのです。大きなテーブルが畳の上に置かれていました。私にってそのテーブルは恐怖だったのです。この重たいテーブルが私の元に落ちてきたら私はぺしゃんこに潰されてしまうだろうとそう思いながらもテーブルの下に潜り込んでいました。そこに鼻くそをつけたこともありました。理由はわかりません。なんらかの意志だったのでしょうか。マーキングだったのかもしれません。私は自分の部屋というものを持ちながら、寝る場所を何遍も変えました。私は安心して眠れる場所を探していました。リビングのテレビの前で寝ることもあれば、和室の部屋で寝ることもありました。親の部屋にあったソファが気に入ってそこで眠ることもありました。兄と共同の子供部屋がありましたがそこはどうしても落ち着いて眠ることが出来ず、数えるほどしか眠らなかったように思います。私が元住んでいた家は私にとって大変大きかったように思います。私はどうやら他所とは違う家の住人であるようにも感じていました。私はよく1階のエリアには駐車場、木材などの仕事で使うような道具が置かれていたり、茶室のような場所もあった。私はよく父と母の仕事場にいました。そこにあったパソコンで絵を描いたり、父が図面を引いているのを覗いたりしたこともありました。父は建築家だったと把握している。僕はしっかりと親の仕事というものを把握できていない。次第に私は、木材置き場で素振りや野球の練習をするようになりました。

 木の柱がありました。私はそこに自分の身長がどれくらい伸びたかを刻んでいました。確か父がやってくれていたように思いました。伸びていく身長を残してどうするのかとも思っていましたが、背が伸びる自分を感じることが、内心嬉しく、私は大人になっているのだと思えるような気がしたのです。しかし、その刻まれた跡はもう見ることが出来ないとふと思ったのです。これは思い違いなのかもしれません。私は確かにその映像を見ました。確かに私は柱に背を向けて、そこで身長を刻んだ跡のことを覚えていました。しかし、そこは元あった実家の話であり、いまある実家の話ではないのです。確かにあったであろう実家にあったものを書いているのであり、そんなものはなかったと言われればそれまでになってしまうものです。しかし、私は確かにそのことを記憶しているし、親の部屋にあった冷蔵庫の赤茶色であったことや、仕事場の冷蔵庫は白であったこと。納戸にはたくさんの本が積まれていたこと。釣りがしたいといって買ってもらった釣竿を一度も使わなかったこと。そういった、見逃しても良さそうな記憶というものがふと私の中を通り抜けていくのです。これが何を意味するのか私にとってはまったく理解することが出来ず、ただ私は居場所をひとつ失ったとそう思っているのかもしれません。なくならない永遠に存在し続ける居場所が、帰れる場所が私は欲しいと思ってきたのかもしれません。しかし、場所はすぐになくなってしまうのです。そこにどんなに私の思いが巡らされていたとしても、家は無くなるのです。しかし、実際にはなくなってはいません。縮小されたといったほうがいいのかもしれません。とにかく私は居場所を求めてさまよっていました。なくならない場所が欲しいと思っていました。しかし、私は度々居場所というものを失っているのです。永遠には続かないことを知っているように思いました。居場所を懸命に作り続けようとすることもまた良いものだとも思っていましたが、そこに固執するよりは、置かれた場所を居場所にしていけるかもまた必要であるように感じられました。私の居場所は内側にあるようにも思えました。内側には確かに元の実家は存在していたし、今も鮮明にその元の実家に住むことが出来ています。空想なのかもしれませんが、私は昔からそうやって夢の中を歩いていたのかもしれません。それは無意識の波の中を歩いています。さまよい歩いているわけではありません。地に足をつけ、懸命になんかを辿っているのです。どこにたどり着くかもわからず、現れる人や場所との出会いを私は徘徊しているのです。ウロウロしているのです。行き場もなく。ただ、そこに確かに私の巣が存在しているような感覚があるのです。それは夢の中にあるような気がしていて、それは夢と言いながら私の記憶であることは間違い無いのです。私が蓄積してきた記憶を、世界として広げています。私は夢を見るといっているが、私は夢の中で存在しているし、夢の中で生きているのです。私は無意識の世界で生きているのです。

 

天ぷら

 天ぷらを作った。3回目か4回目くらい。なかなか慣れてきて手際もよくなってきた。やはり何回か作ってみるとどうしたら良いかということもわかってくる。結局は何遍も続けてみることなのかもしれない。うまくいこともあれば、うまくいかないこともあるのだ。僕は自分の絵を見て、あまりにひどいと絶望したし、それでもまた続けるしかないこともわかっており、ただ意味もなく続けていくしかないのだとそう思ったのです。

 天ぷらはそうめんと一緒に食べた。コーン入りかき揚げと、舞茸の天ぷら。天ぷら粉は小麦粉と片栗粉、カルボナーラで使わなかった卵の白身。そこに氷を加えてかき混ぜる。水の入れ具合に注意しなくてはいけない。入れすぎるとサラサラでうまく具材が固まらないし、入れなすぎるとパンの生地みたいになる。これは経験。そんなことをやっていると天ぷら粉を作りすぎてしまって、結局大量の天ぷらを揚げることになる。それでもあまったら次の日のお昼ご飯にでもすれば良い。

 

 動きが止まる。今確かに止まりかけている。停止している。それは仕方ないことだ。それでも運動をしてみようとこうして動かしているのだから。それでも停止しようとしている。もうガソリン切れだ。もう、この車をうまく走らせることは出来ない。車は変わってしまった。ボロボロの車になった。

 

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今日は少し涼しいのかな。