溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170801

 朝、目が覚めるとイライラしたような状態が続く。イライライしているのかは定かではない。ただ、イライラしているような気がしている。それは、あなたが決めつけていることだった。胸で、内側で起こっていることをあなたはあなた自身で判断していた。その感覚がイライラだと言った。僕はそう感じていた。確かにこれはイライラしている。イライラしているような状態であると確かに僕は認識していた。かといって、その感情をどう処理して良いかも分からずに、ただ体の内側に置いておくことしかできず、消えるまで待つというよりは、ただじっとそのイライラと対峙することしか僕には出来ず、それがイライラしていると言い切れるかどうかも分からず、ただそうではないかと仮定して関わっているのだ。そのような状態でも決して悪いとは言い切れず、それが悪いと思っているのは人間的な判断に過ぎず、調子が良いとか悪いとかそんなことよりも、ただその動きを感じ続けることが、私には必要なのだとそう思っている。どうしても変わって行く。それは仕方ないことだ。止まろうとしていても仕方ないのだ。あの頃、感動して涙を流していたような事柄が今となってはなんの感情も湧いてこないただの映像としてしか見れなくなってしまうことがあり、それを成長と捉えるのか、衰退と捉えるのかは分からない。ただ、そうやって私は受け取って来た。映像を見えて受け取って来たし、そうやって心を動かすことでなんとか生きていたと思っている。しかし、今どんなに受け取ろうともそれは無理やり受け取ろうと努力している状態で、感動しようと自分を誘導し、まるで感動していますと芝居をしているような感覚になり、心の底から感動することからは随分離れてしまったような気がしている。そんなものはもともと存在などしていないのかもしれない。ただ私が投影をしているだけであり、まるで自分が映像上で動き回っているようなそんな気がしていただけなのかもしれない。まったくその役になりきることもできず、ただ傍観している自分がどこか物悲しいとも感じている。それでも映像はエンドロールが流れるまでは、止まることなく流れ続ける。ストーリーは進み続けるし、そのストーリーに追いつかなくてはと躍起になる自分がいる。しかし、もうそんなことをしていても疲れてしまうだけなのは十分に分かっていて、実際にそんな風に感じよう感じようと無理に自分を鼓舞したところで、ただそう感じられたような気がするだけで、深いところではなんの動きも起こらず、ただ深いところで私の魂は停滞し、震えることもなく、ただ止まり、呼吸もせず、動くこともなく、ただじっと、何事もなかったように、私の魂はそこに停滞している。私は焦っていた。心が動いていないことに。魂は動いていないのだ。魂はざわめくこともなく、ただじっと私を睨みつけていた。ただじっと私へ意志を伝えている。石になってしまったようで、それは石にも魂が宿っているといういうことであり、私は石にでもなって、ただ湖の揺れとともに流されることも、濡れることもなく、ただじっと陽の光と、月の光を浴びながら、じっと固まったままの石になったようで、そこにも意志が、宿っていると、石は動かない。閉じ込められたまま、私の魂は私を睨んでいた。閉じ込められていると言っても、何か部屋に入れられているわけでもなければ、牢屋のような場所があるわけでもなく、それは単に私が作り上げた幻想であり、魂は素直にその幻想を受け入れ、縛られているように演技をしている。ただ芝居を繰り返し、その役になりきって、ただ台本を読みながら、なんとかそこに感情を入れようと体の動きからなんとか、体の動きで、感情を作り出そうとしている。こうしている今はなんらかの動きが生じている。こうしている今は。確かに動いているのを感じているし、私は揺れている。ただ、動いていることが、揺れとなり、深いところにあった、湖、湖を揺らし、反射する湖。太陽が、山が、その緑が、反射する湖。私はその湖に浮かんだ。足をつけて、潜り込んで、魚を追いかけて、ただ潜り込む魚。砂利の中へ混じる魚。砂利と同化する魚。私、魚と石。どちらにもなれず、ただ湖に立ち尽くす。限りない未来。限りある未来。明日はありますか。いいえ。明日は今ですよ。今は昨日です。

 どこまででもお連れします。私はタクシーです。運転手です。車です。タクシー自体のことを運転手と言っています。どこへでもお連れしますよ。私は運転手なのです。操縦をしましょう。私にお任せ下さい。私に申していただければどんな願いでも何なりと叶えて差し上げましょう。感動したい。感じたい。心を動かしたい。魂を。止まった魂を。ただ動かしたい。ただ揺れたい。私の行き場はそこにあります。どうか私を連れて行ってください。どこへ向かっても構いません。そこで生きていきますから。どうか私を、静寂のある、街へ、どうか、私を連れて行ってください。お安い御用ですよ。お任せ下さい。私は運転手ですから。タクシー自体ですから。どうぞ遠慮なさらずになんなりとお申し付けください。私は運転手ですから、タクシー自体ですから。どうぞご用命下さい。私は運転手ですから。タクシー自体ですから。それから、私はどこか遠くへ来ていたし、まったく知らない場所だった。いつもの家の中だ。ここは家だ。チョコレートのある家だ。木が基調となった家だ。マシュマロを食べた。チョコレートコーヒーを飲んだ。クッキーも食べた。カフェモカだった。私はカフェモカを飲みながら、何度も東京方面へ行く電車を見た。乗り込もうとは思わなかった。何度も見過ごしたのだ。電車に乗り込む人たちをただ横目に、私は見過ごした。私は乗り込まなかった。誰も私が乗り込まないことは気にしていなかった。ただ、抜かされた。私は、8号車の前に立って並んでいた。並んでいた。抜かされていた。私は何度も電車を見過ごしたからだ。気づけば遠くへ来ていたのだ。その度に私は電車に乗り込んでいたし、また並んだのだ。何度も並び直した。何度も先頭で電車を待っていたのだ。東京方面の電車を待っていたし、何度も乗り込んだ。何度も。何度でも乗り込んだ。行き先は分かっていたからだ。私は木の中にいた。木目の中に。木目になった。私は木に刻まれた年月だった。私は年月だった。

 

 

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8月だね。