溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170802

 部屋の中の電気を消し、布団に横になる。何か、不安というか自分には出来るわけないという自信のなさが現れて胸がドキドキする。僕は自分には出来るわけもなく、やる理由もないのではないかと思う。昨日は、家の近くにある場所で僕の絵の展示が出来そうな話が出た。すごくドキドキした。と、同時に自分の絵を展示するなんて、そんな無意味なことをしてどうするのかという思いも同時に現れる。僕はとことん自信がなかった。何をしても自己否定的だ。人目が、評価をされることが、何よりも苦手なのだ。自分を公にするなんて出来ればしたくない。と、同時に公になりたとすら思っている。矛盾しているのだ。人間の葛藤というのは大抵、自己矛盾から起こる。自分の中で起こっている矛盾から葛藤が生まれる。統合することなどできず、分裂したままを僕は生かしたいと思い、それが不安と思われるような感情となって現れ、しばらく目を閉じても眠れずに暗い部屋の中で何度も寝返りを打ち、最後はなんとか思考は止まり、そのまま夢の中で流れていた思考の整理をして、眠っているようで思考を整理していて、すっきりしないときはやはり眠りが足りていないと思い、考え事はやめて体を動かすことが先決だと思い、とにかく感情に流されずに、目の前のやることに集中することもまた大切であるとそう思えてもいる。僕は多分気持ちのことをここに書いていて、そんなこと誰が興味を持つのかと思いながらも、毎日こうやって書くことを辞めることも出来ず、この瞬間は、ただこの瞬間だけにいるように思えて、昨日の不安だった夜のことを思い出しているがそれでも、当事者ではなくただの追体験に過ぎなかった。

 僕は不安なのだ。何をするにしても自信のない人間だ。こんなことを書いてどうするのかと思うが、ただ書いている。止めようとする自分もいるが、この場ではそういう風に止めてしまうことはできるだけ避けたいと思っている。思い返せば、何をしていても自信がなく緊張してしまい、平気そうな顔をしているので精一杯なのだ。私は緊張なんてしていません。堂々としていますといった、そういう振る舞いをすることばかりに必死になり、大事な、何か大事なものは置き去りにしてしまっているような、そんな気持ちになったのだ。それでも、その瞬間は集中しているし、何か内面をうまく表出させることに成功し、これは一人で絵を描いている時であって、人前で何かをするとなったら全く別の状態で、僕は人前で何かをするなんて怖くて怖くてしかたなく、それでもやって来たこともあり、それは一瞬の、たった数分の出来事でありながら、僕はそのことを想像すると夜も眠れないのだ。人前に立つなんて考えられないと、そのことをずっと恐れていたし、それは何をしていても、僕は平気な顔をしながら、内心はとてつもない不安に襲われていて、結果が出るときもあったが、最終的には全くと言っていいほど結果は出ず、結果を求めるあまり結果からは遠のいていくようなそんな気がした。僕は、未だに評価や結果を気にしているのだとそう思った。未だにだ。何か自分自身を表に出すとなると、その評価を恐れているというか、結果がどうなるかが不安で仕方ないのだ。恥をかきたくないとそう思っている。それなら何もせず、ただ死ぬまで、そうやって人目に触れずに生きればいいと思いながら、どうしても何か人との繋がりのようなものを望んでいるというか、この恐怖を超えたい気持ちというのがあるようです。結局、ずっとずっと怖かったのだ。何をするにしても。一人でやっていれば、誰かに評価されるわけでも、結果を気にすることもなく、ただ延々と僕は繰り返し、行動を続けることが出来るわけである。しかし、人目に触れると思った瞬間に、僕は評価や結果を極端に気にし始めて、普段日常的にやっている何もかもが、息苦しいものに変わってしまうのではないかと恐れているのかもしれません。

 評価をされるのが怖いと言っているのは、半分は嘘で良い評価であればそれは嬉しいのだと思う。しかし、悪い評価を素直な気持ちで、フラットな状態で受け取り、それでも聞き流すことが出来るのかが、私は不安で仕方ないのだ。そんなことを、やりもしないことを不安と言い出しているのだから、だったら有無を言わずにやったらいいのにも関わらず、ああだこうだと無駄口を叩き始めるのだ。言い訳を見つけることが得意だ。人のことをああだこうだと言い始めることと似ている。あいつはああだこうだ。そう言いながら、自分の大事なことからは逃げ続けているのだ。自分が本当に集中してやるべきことから逃げているのだ。誰かのせいにして。一生そうやって誰かのせいにし続けては、文句ばかり言い、自分の不安を棚に上げていることにも気づかずに、逃げ続けるのだろうか。かっこ悪いことだと思いながらも、それでも人が怖いという思いは変わらず、一体いつからこんな風に恐怖を抱くようになったのかまったく分からなくなってしまった。言い始めれば生まれた時からだ。人が怖いのだ。人が怖いと言いながら、人が怖いと言いながら、そうやって自分も人でありながら、人のせいにして逃げ続けているのは一体どういうことなのだろうか。また、そうやって逃げるのか。

 そうだ、僕は逃げ惑っている。しかし、何か困難にぶち当たる前に、それを乗り越えようとするために逃げているのではなく、ただ怖いから逃げているのだ。実際はなんの壁にもぶち当たっていないし、何も起こっていないのだ。ただ幻想の中を逃げている。妄想であり、空想を作り上げ、よく分からない不安を抱き、これはいけないことだ。苦しいことだと、そんな中に自らが身を置きたくないと、何も置きていないその場所から逃げているのだ。だから行き場はなく、ただ同じ場所を堂々巡りしているのだとずっとずっと分かっていながら、今踏み出してもいいのかもしれないという、淡い期待を抱いている自分が、どうしても信じきることができずにいる。出来るわけないと否定する自分が、それは経験から、そう言っている私が、私のためにそう言っている私が、今胸の内に存在しており、その彼のことを私は否定することなどできず、それでも進ませてくださいと懺悔するように、涙しながら、ありがとうと、そう言って、彼を、抱きしめ、抱き寄せ、私と彼、進もうと、する。

 

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何か社会との接点を作りたいと思っている。

願いに近いのかもしれない。

 

自分なりの接点を。