溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170806

 「そんなに暑いなら風に近づいていけばいいんだよ。風は吹いているから、風に近寄ればいいのさ。風は生きている。存在し続けているんだ。だから、君から風に近寄っていけばいい。風は逃げたりしないし、ずっとそこにいる。風を遠ざけているのは我々だよ。風が通れないように四角く囲ってしまった。その中に入り込んで、風は入り込めなくなってしまった。風は我々のことを待っているよ。ずっとそこにいる。だから近づくんだ。君から。君の意思で。風に。」

 

セミ

 セミがいびきした。小刻みに鳴く。セミがいびきしている。僕は布団の中でセミのいびきを聞いていた。2匹いた。小刻みに鳴く声が、こんな夜中に、鳴き始めるのだけは、寝言を言うのだけはやめてくれと、心の中でセミにそう伝えた。

 「決められた時間の中を全力で生きるのよ」

 と、みーさんが言った。セミの命は短いらしいが、騒がしい時間が短いだけらしい。1週間なんて言うが、1ヶ月くらい生きる奴もいるし、土の中での生活は数年。割と生きている。昆虫の中でも長寿らしい。セミが鳴いている間だけを生きていると思うから短いと感じてしまうが、実際はもっともっと長い時間、土の中で静かに、静かかどうかは分からないが生活している。セミが輝きを放つのは夏が来たその時。その季節だ。それでも、毎年同じセミのように見えているけれど、1匹1匹は誰かの血を継いで、こうやって生きていて、先祖代々伝わる、セミらしい鳴き声を、毎年毎年、絶えず繰り返す。

 僕はセミの輝きを鳴いているその時だと言っているが、果たしてそうなのだろうか。セミが土にいる間は輝いていないのだろうか。僕は今輝いていないのか。殻を破り捨てて、この夏を全力で生きるセミの、これまでの時間は輝いていない時間だったのだろうか。僕のこの時間は、セミの声に負けそうになりながら、こうして文字に、内側で起こる、動きを、内面の衝動のような、エネルギーを、何とか文字に定着させようとしている、この時間は果たして輝いていないのだろうか。目立つことが輝かしいと思っているのはいつからだろうか。いつからそう思うようになったのか。目立つところだけを見て、課程を見なくなったのはいつからだろうか。結果が全てだと思うようになったのはいつからだろうか。成果がすべてだとそうやって自分を鼓舞するようになったのはいつからだろうか。それが抜けなくなってしまった、中毒のように、自分を駆り立てようとするこの思考はいつからだろうか。薬のように抜けられなくなってしまったのはいつからだろうか。僕が苦しみを生み出していることは何となくわかっているのだと思う。結果が、成果が、出来上がったものが全てであると、結果が悪ければ全てが悪というような、そんなことを考えている。いつかきっと自分だってと、そうやって誰かと比較しているのだ。

 君はいつもそうだ。そうやって誰かを見ては自分の状況を否定する。そんなこといつまでつづけるのさ。セミには名前がある。セミを1匹1匹見なさい。セミと一括りにして、セミをセミとしてまとめて見ているのは自分自身だった。

 

チョコリッチ

 晩御飯は冷やし中華。どうしても暑いと麺系でチュルチュルっといきたくなる。あまりご飯を炊いたりとかそういうのも暑くて億劫になってくる。それでもちゃんと食べなくてはと思い、たまねぎ、にんじん、しめじをみじん切りにして、油で炒める。そこに鶏の挽き肉を入れる。塩胡椒でシンプルに味付け。それを冷やし中華の上にかける。コーンも乗せて。冷やし中華は若干温まるものの、麺だけよりは、しっかり食べれたような気持ちになるので、よし。食後はみーさんが買ってきてくれたガリガリ君を食べる。チョコリッチ。

「ただのチョコじゃない。リッチよ。チョコリッチ!」

 と、みーさんはリッチを強調する。実は初めて食べたような気もするが、なかなかの味わい。口どけが好きだった。食感てやつです。舐めていると程よく溶けてきて、口の中で氷のガリガリと、チョコの風味が広がって、これがリッチなのだ。

 「よくやったよ、ガリガリ」

と、みーさんはガリガリを褒め称える。これがなかなかうまいもんだから、この夏はハマりそうな気もする。よいアイスに出会えた。

 お昼は図書館へ。お昼といっても夕方。汗だくになりながら糸の整経を終え、さすがに部屋の中にいるのも暑いので図書館に涼みに行った。川内倫子さんの写真集。ピカソ、アーシル・ゴーキーの画集、ボブディランのCDとサウンドオブミュージックを借りる。まだ、漱石先生のこゝろと現代詩の本を読んでいる途中だが、文字を読むのが億劫な時があるので、そんな時は画集とか写真集とかそう言うのを見るようにしている。今日は少し本を読んでも良いなと思える気持ちなので、読もうかと思っている。家に帰ってきて、クレヨンで絵を描く。寝る前にも描いた。衝動的なので割とすぐに終わってしまう。家の中でギターを弾く。あまり大きい声で歌うことはせず、声は張らずに。少し響かせるようなイメージを持った。響きの強弱だけで、力はいらないのではないかと思った。どうしても歌おうとすると力んでしまうこともあるが、力まずに、気持ちよく響かせることを大切にしたい。声を出そうとするのではなく、響かせる。それが出来ると気持ちよく感じられる。夜、お風呂に入る前に炭酸が飲みたくなる。22時40分のこと。スーパーが23時に閉まるので、意を決して買いに行くことにした。この時期のお風呂は暑い。入った後がとにかく暑い。それでも入ると体の調子は良いように感じる。水に浸かるのは大事なのかもしれない。1日の終わりを知らせるためにも、湯船に浸かるのは続けた方が良いなと思った。それでも、お風呂から出ると暑くて大変なので水シャワーでも浴びたら良いのではないかと思った。1日の終わりを知らせるのが良いね。今朝、暑さのあまりみーさんに起こされる。

 「こんな暑い日は起きた方がいいよ〜。こんな暑い日はもう外に出かけた方がいいよ〜」

 と、なぜか呪文のようなことを唱えられ、外出を勧められる。これを書いたら言われた通り、図書館に行くがてら散歩でもしようかと思う。それでも起きるのをぐずっていた僕は大きな声でギンギラギンにさり気なくと寿司食いねを歌う。特に好きな歌ってわけでもない。ただ、ギンギラギンな青空が眩しかったので、歌いたかった。遠吠えもした。大きな声を出すのは気持ちが良い。こんな暑いのに、黙って静かにしている方が気が狂ってしまうと思う。静かにおとなしくなんてしていられない。暑かったら、暑さを超えて叫ぶのだ。それが何よりも健康的だ。

 

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考えて工夫する。

多分、苦手なことだ。

 

それでも、大事なことだ。