溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170807

食事

 食事を意識的に変えてみようと思い立つ。お昼一人で食べる時にどうしてもインスタントな食事になる。ほぼそうなっていることに気がつく。簡単だしなによりも安いと思い込んでいる。即席ラーメン一袋約400円で5食入り。5日間食べれると考えて、安上がりじゃないかなんて思っていたのだが、これ本当は安上がりではないとようやく気づく。と言っても、ああだこうだと決まりを作って窮屈にしていく必要もないかなと思うので、とりあえずインスタントラーメンは辞めてみよう月間。ラーメンは好きなのでどこかのラーメン屋さんで食べるなり、生麺のものにする。そんなことを思って、昨日は久しぶりにお米を炊いた。お味噌汁は鰹節で出汁を取り、買って来た大根、家にあったしめじとえのき。もうひとつ野菜炒め。豚のバラ肉ともやし、人参、しめじを入れて炒める。人参はどうしても炒めるだけだと固く残ってしまうので、蓋をして蒸し焼きのようにしてみた。すると、柔らかく食べることができて、良いアイディアだった。あとは冷奴。醤油をかけて食べた。なんとなく、食べたものを人は記憶していると思った。今日朝起きて思ったのが、眠たいけれど「味噌汁パワー!」ってことだった。本当に思ったのだ。起きるか起きないかのまどろんだ状態で、現実かはたまた夢かその中間くらいをフラフラしている時に「味噌汁パワー!」が出て来たのだ。出て来たと言っても通り過ぎたと言った方がいいかもしれないが、自然と元気が出て来た。なので朝から体が自然と動いて少しストレッチをした。自然と動くというのが味噌で、やらなくちゃではなく身体動かしたいなと気持ちよく思える時にやる。どうしてもあれやりなさい、これもやったほうがいいよと勧められるのだが、どうも気が乗らない。別に必要ないと思うし、やりたい時は自分で調べて自分ですぐさま始めるけどねなんて思ったりする。だから大抵、そういう意見みたいなものは聞いて、保留にすることもある。だけど、あいつ言ってもやらないんだよ困ったやつだみたいにその人を見るんじゃなくて、信頼して見守ってくれる方が嬉しいもんだと思った。必要になったらちゃんと自分で始めるし、勝手にやってしまうのだ。むしろ、なによりもそれが大切だと取り憑かれたようにやり始めることだってある。気が向く時は徹底して向く。そのことを信用して良いのだと思った。あいつ何やかんやでやるからなと、そういう風に見てもらっている方が好きなのかもしれない。結局やってしまうのだ。だから大丈夫。今日のうんちは量は少なかったけれどするする出た。うんちの様子もしっかり観察。意識的に観察すること。考察に近いのかな。自分の体を観察。自分自身が実験台であり、医療機関なのである。

 

お掃除ストレッチ

 みーさんはお掃除ストレッチというものを開発したらしい。開発したと言っても、思いつきで始めていた。

「ちょっといいかい?」

 と、僕は声をかけられる。見ると、地面に四つん這いになりながら、ゴミを発見したらそこに体を伸ばしていく。手にはガムテープ。ゴミを吸着させるらしい。それがダンスのように見えて、感動する。

「ダンスみたい」

 と、僕がいうと

「失礼いたしました。どうぞ」

 と、今パソコンに向かって書いている方に集中してくださいと促される。それでも、みーさんは今発見した画期的な発見をどうしても伝えたかったようだ。だから、僕の手を止めて、その動きを見せたのだ。そんなことが今日も繰り返される。お掃除ストレッチ。なかなか体が伸びて気持ち良さそうで、ゴミも取れるので、一石二鳥で良いかもしれない。

 みーさんはアイディアが豊富だ。今やらなくてはいけないことを(やらなくてはいけないとは思っていなかもしれないが)何かと組み合わせる。楽しくできる方法を常に考えているし、生きるために真剣に実践しているように見える。みーさんは家の中をよく観察している。どこが一番涼しいかも知っている。だから昨日から僕は窓際の一番涼しい場所に机を設置して書き物をしている。暑い暑いと思っていたが、窓際だと涼しく、むしろ快適に思える。僕はこういう工夫を怠る。面倒くさがりなのかもしれない。自分の不快をそのままにしてしまうところがある。不快のままでもやり続けるからよくないのかもしれないとふと思い立つ。そうなってくるとすぐに、夢想的になるからだ。ここでないどこかを頭の中で作り出し、そこじゃないと自分はやっていけないなんて思い始めるのだが、大抵どこに行ってもここは自分の居場所じゃないんだなんて言い始めるのだから、あまり信用できたものではない。工夫することだ。それは自分が気持ちよく、快適に過ごすこと。それでも僕は状況が悪かったとしてもスキマを見つけて集中することもできる。それは良いことだと思った。

 

自由

 「あなたがどれだけ人を自由にしているのか、私は実感することが多い。私を自由に解放した功績は何よりも偉大なものだ。」by miiさん

 実際に昨日言われたもので、僕は思いの外、人を自由にしているらしい。僕がやっているようだが、結局はみーさんが自由な素質があるからだと思うし、そういうものが滲み出ているのだと思っている。僕はどちらかというと不自由である。男性に生まれて来た時点でしがらみが多いとすら思っている節がある。だからこそ、人の自由さが見て取れる。それこそが僕の才能だと思っている。人の才能は様々だ。それは滲み出るものであるし、その人の匂いを漂いを嗅ぐことが生きがいで僕は生きているのかもしれない。それだけ言うと、ただの変態に思われるが、そうだ。変態だ。

 自由な振る舞いをする人には自由な振る舞いをする人の役割があるのだと思う。今、自由であるべき人が自由を失っているようなそんな気もしてくる。それではいけない。落ち込んでいてはいけないのだ。僕自身が自由というよりは、周りにいる人が自由だから、僕は自由になっていくのだと思う。それが僕の仕事だ。捉われた人を解放していくのだ。そうして、自分自身の身近な人たちが自由にのびのびと生き始める。それが僕にとっての幸福だとも思った。それが広がっていけば嬉しい。僕はかたっ苦しいのが嫌いだ。機械の方が得意じゃないか。人間が得意なことをやればいい。とっぴょうしもないこと。入り込んでくる思いつきを。どんどんやればいい。それを日々、誰も見ていないのに、ただ楽しくて実践し続けているのがみーさんだ。このエネルギーがどこから湧いてくるのか、僕は研究させてもらっているのだ。僕からしたらみーさんは超人だ。みーさんから溢れる湧き水は、泉は、湖。だから人を楽しませるし、穏やかに、和やかにする。僕は止まることのないみーさんの湧き水を研究している。

 

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工夫する。

生きる工夫。

 

これが教育なのかな。