溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170812

記憶

 ああ、そうだ。やっぱりそうだった。いや、まさかだったのかもしれません。まさか未だにそんなことを恐れているとは思いもしなかったのですから。私は力に抑制されてきたような気がしました。気がしていたのは、当時のことであり、その頃の記憶がいつからなのかはわからないのです。私は、男の持つ力に怯えていたのです。それに怯え、泣き崩れる女の姿に、私は無力さを感じ、ただ女のそばで泣き、訴えることしかできなかったのです。次第に甘えることなど出来なくなり、それは男と女のせいではなく、社会的に見て甘えているのが恥ずかしいことだと、どうも自立を促されているようなそんな漂いを感じ、それを察知してそうふるまっていたにすぎないのです。これは小学生、それかそれよりも前のことを言っていると思います。幼稚園に行くバスに乗りたくなくて泣いていた。それも一つの記憶として私の中に存在し続けているのです。それでも年下の男の子は泣いていなかったし、バスに乗り込むと誰も泣いていなかった。だから、私はそのふるまいに反応したのだ。そうやって、自分の感情よりは社会全体を意識し始めた私は、私の気落ちを置き去りにしていたし、そうやって男と女との距離は遠くなっていったのだ。素直な言葉をかけることは出来なくなり、距離が縮まることはなかったのだ。いや、いまとなっては距離は縮まりつつあるのだと思う。私が、主体的ではなかったのだ。男と女は自分たちなりに私に接してくれていたのだ。愛を持って。私は存分に愛されてきた。それはまぎれもない真実である。それこそが真実なのだ。ただ、時折起こるその怒号の恐怖がそのことよりも私を縛り付けているだけなのである。私は敵わなかったのだ。どうあがいたところで、力でねじ伏せられることはわかっていた。だから、内に向いて行くしかなかったのだ。怯えているしかなかったのだ。それはその瞬間だけのことであったこと。その瞬間だけの恐怖であったこと。今は違うのだ。それでも怯えている。怯えながら、隠れたいと思いながら、それでもいる。いまはこうしている。それが弱さだ。私の弱さなのだ。怯えている。これからもそうなのだろう。しかし、ふるまいを覚えた。怯えていても構わないのだ。それでもふるまうのだ。それでよいのだった。

 

性差

 僕は男性として生まれてきて、女性のことを羨んでいた。女性の声や姿など全てが美しいと思う。男性の僕はどうしてもその領域まで行くことが出来なかった。だから、僕がどんなに何かを作り続けようが、たとえ歌おうが女性のそれには敵わないのだ。かといって、それを手に入れたいと言う欲求はなく、ただ羨んでいたいのだ。別に自分を卑下しているわけではない。それでも近づこうとする。その美しさに近づきたいと思っている。ただ、そうなりたいとは思わない。そうなってしまったら、私が美しいと感じている、この感動はすっかり消えて無くなってしまいそうな気がするからだ。男性と女性と分けているが、男性でもそういう人がいる。美しいと言える人が存在しているのだ。どちらでもない美しさを見ている。ただ内面の、漂いを嗅ぎ分けている。ただ、生物的に見たら女性の方が圧倒的に美しいと感じているのだ。しかし、内面ではもうそういうことを考えてはいない。根本的には存在が美しいはずだ。しかし、好き嫌いがあるのだ。それは致し方ない。それでも全てを受けいられるとすら思っている節がある。それは表面的な言葉ではない。言葉にはなっていないその場所で出会うなら私たちはきっと受け入れあいながら生きることができると、私はそう思っている。表面的には手を取り合わないが、深い場所に行くなら、その表面的なところから潜り込む勇気がお互いにあるながら、なんの隔たりもなく、お互いの真実に到達できると、私は考えているのだ。だからと言って不純物を消し去ろうともしない。ただかき混ぜるだけでいい。渦を巻き、まるでもう何もないただの水の中の存在。それで構わないのだ。私は取り除かないし、消し去らない。ただかき混ぜる。そのカオスの中にいる。意識を混沌とさせる。朦朧とさせる。現実を歪ませるのだ。裂け目を作るのだ。創造的に、生み出すのだ。ただ、そうやって呼吸している。私は裂け目自体なのだ。そこで声をかけている。あなたに対して。ここがそうだといつも言っている。しかし、裂け目は無数に存在し、それが俺だ。俺自体だ。俺はここにいる。そこにいる。ただ無数にいる。

 

鎌倉散策

 友人が鎌倉に来た。その瞬間雨。龍が喜んでいるらしい。そのまま駅前の風水ショップに入る。音叉を鳴らす。気持ちの良い音。海に行く予定だったが、神社に行くことになる。佐助稲荷から銭洗弁天コース。佐助稲荷はやはり落ち着く。居心地が良いのだ。ずっといたくなる。お布施をして麦茶をいただく。冷たくて美味しい。幸せだった。銭洗弁天に向かう途中にカフェの看板を見つける。そのまま入ってみることに。デザートと飲み物付きで300円。破格である。中は一軒家を解放したような空間で、田舎に帰って来た、一泊してしまいそうなそんな雰囲気があり、落ち着いて過ごすことができる。トリップ感のある場所。現実が歪むのだ。すごく良い。あまりに満足だったので友人がお布施を置いて、店を出ると、店主のおばあさんが追いかけて来てくれる。結果チーズケーキを頂く。深々と頭を下げていた。おばあさんの日常に少しのトリップ感を与えた、友人のふるまいに感動したので、のちに行ったミサキドーナツでドーナツとコーヒをご馳走する。僕はふるまいにお金を払いたいと思う。ミサキドーナツで展示の打ち合わせ。日程も決まり、みーさんに報告。展示の手助けをしてもらう。絵や布などを準備して行ったのだが、当日まで楽しみにしていますとのことだったので、特に何も見せることなく決まった。いつでも出来ますよと言ってもらえているし、家から近いのも嬉しい。その後、やまかに行き晩御飯の食材を買う。うどん。少し涼しかったのであたたかいうどん。つゆを作る。鰹節で出汁を取り、めんつゆ、醤油、酒、みりんで味を整える。舞茸とかき揚げをつくり、うどんのお供に。その後、別の友人とラインで通話。1時間半ほど話す。駅までお見送り。友人はまた鎌倉に来ることになった。これから忙しくなりそうである。9月下旬から、10月は展示などして外に出ることになる気がする。イベントなども行われる気がする。音楽とか。そんな気がしています。大抵予感で動くので、その予感通りに素直に行動。頭の否定も聞く耳を持ちながら行動は止めない。

 

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今日も昨日のカフェに行く予定。

今日は、みーさんと。