溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170815

誕生日会

  みーさんの甥っ子の誕生日。お姉さん家族と、みーさんの父母でお祝い。3歳になるらしい。ちょっとしたコミュニケーションも取れるようになっていた。絵を描いたり、お店屋さんごっこをしている。たまに、混ざる。電車に乗って疲れていたので、少し目を閉じて静かにする。買い出しに行っていた、お姉さんたちが帰ってきて晩御飯。お寿司、唐揚げ、刺身こんにゃく、焼いたナス、お土産のかまぼこ、トマト。とにかく豪勢。たくさん、食べる。食後に、炊き込みご飯と味噌汁が出てくる。これも美味しい。ほろ酔いを飲みながら食べた。最近、多少だがお酒を飲むようになった。一時は完全にやめていたが、最近は楽しく飲む程度なら良いなと思えるようになった。食後に、みーさんの買ってきた桃のショートケーキでハッピバースデイを歌う。3人まとめて。甥っ子ちゃんが、暗さに驚いて椅子から落ちる。一同騒然。泣き声が響き渡る。それでも、ケーキに灯された火を消すのは甥っ子の役目。しっかりと役目を果たすが、プレゼントにもらったトーマスの方が、興味あり。ケーキよりもトーマス。ケーキと紅茶をいただき、花火をする。家の周りが煙だらけ。

 「火事でーす。火事でーす」

 と、甥っ子が駆け回る。手持ち花火なんて久しぶりにやった。結局煙になって消えてゆく。残ったかすかな火を眺めて、あっという間、なんて思う。あの火のついたシュワッという音ともに、一種の興奮が芽生える。胸がドキドキし、勢い良く燃える花火をこれでもかというくらい眺めるが、消えるときは一瞬で、何か夢から覚めたようなそんな気持ちにさせる。消えた花火は水の入ったバケツの中へ。線香花火は眺める間も無く落ちて行く。パチパチも言わずに。ボトッと。部屋に戻り、みーさんの部屋からギターを持ち出す。みーさんと歌う。グッドナイト・ベイビー。きいろいゾウを見て二人でハマり練習。ようやく披露する場が出来た。父ちゃんはもちろん知っていたようで、高音ファルセットを駆使して一緒に歌ってくれた。甥っ子も喜んでくれている。音楽って良い。何か一体になった気がした。

 「もう一回!」

 と、甥っ子ちゃんが言い出したので、もう一度やる。甥っ子は近くでギターを叩いたりする。興味を持ったらしい。歌い終わり、退散。部屋に戻ると、甥っ子がタンバリンを持ってくる。もう一度、舞台に出て、今度は荻野目洋子。ダンシング・ヒーロー。

 誕生日会はひと段落し、帰り支度。扇風機、お米、クッキー、ナスなど食材もいただく。扇風機は今更だが夏を乗り切る必須アイテム。車で送ってくれるとのことでお言葉に甘えて乗り込む。しまじろうを見ながら帰宅。家に帰って、もらったカルピスを水で割って氷を入れる。なんだか、夏っぽい。すっかり疲れてしまったので、早めに就寝。

 

夏バテ

 10日くらいから、大きく気分が揺れることはなく安定している。それ以前は日内変動しているような感覚があった。落ちないように保てているような感覚があるが、とはいえ体は疲れているような気がする。夏バテ気味かも。ここ数日間は、朝寝過ごすことはあるものの、ほぼスケジュール通り動いていて、それは良いのかもしれない。おかげで、寝つきは悪いが夜は眠くなるような状態が久しぶりにあった。夜眠くなるという感覚がなことのほうが多いので、いい感じに体を使えている証拠かもしれない。少し、体のだるさを解消すべく、晩御飯はあっさりした温かいものを食べようかと研究中。湯豆腐が良さそう。ポン酢につけて。少し、運動をしたいと思うが、最近怠け気味。走るとなるとハードルが上がってしまうので、1日1回は外に出て散歩をするように心がけたい。それと意欲的にスケジュールを立てている。これまでまったく誰かと会う予定や鎌倉か出る予定を立てなかったが、先週から急にそういうスイッチが入ったのか。とはいえ、すでに疲れ気味ではあり、基本ベースを崩さないように。書くことはやめない。どこにいても必ず書くというのは一つの決まり事になっている。意識はしていないが、書くために起き始めるので、それはそれで良いのかもしれない。

 

連続性

 毎日に連続性がなく、寝て覚めたらまったく違う物体になってしまっているような感覚があります。昨日言っていたこととの一貫性はあまり求めないように。毎日出てくるものをただ出し続けること。同じことを、一貫することは出来ない。ただ、根本を辿れば一緒であるようにも思う。今日はどうか、今はどうかに重きを置きたい。今は何を語ることができるのか、どんな文字を表出するのか。そのことに集中すること。昨日の続きといった感覚はあまり持たない。昨日の続きが出来ないのかもしれない。これは今の状態だからなのか、それとも延長線上に伸ばしそこをただ進めば昨日の延長線上にいることになるのかはわからないが、今は分断されているような感覚がある。というのも、毎日自分の状態は変わり続けるからであり、その状態で、どうやって日々の量をこなしていくかの癖をつけているような気がする。訓練。止まらずに運動を続ける方法。それが今のところは良いのかもしれない。最近、詩を書き始めたのが少し刺激になっている。詩であるのかどうかはまだ分からないが、とにかく書き始めてみようということだ。形式ではなく、まず量を。そこで学んだりしながら育て上げて行く感覚が良い。まずは自分のやりたいように衝動に任せてやらせてあげる。そこから知識を追いつかせる。だから毎日やりたいようにやってあげる結果が今なのかもしれない。やりたいものを永遠とやり続ける甥っ子のような感覚だ。やりたいことはずっとやるし、飽きたらやめる。そのやりたい瞬間はとにかく飽きずにやり続けるのだ。そこに、評価はないし、上手かろうが下手だろうがなんだってよいのだと思う。そんなこと気にする前に、まずはとにかく動く。手を動かす。そういうことをしないと、体が馴染んでいかないのだ。そして、知識は図書館にでも行って、蓄える。気になったものは借りて、読まなくてもいいから家に置いておく。お金がなくても出来る。その本を家の中に漂わせておくのが重要だと思っている。開かなくても、その本の漂いを家に置いておくこと。

 

 

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降ったり止んだり。

暑かったり寒かったり。

 

夏バテ。