創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20170816

食事

 お昼にレバーが食べたくなる。近頃、「レバー食いたい。レバー食いたい」言っていたので、なにか作ってみることに。前の日に使った天ぷらの油が残っていたので、竜田揚げにチャレンジ。レバーを水で洗い牛乳につけて臭み取り。その後醤油、酒、オイスターソース、ちょっとのはちみつ、塩につける。20分ほど置いてタレを切り、片栗粉をまぶす。表面に付け温めた油で揚げる。その間に、大根すりおろし。揚がったレバーに乗せて、ポン酢をかける。ちょっとさっぱり、竜田揚げ風豚レバーのおろし添え完成。食べたら元気が出た気がして満足。夜ご飯は、お鍋。豆腐と油揚げ、下ゆでした大根、ウインナー、舞茸、鱈などを入れる。お鍋の味付けはめんつゆなどで簡単に。ポン酢につけて。〆はうどんに卵をかけて。ふわふわうどん。ご飯を作るブームが再熱。今月は意識して食事を整えようと思っていたが、効果ありかも。簡単なもので済ませるよりは、ちょっとでも包丁を使ったり、フライパンを使ったり、そうやって手を動かすことは良いこと。食べるよりも前の、作るという行為が良いのかもしれない。ご飯を作る振る舞いが好きなのかもしれない。

 

予定

 夕方は病院へ。ここ5日間くらいは調子が良かったことを伝える。スケジュールを立ててそれ通りに動いていることが良いかもと伝えた。困ったことがあったら言ってねと言われる。銀行に立ち寄り、支払いなどを済ませる。雨が降っていたので、用事が終わったら一度家に帰り、洗濯物の様子を見るを繰り返す。そんなに雨が降らない予想だったが結構な量降っていたので、洗濯物は出たり入ったり忙しそうにしていた。若宮大路通り沿いの薬局でフルグラを買う。フルグラを買うならここと決めている。スーパーより300円くらいは安い気がする。いつもいる店員さん。ありがとうございましたと伝える。画材店に立ち寄る。木炭が気になってしばらく眺める。墨も気になったが、少し値段が高かったので一旦お預け。実家に帰った時に墨があるのか聞いてみて、あったらもらおうと思った。結局、絵の具を数本と紙、B5サイズのスケッチブックを購入。勇気を出して、今使っているような紙を裁断してもらったら安いか聞いて見たら、おばさんはあたふたしていたが、若い女性の店員さんはハキハキと対応してくれてそのまま注文。紙が取り寄せになったので、いつも使っているリング付きの紙を買って帰宅。勇気を出して聞いてみて良かった。

 

奴隷

 最近、スケジュール通りにこなし続けることが重要だと思っている。朝寝坊は時折するものの、それでも起きたらすぐに執筆に向かう。ふと思うのが、会社や社会や誰かの奴隷になるのは到底ごめんだが、結局は自分自身の奴隷になるのだと思っている。徹底して生み出し続ける。行動をし続けること。それでも苦手なことを長い時間やらなくてはいけないよりはよっぽどマシで、好きなことを永遠と続けた結果どうなるのか。たとえ、何も起こらなかったとしても、このまま寿命までやり続けて死ぬのだったらそれは本望であるし、他人の評価で動いているわけでもなければ、お金を稼ぐための商品を作っているわけでもない。ただ、運動として行いとしてやっているだけのものなので何を言われても止めることはないし、僕にとってのこの行動は精神療養なのだと思っている。ひどく落ち込み、異常なまでに自分を卑下、死にたいと真剣に考えるところがある。そんな鬱の状態がきっといずれまた訪れるのだろうと思っているが、今は調子が良く、なんでもかんでも前向きであるし、行動的である。僕は自分自身が躁うつだと認めてから何か変わり始めた気がした。そういうふるまいを隠すことなく、むしろ自分の中へ取り入れることによってそれが自然になっているように思った。だから、無理して人に会わなくていいし、エネルギーのやり場を創造に向ければ良い。その向け方が、ようやく体に馴染んで来ているのかもしれない。人に会うのは最低限で良い。乗りこなし方と身のこなし方。それがやっとわかって来たのだとも思った。それに、好きなことを永遠と続けている人間を人は無視したり、殺したりすることは出来ないのだと思った。きっと、生かそうと思う。僕の周りにはそういう人ばかりいる。僕は周りにいる人を殺してはいけないと思う。徹底して生かそうと考えている。生きながら死んでいく人、自由という振る舞いを背負いながら奴隷となっていく人を見ていられないのだ。奴隷になるなら自分自身の奴隷になろう。徹底してノルマを達成しよう。自分で自分に仕事の発注をしよう。溢れてしまったらもう止まらない。溢れ出させることが先だ。その時に自分なんてそんなものにしがみつくことのバカバカしさに気がつくはずなのだ。自分なんてないよ。ただ空洞で、水が通り抜けていく水道管のような、ただの空っぽな、空き瓶。ただ、僕の体は通り抜けていくためにある。あなたたちの声が通り抜けていく、あなたたちの声にならない思いが、僕を通り抜けて、声となり、広がり、拡散する。

 

湧き水

 人は湧き水である。しかし人はそんな重大なことを忘れて、みんながそうしているからと言ってミネラルウォーターを買い、水道をひねる。溢れていたはずの湧き水は、必要ないならと、自ら枯れていく。湧き出す必要がないと自らが察し、消えていくのだ。枯れ果てて、干からびた大地に水を注ごうと、今まで通りミネラルウォーターを買っては撒き、水道をひねってはお金を払って撒く。水を買うにはお金が必要だと思い込む。自分が湧き水であることも忘れて。お金がないと生きていけないと思い込む。それが奴隷であることの始まりだった。人は今もまだ水を通しての争いを続けている。枯渇した大地を潤すために水を買い占める。自分が何者であったのかも忘れて。

 もし湧き水を取り戻したいなら。水は完全に枯れ果てているわけではない。まずは、水源を突き止めなくてはいけない。水は死なない。水源は死ぬことがない。永遠に水は湧き出ている。そのことに気がつかなくてはいけない。思い出さなくてはいけない。ミネラルウォーターを買わなくても、水道をひねらなくても、自分自身が湧き水であることを思い出さなくてはいけない。喜びを与えるのだ。苦手なことなどやめて、好きだったことを得意だったことを、褒められたことを、出来たことを栄養として与え続けるのだ。徐々に水は流れ出し、枯渇していた大地は潤い始め、湧き水はとめどなく流れ出す。いずれ自分から溢れ、永遠に供給を続ける。私たちは水自体だからだ。永遠に供給を止めることはない。過剰供給と思えるほど水は溢れる。それが私たちだったことを思い出さなくてはいけない。水を買わされていてはいけないのだ。私たち自身が、溢れる湧き水なのだ。かならず湧き水が溢れる時が来る。まずは自分の湧き水を溢れさせるのだ。水を買うな、自ら過剰供給せよ。

 

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今日も雨。

すっかり涼しい。

 

はやく秋が来ないかな。