創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20170819

船堀

 新川沿いをみーさんと母の3人で歩く。少し蒸し暑い陽気だったが、日は隠れていたので強烈な暑さと言うわけではなかった。雨の影響からか水かさが増しているようだった。車の音や、排気ガス臭さは多少和らいで、すごく静かな時間が流れていたし、新川沿いにいる人たち各々が自由に自分の時間を過ごしているようにも見えた。散歩している人や、ランニングしている人。ただぼうっと川を眺めている人、釣りをしている人。ゴムチューブをくくりつけて体力作りに勤しむ人。とにかくいろんな人がいるということだ。船堀方面から歩いて20分ほどのところに、新川さくら館がある。こんな建物があったことを初めて知る。江戸時代にタイムスリップしたような外観で、中に入るとお休みどころだったり、貸し部屋など地域の人が使えるような場所になっている。お休みどころには江戸川区の伝統工芸品が並ぶ。まじまじと見る自分の生まれ育った町の伝統工芸品。どうも僕は江戸っ子と言われるようだ。そんな気持ちが湧いてくる。抹茶のセットを注文。ほろ苦い抹茶と白玉。白玉はあずきときなこの2セット。あずきはあまり得意ではない。きなこは好き。少し休んで、船堀方面へ再び歩く。小さい頃にクジラ公園と言われていた公園のクジラは撤去され、すっかりなにもない公園になってしまっていた。なんとなくだが、広場がないねと話しをする。子供はどこで遊ぶのだろう。僕が小さい頃は駐車場が主だった。家の近くの。その後、行動範囲が徐々に広がり、テニスコートで野球をしたり、公園で遊ぶようになったが、それでもやはりそこは広場と言われるような場所ではなく、どうしても建物に圧迫された空間として広がっていた。

 家に帰り母の焼いたちぎりパンを食べる。ふんわりしていて美味しい。ベーコンやソーセージ、卵や野菜などを挟んで食べる。その後、みーさんと自転車でバッティングセンターへ。久しぶりに訪れる。110キロを打つ。右打席、左打席両方で満遍なく。まだまだ振れると思った。左は少し体が開き気味になるがスムーズに体が動く感覚があり、もしかしたら左打ちだったのかもなんて今更だけど思ったりする。右は少し力が入っていると感じだったが、それでも気持ちよく打つことが出来て、まだまだやれるじゃないかと、流れる甲子園を観ながら思う。少し、休憩し再び自転車を漕いで自宅へ向かう。途中、神社に立ち寄る。八幡神社。帰ってくると必ず立ち寄る場所。白龍さんがいるらしい。挨拶したくなる場所なのだ。帰ってきましたと言いたくなる場所。小さい神社だが、ちょっとした僕のお気に入りにでその後に親水公園沿いをのんびり歩いて帰るのが好きなのだ。

 ババからもらったまねきの湯の入浴券片手にお風呂へ入りに向かう。すっかり夕方になり、間も無く日が暮れようとしていた。体を洗ってお風呂へダイブ。炭酸泉の檜風呂に浸かる。体にしゅわしゅわとした気泡がつく。37度前後で程よく暖かいので、40分くらい入っていた。すぐに立ち上がると立ちくらみするので、少し腰掛けてから。露天風呂で外の風を浴びながら。空を眺めると、こんなに狭いと感じていた街でさえ、空は広がっているように思った。空は広いどこまでも続く。お風呂から上がり、しばらく館内をフラフラ。別々に入っていたみーさんと合流しコーヒー牛乳を飲む。その後、漫画が置いてあるスペースなどフラフラ。すごい量の漫画。風呂上がりに寝っ転がって漫画を読んでいる人がどうしてこんなにも廃人に見えるのだろうか。怠け者の究極体に見えた。それほどリラックスして廃人になれるまねきの湯はやはり重宝されるのかもしれない。みーさんが歩いていてやたらと100円を拾う。3回くらい拾っていた。1枚はおばちゃんにあげたらしい。みーさんはよくお金を拾う。この人からお金はなくならないと確信する。この人はお金に愛されているし、お金を愛している。それに仲が良い。何か、安心感のようなものをふと覚える。

 船堀に住む人の東京の3大タワーといえば、東京タワー、スカイツリー、船堀タワーである。せっかくなので風呂上がりに展望台へ行くことに。展望台では東京を一望できる。晴れの日は富士山も見えたりする。東京は一面平野でどこまでも広がっていて、赤いライトがどこにでもいる。赤い目がどこに目をやっても存在するのだ。山はなく、どこまでも平野だった。地形なんて意識して見ていなかったが、鎌倉の地形とは明らかに街の様子が違っていた。

「簡単に言うと樹海みたいに見えるね」

 と、みーさんに言われて、ぞっとしながらも興奮を覚える。まじまじと見る東京は僕の生まれ育った場所だった。

 帰宅し浸けうどんを食べる。鶏肉入り。オノ・ヨーコの特集みたいなものをテレビでやっていたのでそのまま観る。その後サマーウォーズ。何回も観ているが、好き。バケモノの子もまた観たくなった。みーさんと僕の卒アルを眺める。そのまま就寝。

 

地元

 久々に帰ってきた地元はいつもと違った場所に見えた。それに、前よりもよく喋る自分がいて、やはり今は調子が良いのだとも思ったし、これが本来の自分であり、もう精神的に落ち込んだり、不安定になりすぎたりそんなことしないんじゃないかとすら思えてくる。何もないと嘆いていた場所でも、小さい頃は場所を見つけてミニ四駆を走らせたり、テニスコートで野球をしていた。家の中で絵を描いたり、ゲームしたり、決められた場所の中でも何か楽しもうとしていた。それに、今となっては自分のお気に入りの場所というのも出来ていた。自分の住んでいる街にお気に入りの場所なんてなかったのだ。そういうのが僕の中で確かに存在し始めていた。どんな場所であるにせよ、どんなところであるにせよ、ここが僕の地元なのだと改めて思った。東京も悪くないじゃないかと思うし、東京東京とひとくくりにしているのはいつの日も自分自身だった。そして僕は何よりも自分のことを過小評価しすぎたまま生きてきた。そのことがなんだか今回塗り変わったような気がして、嬉しい気持ちになったのだ。明るくて面白い僕は未だにぼくの中に存在しているし、ハイテンションと言われる僕もいつの日も僕の中に存在している。これまで苦しかったのはそういう自分がどこか遠い過去の自分であり、もうそんな自分はどこにもいないのではないかと言う不安であった。僕はそういう自分がいつの日も自分の中で存在し続けているのを知っていた。中学生の頃のように、自由で何もかもが楽しかったことを。それは学校内だけのことではなく、自分が打ち込むべきもにただ熱中できていたこと。学校生活以外に、恋愛や野球に何か夢中になれていたこと。それが僕の放課後であったし、カラオケに行ったり、隣町の駄菓子屋に行ったり、なんかこう自分が自由で何者にもなれるような感覚があった。その感覚はやっぱり今でも死んでいなかったと言う単純な話で、結局僕は中学生のまま何も変わらず、ただ夢中になれることをハイテンションにやっているだけなのだった。僕は不器用であるが、ただ夢中なのだ。不器用になんでもやってしまうしただ夢中なのだ。

 

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今日はこれから、蔵前へ。

サボの修理と友達に会う予定。

 

午後は天気が荒れるらしい。