溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170820

交錯

 現実と夢は交錯する。歪み。空間の歪み。流れ出す時間。止まったはずの時間が、止まってはいない、その狭間。現実は格子状に聳えたち、檻のような存在。脆く崩れ、頼りない、確固たる現実に、身を委ねるのは如何なものか。夢は混じり合い、揺れる。音楽のようにただ流れるだけ。流れているだけなのです。ただ余韻が、耳元にそっと流れ込むような、その狭間の空間の歪み、街並み。明るい、夜は来ない。いつまでも灯された明かり。睡眠障害。多発。それが現実。明るい世界。夜の来ない。闇の来ない世界。隠蔽された、片方だけしか見せない、歪んだ世界を俺は否定。徹底して否定する。反すること。あるまじき行為。自然に反する。闇の中にある、明るい軽い、質感。存在しない。それが歪み。音楽。流れているだけ。そこにある神社。今になって知る。ずっとそこにあったはずのそれなのに見逃す。ないものにしていた社。そうやって隠蔽。交錯させる。眠りこそが現実。夜は来るのか。夜はある。あるのは灯り。灯された社会。闇を消し去った愚かさ。表面は灯り。その先にある闇。闇にある現実の真っ当な柔らかい、硬さ。流れ込んで来る、音楽、空洞、ただ通り抜ける水道管の役割の、俺の、私のような世界。私的な詩的。死的。生死の狭間にいる。ファンタジー。樹海と都会。同じ水平線。どこまでも続く平地。山の存在が、遠いものになったのは地形の、地質が変動。滝が生まれ、川は流れた。溢れ出す湧き水。今も変わらず、君のまま。永遠に存在。無視するな。ホリアテロ。手に届く場所にある。気づかぬふり、いつもそう。人の井戸水を飲み続ける。過剰供給。俺はただそうあったのだ。かってにそうする。言いたい奴は言う。勝手に言える立場。自立依存。自律的依存。自立。なんでも自立。自治体。持ちこんだ。遠くでセミが鳴いている。遠くで鳥が鳴いている。遠くで私は泣いている。お母さん。お母さん。私は涙ながらに、その光景、川の流れ、これが現実、緊張、まばゆい光、包まれた、お届け物、3週間後に持って行きます。まるで夢の中。どちらでもない時間。どちらにもいない時間。ただ、そっと立ち尽くす。その揺れが、流れて来る。現実と夢の狭間の、現実的な思考回路と感情の連鎖。混沌とした上空から眺める、視点の宇宙ステーションの奥の、神という視点があるなら、それは私。神でありながら、平凡な暮らし、当たり前の暮らし、生存権保持。生きる術持ち合わせた、この雑踏の中の、唯一の私の姿、雑踏の中で見つけてくれますか。私は嗅ぎ分ける。俺の姿を見ていた。私の姿を嗅ぎ分けていたのは私で、俺は見ていた。ただ単に眺めることにした。観察。経過観察。一生。様子見。実験的、人体の実験。医療。自主医療。自己治癒能力の向上。溢れるのは湧き水。水である、自我。破裂音。行きた証。証人。立ち尽くす。点在する証人。待っていた。俺がやってくることを、それは私たちの役目であったし、私たちは点在している。散り散りにやってくるのを待つ。神社のような、存在が私たちで、それぞれが祀られている、どこまでも、永遠に、存在、目に見える、触れることも出来る、現実的な存在として、私たちはここにいる、静寂の、音楽の中に、いる。この羅列が言語の暗号。シークレット。なんの秘密もない暗号。羅列。数字の文字列。電話番号。同じ役割を持つ、接続部分、接合させる、つなぎ目が私たち。パイプ。空洞。私たちはここで点在、遠くで鳴いている鳥たちの声。羽音。運んで来るのは風。湧き出すのは水。水源。その声。

 

友人

 電車に乗って蔵前へ。傘を車内に忘れる。雨は降ったようだけど、結局使わなかった。naotでサボの修理依頼。かかとが削れていたので直してあげる。つい履き過ぎてしまいますよねと店員さんと会話。配送してもらうことに。お店から出ると、みずほ銀行の預金残高の1万500円がやたらと気になり始める。500円下ろす。手数料かかる。残高9,900。今度1万円引き落としがあるので、週明けに100円入金すること。覚書。謎の行動。それでも衝動だったので仕方ない。カフェに行く。友達と久しぶりに会う。下ろした500円あげる。お賽銭。ハムたまごサンドとドーナツ、ソイラテを奢ってくれる。すぐになにかしら巡り巡って来る。5時間半くらいぶっ通しで話す。延々と。心理について、芸術について、空間について、お互いが持ち合わせるものを出し合う。彼女のしていることは芸術であり、インスタレーション的な存在。多層な空間を作り上げてきた人。なので芸術家だと思った。そういったほうが僕の中では説明がつきやすい。空間を作っている人。現実とまた別の多層な独自の空間。持ち合わせていないのでは心理を語ることは出来ない。ふとした時に、そういった見解が僕の中に流れ込む。どんな形であれ、徹底した個人の視点を持ち合わせること。それが僕の役割であるし、そういうのを垣間見るのが趣味で、ただの生きがいで、そうやって発見することを、そのまた別の空間にある、存在を文字と言語を扱い、空間に立ち上げること。そうやって空間を確立し、持ち合わせること。それが僕にできることであり、続けてきていること。だから僕はただ単に人前でそうやってふるまいを続けるための毎日が訓練であり、狂うことが芸術であり、芸能。人目に触れることなどないと思うが、それでも言わなくてはいけないことはちゃんと言ったほうがいいので、それは僕たちが湧き水ということで、湧きたたせ、溢れさせることが何よりも先決であることに、目を背けることがどうも違和感なのであり、僕はそのことを前に出て、ただ湧き水ですといってパフォーマンスをするように、やっている。存在として、前に立ち、そのエネルギーを受け取ってもらったほうがいいと、そう言ってもらうことが、まさにそうだと感じ、それがこれからやるべきことで、ただ自我の欲求というよりは、なぜか、なぜかそうやって出なくてはいけないという衝動のようなものが、通り抜けていくから、やっているだけで、やりたくてワクワクドキドキとかそういう感じでもなく、ただ淡々と、自分的他者の圧倒的な奴隷になり、かと言って社会とか、そういった奴隷意識からは圧倒的な対極にいながら、徹底した奴隷であり続けることが、僕の役割であり、仕事。5時間半ぶっ通し。そういうことが時折必要。訓練。それが出来る友人がいるということが貴重であり、ありがたい。多分、普通だと卒倒してしまう。

 

 

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 ふと目が覚めて夢と現実とその間をうろついている感じがしてそのまま起きた。

昨日は5時間半ぶっ通しで久々に話した。

こういうことが時折必要。

いつかのための訓練。

 

早めに起きれたので朝風呂してきます。

今日、鎌倉に戻るよ。

久々の地元に来て、地元がまたちょっと好きになった。

好きな場所が再確認できた。

 

東京だからと批判的に見ていたところもあったが、地元にお気に入りの場所が出来たことが、また帰って来たら行こうと思える場所があることは嬉しいと思った。