創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20170821

入浴券

 目が覚めたので起きて書く。朝の入浴券をババに貰ったので朝風呂をしにまねきの湯へ。直接は向かわず、稲荷神社でお参りする。少し強いと言うか、厳しめの印象を受ける。少し、背筋が伸びる感覚があった。ハイラーク横の公園を経由してまねきの湯へ。受付のお姉さんに「今日は少し混んでいますよ」と言われ、伝えてくれてありがとうの気持ちを伝える。しかし、内心はマジか帰ろうかなと思うがそのままお風呂へ。体を流し、炭酸泉に。1時間くらい浸かる。露天風呂に行き、体を冷やしながら足元だけ浸かる。こちらも1時間くらい。じっくり浸かり、汗もいい感じに出てきたので、シャワーで再び洗い流し、風呂を出る。コーヒー牛乳を買い、休憩所で少しゆっくりする。詩を書く。一気に4つ書けた。まねきの湯を出て、散歩がてら八幡神社を目指して歩くことにする。スポーツ公園経由で日枝神社に立ち寄り、親水公園の鳥を写真に収めようとしながら歩く。少しだけだが、自然が残っている、少しだけ森の香りをさせるような場所。しばらく歩いて八幡神社到着。帰り道は新川ぞいに出て歩く。駅前を通って帰宅。部屋に戻り、鎌倉に持って行く荷物の準備をする。置いてあった絵と、白いパンツ。裾をババが直してくれた。ありがたや。あとは、細々としたものを準備しつつ、そのまま野球をしていた時に書いていたノートを手に取り読み始める。当時の監督とのやりとりに目が行き、その頃から僕は書いていて、それを使って何か内面を伝えようとしていたのかと改めて認識。当たり前になりすぎて忘れていたが、12歳から日記のようなものを書き続けてきたのかと思ったし、書くと言う時間が何か重要であると言うのを僕自身が感覚的に知っていたようなそんな気がした。父が部屋に来て、そろそろ行くとのことだったので、慌てて準備再開。絵を袋に詰める。車に乗せて、父母とともに出発。車のオイル交換のようなものをしている間にバッティングセンターでみーさんが撮ってくれた僕のバッティングの動画を見せる。「しがらみがないからよく振れている」とのこと。当時の僕の環境を一番よく理解してくれていたのは父だったのだと改めて思った。早く起きすぎたせいか眠い。車の中では少し眠むっていた。途中、鎌倉霊園が通り道だったのでおばあちゃんの御墓参りをすることになる。初めてのおばあちゃんの墓参り。その後、鎌倉の家付近に駐車し荷物を運び、お昼ご飯を食べる。キャシー中島の店に立ち寄る。母がタオル購入。プレゼントでくれた。夜の街灯の眩しさを隠す目隠しタオルとしてさっそくつかわれた。カフェに寄り、ティラミスとコーヒーを飲む。ヴィヴモンがお休みだったのでその隣のカフェ。歩いて駐車場に向かい、別れを告げて家に帰宅。眠くなったので、そのまま横になった。

 

思考

 思考しなさい。それが必要なのです。考えなさい。自らが。言葉を大切にしなさい。自らの。当てがわれた言葉を使って、さもそれが当たり前とは思わないようにしなさい。自分の言葉にしなさい。あなたは駒ではありません。視点を持ちなさい。層を持ちなさい。自らの空間を立ち上げなさい。無意識の世界を持ちさない。書くことで立ち上げなさい。説明は入りません。理解など必要ありません。ただ徹底した行動が必要であるのです。なぜ、この私は言語が失われていると焦燥感に駆られているのでしょうか。それは、学習の遅れであるように思え、思考する習慣がなくなることで、操られていることにも気づかず、駒の一部になりえる、自分の考えを言わない、持たない、どう感じているのかも分からない、その内面の麻痺こそが、奴隷意識を生みだす。考えなさい。社会に対して。自らを取り巻く世界について考えなさい。どうして答えがないと不安なのだろか。そうやって動けなくさせているのは自分自身であり、長年培ってきた、暴走とも言えるような状況を変える。それが私たちには必要である。思考を続けなさい。誰にも聞かず、自らの考えを口にしなさい。勉学に励みなさい。徹底して内面世界に飛び込みなさい。なぜ、その現実が必要なのかがわかって来ます。それこそが重要なのです。それは私たちが殺されないためであり、自らが死なないための役割だからです。自らが作りなさい。すぐにできることから続けなさい。

 

カビ

 家に少しカビが発生したらしい。そのため実家から小さめの掃除機を持ってきた。じめじめした天気が続いていたので、雨であったり、湿気に対して意識を持つことも大切になりそう。雨が降ったら、雨戸を閉める。とは言え、発生してしまっても掃除機であまり擦り付けず吸い込んであげる良いらしい。大切なのは濡れた雑巾なんかでは拭き上げないこと。それをやると逆効果らしい。風通しを意識してあげる。それでも風が通っていかない場所もあることを知っていること。ものがある場所ではそこに湿気が生まれやすいこと。

 

時間

 晩御飯は冷やし中華。母にもらった煮卵を乗せて。みーさんがジンジャエールを買って来てくれたので乾杯する。久々に二人の時間。みーさんの実家で甥っ子の誕生日を祝ったり、僕の実家に帰ったりしていたので、二人の時間というのは久々なような気がした。みーさんが最近感じていることや思っていることを話す。どうもみーさんの言っていることは、地球規模のような感じがして、世の中での仕組みとか、しがらみとかそういう当たり前の部分に問いを持っているように思えた。だからこそ、身近な人を大切にして、家族単位、個人単位に目を向けられるのがみーさんのすごいところであるし、それをいつの日も実践している。何かやろうと意気込むというよりは自然にやってしまえるのだ。どんなに社会を変えようといっても、何か変革を起こそうといっても、自分の身の回りに目を背けている人の言葉には感触がない。実際に身の回りでそういう振る舞いをして来ていないから、その言葉の中にこもる何かが足りないのだ。家族に目を向けることは何よりも重要なのだとも思える。かといってそこを変えなくてはいけないと言うわけでもなく、身近な存在としっかり話し合えないこと、自分の考えや感じていることを伝え合えないことはやはり危険な状態でもあるのだと思う。そういうことでやり場のない気持ちを抱いている人がいるということだ。僕はそういう声が無視できない。

 

 

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久々に鎌倉での朝。

少し汗ばむ陽気。

 

少しずつだが、無意識とか空間とかそういうことを言語にすることができるようになって来ている。

 

人と話して気づくこと。

ありがたや。