創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20170822

眠り

 寝ても寝ても眠い。そんな感覚が続いている。寝つきも良いわけではなく、じっくり寝てるというよりは夢をよく見ていて、朝起きると胸のあたりとか首、背中が重たい感覚がある。脚全体も昨日はムズムズする感覚があったのでストレッチして、お腹だけでなく、脚にもタオルケットをかけて寝た。足のムズムズするのは夜の冷えからくるような気がしている。寝るときになると最近は冷えると感じることが多く、暑ぐるしいと言うことがない。小さなことだが、そういうことを無視せず対処してあげることが重要なのだと最近は思っている。環境に我慢せず、暑かったら首にアイスノンを巻いたり、寒ければちゃんとタオルケットをかけて寝るとか、そういう自分の調子に対して、放っておかないこと。都度工夫しながら、心地よい状態を保ってあげるのが大切。今月は食事も意識して変えている。と言っても、インスタントラーメンは食べないと言うことだけだが。それでもやっぱり味噌汁が美味しくて、お昼に大船駅構内のおにぎり屋さんで味噌汁のセットを頼んだら、夜も味噌汁が食べたいとそんな気持ちになった。味噌汁を飲むと、体全体がほっとする感覚がある。エネルギーが湧いてくるような感覚。これまでは疲れていると量を食べて元気を出そうと考えていたが、それだと体が重くなってしまったり、ぐったりする。味噌汁とか、最近はレバーなんかが良さそうだと思っている。

 

晩御飯

 晩御飯はみーさんがぶっかけそうめんを作ってくれた。焼きなすとオクラ、そして大根おろしに鰹節をまぶす。僕が作ったお味噌汁は前菜のような感覚で飲んだ。すいかを観ながら。古いドラマだが、ところどころドキッとさせられる場面がある。穏やかに毎日が流れているように見えるが、すごく現実に寄り添っている感覚があり、一人一人の心理に共感したりする。

 

演劇

 買い物に行くと、大根を通して一波乱が起きる。レジでのやりとりに不快感を覚えたみーさんは次どうするかを考え、本当はどんな対応をしたかったかを考え始めていた。家に帰り、しばらくそのことについて話し、演劇スタイルでやりとりを始める。僕がレジのおばさん役。みーさんが再び大根を持ってくる。僕はレジで大根を打つ。100円。

 「すみません。この大根は、40円のコーナーに置いてあって、キズもあったのですが。」

 「私たちは100円でしかお売りできません。私たちは100円でしかお売りできません。」

 ここで、みーさんは涙ぐむ。どうしてですか、私が悪いみたいじゃないですか。どうしてなんですかと、若干発狂を繰り返す。

 「私たちは100円でしかお売りできません。値札のシールでしかお売りできません。私たちは100円でしかお売りできません」

 と、一点張り。するとみーさんは大根を奪い取り、その大根をへし折ったのだ。

 「あなたの心が折れないから、大根を折ってやりました!」

 ここで、演劇は終了し、僕たちはその流れを爆笑する。こうやって僕たちは日々のモヤモヤを演劇解消していくのだ。こういうことが家族間でできたら楽なのではないか。家族間でこうやって、日々起こることを対処していくことが出来たら、社会問題なんておおっぴらにするこなんてないのだと思う。家族間での問題が大きくなっているだけなのだ。社会とか世界とか大きく見ることも必要であるが、小さな単位にも目を向けることが必要であるし、そこに対して行動しているかどうかなのだ。僕は大抵物事を大きく考えるので、それがある意味特技でもあるが、みーさんはそういったことを家族という単位で、個人という単位で行動に置き換えることが出来る。だから僕はみーさんからなによりもふるまいを学び、それを真似て実践している。僕はいいなと思うものはとことん真似れば良いと思う。パクリだなんだというててもしょうがない。それでもちゃんとその人の作品を購入する。というか、本当に身につくのは購入したものなのかもしれないなんて思ったりもする。だから僕は作品に対してお金を払いたいと思う。それは、僕が学習し実践するための投資になるからだ。

 

空間

 気づいたら肩回し。首回し。深呼吸。体が固まってしまうので、はと気づいた時に取り入れる。すぐに出来るし、簡単。なんでもそうだが、始めるまでの準備に時間がかかってしまうものは、僕は苦手のように感じる。パッと気づいた時にすぐに始められることが何よりも重要なのかもしれない。衝動って一瞬であるし、そのタイミングを逃したくないと思っている。最近、人が持っている独自の空間について研究していて、それをあえてその場で言葉にしたりする。最近というよりはずっとそういう空間を人は持ち合わせていると思っていて、ようやく近頃は言葉でその空間を表出することが出来るようになってきたのだ。すなわち、それは現実的な世界で求められることでなく、多分その人自身が持ちあわせている、築き上げてきたもののような気がしていて、そういうのを持っていることの力強さを感じている。そこに少しの言葉を流し込むことによってより、形が鮮明に現れ始めるようなそんな感覚があるのだ。僕は凡人と思っているが、どうも人とは違うとも思っている人が好きなようだ。現実的な感覚と、独自の空間をどちらも持ちあわせている人。というか、普通に生きているけれどなんか違う気がするなんて思う人は多くがそうなのかもしれない。何か自分の内面にある空間が活かしきれない歯がゆさ。そういうのを日々感じながら、やり場もなくモヤモヤしているのだとも。単純な話、そうやって当たり前にやっている内面の独自の空間を芸術に置き換えれば良いのだとも思っている。全ての人が芸術家だなんて言う気もない。ただ、現実という空間とは別に空間があることを知覚しているのなら、それ自体が作品であるし、それが仕事であるし、自ら生み出す貨幣になり得るのだとも思っている。人をあっと驚かせるものだけが作品ではないのだ。文章書くの下手だからとか、絵を描くの下手だからとか、上手い下手で判断するのではなく、それをやっている最中に自分の内面に持ちあわせたその空間を立ち上げている、表出させている感覚を持ち合わせているのかが重要なのだ。評価されるために書いてるでも、描いてるでもない。生きるためにやっているのだから。

 

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墨がやっぱりいいな。

母にもらったものです。

 

今日はこれから家の掃除をして、注文していた用紙を画材屋さんに取りに行く予定。

展示のページもそろそろ作ろう。