溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170825

レバー

 暑い日が続く。風はあるがそれよりも太陽が力強い。ただ、何となくあと少しあと少しと言ったような、もう少しだけだからと、そんなことを言っているような気がして来る。気持ちはもう秋に向かっていて、それは僕の好きな季節。秋に向けての準備。まずは体を慣らすことから。起きたらストレッチしたり、首や肩を回す。暑くて気だるいと思ってやらないよりも、やったほうがスッキリして心地よい。晩御飯。ご飯を炊いて、大根の味噌汁。母にもらった煮卵。合挽き肉とごぼうのそぼろとスクランブルエッグ的なの。ご飯にかけて食べるとこれがよし。鳥レバーの竜田揚げ、大根おろしとポン酢で。下味をつけるのに、醤油、みりん、酒、生姜、にんにくなど。時間はかかったが、作った感あり。鉄分不足にはレバー。ちょっとハマっている。ごぼうとそぼろもいい感じに煮込まれてグッド。ご飯に合う。味噌汁もこの前は大根が少し固かったので、今日は早めに煮込んでおいた。丁度良い柔らかさ。大根はある程度やわらかく煮込まれている状態が好きだ。朝はヨーグルトにフルグラをかけて食べた。あと、グレープフルーツ。剥くのが苦手だが、洗面所の前で汁が垂れてもいいように気合を入れて食べる。ひんやりとした口当たりと、ほろい苦い感じが元気が出る。おかしじゃなくてフルーツに置き換えてみるのもなんだかうまく言っている気がする。お昼は焼きそばを食べた。玉ねぎともやし。安定の味。だいぶ野菜を意識的にであるが取れるようになれてきたかも。それもあるが最近は料理にハマっているような気がする。楽しいのだ。何となくではあるが、味つけにおいてのこの味だったら大丈夫と言うのは、母の料理が美味しかったからなのか、なんとなく自信を持ってこれなら味的に問題ないというのを舌が知っているような感じがした。毎日美味しいものを当たり前のように作ってくれていた母に感謝。食べた後に自分の状態がどう変化しているかを観察しているのもまた楽しいのかもしれない。8月9日ごろに鬱のピークが来て、そこから徐々に上がって来たが、最近はまったく落ちる様子もなく安定して過ごせている。日々の中心は書くことと描くことだが、しっかり日課となり、運動を継続させられているのが良いのかもしれない。ここは結局継続させるしかなく、あとは展示であったり、外に出る機会を増やしていくことを試していきたいのが今の気持ち。展示といっても、それは空間を出前するような感覚であり、その場が僕の家のようになる。空間全体。アットホームライブはまさにそういう感覚なのだと思う。とにかく、ありがたいことだ。また落ちることもあるのだろうが、今はとにかくそちらに引っ張られることはなさそう。作り続ける。まだまだ量が足りてないと思います。

 

区切り

 仕事として意識的に区切るようになってきたかもしれない。1日の中で今日はここまでと区切ってあげること。それ以上はあまり考えたりもしないようにする。そんなわけで昨日は18時ごろからカフェに行き、三浦しをんさんの風が強く吹いているを読んだ。といっても、パソコンを開き、気になった言葉を書き写す。こうすれば書ける。結局、仕事みたいなものなのかもしれないが、内面を書き表すのとはまた違った動きになるので心地よい。運動としての書くことは止めずにできるので、これもなかなか良い方法。また夜ご飯はキッチンに向かうこともひとつ良い。料理もなかなか創造的。体を動かせるのでそれも良い。それに冷蔵庫にあるものも把握しようとするし、献立を考えたり、あるもので何を作るか工夫も出来る。多分、躁でも鬱でも考えていることに変わりはない。そこで使っているエネルギーは変わらないのだと最近実感として思える。鬱になるときに考える死にたいといったことも、躁になって調子があがり、展示やイベントを考える思考回路。次第にそれは大きくなって、会社とか国とかそういうことも含む。それに料理をする時の思考。すべてあまり変わらない。行き先が違うだけなのかもしれない。料理も命に直結しているものなので、死に向かうエネルギーが、生に向かっている感覚なのかもしれない。とはいえ結局は体を殺さないために何を作るのか考えるわけだから根本は死に向かっていることは変わらないのかもしれない。人は死に向かって生きる。それが決まっていることのように思う。その中で生きると言う選択を自らし続ける。

 

溝井企画

 最近、僕とみーさんの間で溝井企画という言葉が使われる。いわゆる家族経営みたいな感覚なのかもしれない。表ヅラは溝井孝司とか個人名で打ち出されることも、実際は僕の名前を使った会社名のようなものだということ。もっと言えば溝井国なのだとも思う。そこを取り巻く愉快な仲間たちも家族の一員である。いわば、溝井企画のみなさんだ。なので、僕はそこに所属しているであろう人たちに、場を提供することがひとつの義務であるように思っている。それは、溝井企画に関わる全ての人が才能を出し惜しみせず、表現すること。カオスでありながら調和する。小宇宙。そういうのが成り立つことを肌で知ってもらうためでもある。そして、僕の周りにいる友人と言われる人はある意味でそういった組織を持っている人たちである。だから僕たちは外交をし、共に協力し合う。決して争うのではなく、お互いを高め合いながら、自国を作り上げていく。かといってああだこうだと変に口出しもしない。自分を殺さない。死んだように生きない。本当に死にそうな時は相談をちゃんとする。おかしいと思ったことはその場で口にする。創造活動を永遠に繰り返す。それが溝井企画なのかもしれない。単純に僕自身のスタンスが反映されているのかもしれない。それで、実際に組織を作ろうなんてすると調子が悪くなので、芸術活動として行うことを基本ベースにする。結局のところ個人事業といった感じだろうか。なのでみーさんとは合同代表みたいな感じになるのだと思う。僕は圧倒的にみーさんに精神面やきめ細やかな作業、心地よい空間を作ることにおいて頼らせてもらっているし、それがみーさんの才能でもあるように思う。きっと僕もみーさんの何らかの力になっているようで、「あんたは良いよ。そのまま生きなさい」と言われる。この辺りも動きながら言葉にしていきたい。頭でのイメージはあるのだがまだ自分の言葉にはなっていない。深いところの家族であり、個人個人が自国を持っている。僕はそこと外交する。溝井企画として。ひとつの家族経営のみーさんとの合同会社として。まずは、溝井国の国民のための内面の行き場の提供が今度やることなのかな。

 

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今日の夜は北鎌倉の盆踊りに行く予定。

踊る気まんまんです。