溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170903

転調

 眠りたいだけ眠る。ご飯を食べて寝て、ご飯を食べて寝てを繰り返す。寝ている時とご飯を食べているときは幸福感を感じることができていた。どちらも繰り返す。寝ているときは特に多幸感がある。このまま眠りから覚めたく無いと感じる。その分起きた時の絶望感が大きく感じられてしまうのかもしれない。とにかく寝ているときと起きているときの振れ幅を減らすこと。それが急務。みーさんがポトフやスープパスタなどを作ってくれたのでとにかく食べる。その間は幸福だと少しでも感じられている。食べてすぐに横になる。ふと我にかえって絶望的な気持ちになるが寝れば忘れられるはず。目を閉じてフワフワとした状態を保つ。それでいて完全に眠っている状態でもない場所。その心地よい場所で眠りながら脳をリラックスさせる。夕方くらいまで繰り返して絵を描く。今の状態で描いた絵を見ても何もかもがダメだと感じるので放置。みーさんと今日初めて外に出る。晩御飯の買い物へ。みーさんも体調を崩し気味だが自分のことに集中しているようで同じ部屋にいたがお互いが無視しているわけでもなく、存在しながら一人一人部屋にいるような感じがしていて、その距離感が心地よいとも感じられた。その絶妙な空間を作り出してくれるみーさんに感謝の気持ちが湧いてくる。お好み焼きを食べてみーさんと久しぶりに話をする。いつも話してはいるが僕があまり話を出来る状態ではないだけだと気づく。僕は「人は人のせいにすることなんて出来ず誰も責めることはできないと思っている」と伝えた。これは小学生くらいの頃から考えていたことだった。人を馬鹿にしたり、悪口を言ったりそういうことをしている人を見ると嫌悪している自分がいた。楽しいのかもしれないが、結局人に言っていることは自分の中に存在していてその部分を否定することになり、結局自分を苦しめることになると。じゃあなんで今の自分がこんなに苦しいのかと考え始める。僕は否定する人を否定しているのだ。それは自分が責められたくないからだし自信がないからだった。またいつものところに戻ってくる。そうだ自信がないんだ。何をしていても自信がない。比較する。だから楽しくない。喜びを感じれなくなる。結局自信がないのだ。いつもそこに辿り着く。それでも少し内面で止まっていた何かがみーさんに話せたことによって流れ出た気がした。少し体が軽くなった気もする。特に何かが解決したわけでもないがとにかく体は少し楽になった。そこが重要なのだと思った。問題を解決することにあまり意味はないのだ。自分自身の問題点を探してああだこうだとやっても仕方ないのかもしれない。それよりも今の自分の体の反応を見た方が楽になれるのかもしれない。何かを解決するために話したかったわけではなく、ただ話したかった。それだけなのかもしれない。それでも言葉が出てこないうちに話しても仕方がないと考える自分もいる。だからその間は一人で言葉と葛藤を繰り返さなくてはいけないのだとも思う。何でもかんでも口から出せばいいってものでもないのだろうとも。それでもみーさんは「私はこう思う、こう考える。私がって言うのがやっぱり大事なんだよね」と言っていたのが僕にとっては何よりも印象的で、本当にそうだと思った。僕はこう感じた、こう考える、自分の意見をただ言っているだけである。それが素直に言えたらいい。好き嫌いも良い悪いも、自分が感じていることを言えば良いだけなのだ。そんな単純なことが出来なくなってくる。言葉が見当たらない。その言葉を見つけるために精神的な波があるのかもしれない。訓練であり修行なのかもしれない。そう考えると少し耐えられそうでともかく書くことを続けなくてはいけないと思った。

 

青空

 ブルーハーツの青空がずっと頭の中を流れている。大好きな歌というわけでもないが時折こういうことがある。10月7日に歌おうと思う。いま入り込んでくるのは意味がある気がするので逃さないようにしたい。難しい言葉ではなく簡単でも素直な言葉を連ねたいと思った。簡単で良い。それでいて素直が良い。

 

睡眠

 昨日までの状態からは少し抜け出たような気がしていてそれをどうやって抜けたのかを残しておこうと思ったのだが、昨日の絶望的な感覚がもう思い出せなくなっている。今は穏やかな状態である。幸福感もある。なので昨日までの絶望的な状態も幸福感に塗り替えられている。確かに死にたいとかそういうことを考えていたが、今日はもうその状態を思い出すことも出来ない。同じ人間なのかと思えるほど明らかに違うのだ。とにかく継続すべきものは創造活動を続けることと幸福感をちょっとでも感じれることだけをやるといった感じだった。寝ている間は多幸感に満ちていた。しかし起きた瞬間に否定が始まっていたのだと思う。その否定に押し殺されずにとにかく眠ることを優先した。ご飯を食べている間はそういう否定的な状態を忘れることが出来たのでご飯を食べて寝る。ただその繰り返しだった。あとは書いて描いて、ギターを弾いてみたり。しかしそれも楽しいものでもなく自己否定の道具に変わっていたように思うから不思議である。調子が悪いときは幸福感のあるもの、忘れられるものだけやること。今回は睡眠と食べることだったのかも。そう考えるとすごく動物的だと思った。寝ている自分を否定していたのかもしれない。とはいえ最近確かに疲れているというか体が重たい感覚があった。食べる量は前よりも減って軽いと感じていることもあったがどこか重たいといった感じだ。なので休ませてあげたいが休むと言っても何かやらなくてはと眠ることに否定的になっていたのかもしれない。疲れているのなら、調子が悪いのなら何よりも眠ることが重要かもしれない。

 

雨乞い

 涼しい日が続いていてありがたい。あの暑さにうな垂れるような日も少し懐かしく感じる。夏に慣れてきた頃に夏が終わってしまったようで少し寂しいのかもしれない。これからだ!って時に相手はいなくなってしまい少し拍子抜けというか、そういうのがあるのだ。秋が一番好きな季節。行動的になろうと思ったが無理せず行こうと思った。毎日コツコツとただ続ける。食欲の秋、芸術の秋。続けよう。ただそれだけだ。シャーマンが雨乞いに成功するのは雨が降るまで雨乞いを辞めないかららしい。死ぬまで続ければ良い。そうしたら終わらないのだから。

 

 

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今日から大きなキャンパスに描き始めます。

途中でやめてもまたやればいい。

そしたら続くのだ。