溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170904

躁鬱

 長袖じゃないと肌寒いと感じる。夏はもういなくなってしまったのだろうか。季節の移り変わりはあっという間で、昨日まで蝉がうるさく鳴いていたと思ったらもう鈴虫の声だけが部屋を取り囲む。たまにカラスがカァと思い出したように鳴く。カラスは季節に関係なくこの辺りで生活しているようだ。僕は今真剣に躁鬱として生きる試みをしているのかもしれないとふと思った。無理にそうしているというよりは昔っから突如落ち込んでしまう精神状態が気になっていたし、かと思えば独立心旺盛に行動し始める。独立心旺盛にという部分は芸術活動に当てれば人に迷惑をかけることはないし自分のエネルギーを高めていけるので効果的だと思ったりもする。行き場のないエネルギーは創造へ充てる。書いてもいい、描いてもいい、歌ってもいい。なんだっていいのだ。いま主にやっているのがこの3つで、たまに織物をしたりもする。とにかく気が向く方向へエネルギーを流してあげる。僕はそんなに激しい躁状態だとは思っていない。軽躁くらいなのだと思う。躁状態に入ってくると自分と社会との関係性が気にならないし、とにかく自分のやりたいことだけに集中することができる。周りのことがまったく気にならない状態。それでも内面ではいつのまにか苦しさが増幅し始める。どうやら生きていく上での重力は思っている以上に重たいのだと気付き始める。そうなると鬱になるのだと最近は思っている。突如不安が襲いかかってくる。生きている意味や価値を見失う。最近は、調子が良い時ほど夜にすんなり眠れずに興奮しているような状態が続いている。睡眠をしっかり取れてないが調子はいいので体は動く。そうやってしばらく動き続けていると体が休めと反応する。急に動きが悪くなるので抵抗するが動けなくなりそのことに自己否定を始める。鬱になったら休むべきだがその間も思考が止まることはないので休めてはいない。それでも眠ることで休ませるのが今回は効果的だった。寝ている時の幸福感と起きた時の絶望感。この振れ幅がある。そこに惑わされず体をいかに休めるかだと思った。それと、鬱になり始めると判断する能力が弱まることがひとつの発見だった。内面での思考は繰り返されるのだが、体に起きている反応に対して対処や工夫が出来なくなってくる。寒いのに上着を身につける判断が出来なかったりする。体が不快だと感じていることを辞めることができないのだ。というよりそのことにそもそも気づいていない。自分の感覚が全くないような状態に等しいのかもしれない。それでも無意識では肌で感じているから不快感は増す一方。心地よく過ごすというのはとても重要なのだと思った。それでもそこに意識が向かなくなる。そういうパターンが自分の中にあるのではないかというのが今回鬱になっての発見である。

 みーさんの見解を頼りにすることも重要だと思った。僕は自分の感覚を忘れてしまうことがある。不快と感じていることを忘れてしまう。だからそのまま不快な状態が蓄積されていく。みーさんはその点自身の快、不快に敏感に反応るすことが出来る。だからそれが空間が心地よいかのパロメータになる。躁鬱人は身近な家族と協力することが大切だと思う。そして好きなことだけ、やりたいことだけ徹底してやる。人を活かす、喜ばす。その姿を見て自分も喜ぶ。喜ばせた自分自身に喜ぶ。多くの人と関わろうとせず少数精鋭で生かし合う。才能発見機。そういう能力を活かして楽しく、美味しいご飯を食べながら、考えていることやどんな気持ちなのかを少し話しながら日々暮らすこと。

 

mii美術大学

 最近は絵に集中している。特に絵画の教育なんて受けてもいないのにこうやって絵を描いているのだから不思議でならない。と言いつつ僕はmii美術大学というみーさんが独自で生み出した大学の生徒でもあり心理学の教授でもある。こういうのは勝手にやればいい。大学なんて作るの楽しそうだな。かなり少数派な生き方をしているように思うが何か若い人の参考になればいいとふと思った。精進しなくては。mii美術大学には決まった授業などはなく基本的に自主学習が取り入れられる。時折みー校長の推薦本を読んだり、映画を観ることが授業の一環として行われる程度だ。師は自分で見つけるというのがやはり重要だ。何人も見つけたらいい。そういう人たちと作品を通して対話する。好きな作家の本や画集は毎回買うようにしている。それは私財になるしこれからも受け継いでいくことが出来る。そういう全体的なことを坂口恭平さんやカンボジアで出会った森本さんに学んだように思う。今はパウル・クレーやサイ・トゥオンブリー、ピカソなんかがすごく参考になっている。文でいうとケストナーカフカ。音楽でいうと坂口恭平さんとサム・アミドン。これからも出会い続けていく。なんとなくナチスの時代を生き抜いた人が多い。そこで自分の芸術を続けてきた人たちが多いのだ。これは何かの偶然なのか。それでもその時代を生きた人たちに反応する自分がいる。受け継ぎ作らなくてはと勝手に思っている。それでいて自分から生み出し続けようとも思う。

 

食事

 余っていたパスタにマヨネーズとたらこ、バターを混ぜて冷製パスタ。豚バラ、しめじ、玉ねぎを炒めて塩ダレで炒める。レタスに乗せて食べる。インスタントな食事を辞めて1ヶ月くらいが経つ。主にインスタントラーメンだけど。前よりも体が軽いと感じるし、料理を作るという時間が良いのかもしれないなんて思う。包丁で食材を切り、お鍋でお湯を沸かし、フライパンで炒める。そういう動作が体の調子を良くしているのかもなんて思ったりもする。食事が体を作っているなんてよく言われるがそれでも変えられなかったのは単に時間がなかったり余裕がないからなのだと思った。大切なのは自分で作ることなのだと思う。そして家族で一緒に食べること。これが何よりも重要なのだと思った。夜ご飯はみーさんが帰ってくるまであまり食べる気がしないのはなにかこう本能的にそうしたいのかもしれない。何によりも一緒にご飯を食べることが僕にとっては重要なのかもしれない。現に家に遊びにきた友人にはご飯を振る舞いたくて振舞ったりもする。ご飯を一緒に食べよう。一緒にお腹を満たそう。一人でオーガニックのお店で食べるより、家で作ったものをみんなに振る舞う方が僕の幸福度は高いなと最近思います。もちろんお店で美味しいもの食べるのも幸せですよ。こういうのちゃんと食べたいと思う。だけど一人より誰かと食べる方がやっぱりご飯は美味しい。

 

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今日は画材を調達しにいきます。

股ずれに気づいて愛でていたら調子良くなってきた。

 

気づいて愛でる。

これ大事。