溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170907

素描

 素描をする。鉛筆、クレヨン、墨など。A4の用紙とB5のスケッチブックに描く。図書館に行く。ゴッホ、ベーコン、クレーなどの本を読む。文字というよりは絵の世界に没頭している感覚。今少しの不安がある。現実との折り合いがつかなくなるようなそんな感覚だ。そういったバランスを取らなくてはとか、現実が蔑ろになり始めているようなそんなことを考える。何かの中毒ではないかとか、その世界から抜け出ることができなくなってしまうのではないか、何もかもが変わってしまうのではないかと。それでもひたらすらに向かい続けるしかないのだと思う。誰も手は差し伸べてはくれない。そういうものでもないのだ。自分がどこまでいくのか。どこまでやるのか。そういうことなのだと思う。今何を考えているのかがよく分からない。まったく言葉になろうとしていない感覚を持ちながらそれでも文字を流すようにそんなことをしている。ただ少し脳みそが疲れているような、体も少し重たいような気がしている。かといって調子が悪いわけではない。今は気分が落ち込んだりはしないが、急に不安になったり、イライラしたりすることは繰り返される。それでも元の位置というか落ち着きを取り戻すことはなんとか出来ている。ただ穏やかではないということだ。内面の揺れを感じながら、また落ちるのではないかと不安に思っているようでもある。それでも今は大丈夫だと言い聞かせるしかないのだろうか。

 

現実 

 現実は厳しい。そういう刷り込みが私の中に存在しているようだ。楽しいことばかりではいけない。そうやって厳しい状態に追い込まなくてはいけないと私は言う。現実でどうやって生きていくのかを考えなくてはいけない。お金はどうするのか。ご飯は。着る服は。家は。自立しろ。どうやって生活しているのだ。お前は寄生虫のように生きている。そういう風に現実が掻き立てる。そのことに反論する余地もないと黙り込みそうになる。言葉も出てこない。確かにそうだと考え始める。しかし何か私は批判的な目で見ている。そのことに対してそうではないと言いたいがそれが言葉として出てこないようなのだ。後ろめたいとすら思っている。それでも今絵を描くことが、こうやって書くことがいずれお金へと換金されると思っている。なぜお金でなくてはいけないのかとも考えている。私はお金を嫌っているのだろうか。もうこのことは散々考えて来たがどうも納得できる答えに行き着いていない。捻じ曲がった私の考えではお金というものを正確に捉えることはできない。ただ不安の対象ではないことは確かである。現実は厳しいという観念は私はお金が厳しいと言っているのと同意なのではないかとすら思える。欲求に対して不誠実なのだろうか。私はただ生かされたいとも考える。ただ作り続けることが出来ればそれでいいのだ。私は創造し続けるだろう。私は創造された自らの作品が素晴らしいと思えて仕方ない。手放すことが惜しいとすら感じている。しかしそれではお金にならないではないかと考えるのが私だ。それでも自らが生み出した作品が尊いと、お金には変え難いものであるとそう思えることは現実的ではないのだろうか。お金よりも何よりも大事だと考えているのである。一体何を書きたいのだろう。まったくわかっていないが何か滞っている部分を流そうとしている。別に意味を持たせたいわけではないのだ。私の考えをただ流してるしこれが正確な考えではない。ただ未完成の状態の言葉を流していくことでしか、私は見えてこないのだ。文字なんて信用してはいけないのだ。これはフィクションである。だから小説なのだ。日記小説なのだ。妄想で良い。正確な言葉などここには存在しないのだ。

 現に俺は不安を持っていない。ただこの行為に興奮している。ただ文字が現れ続けるこの永遠の運動状態に入り込んだことに喜びを覚えている。ここまで書いたことは真実だ。そうだ真実、フィクション。どちらも共存。消えないのだ。湖まで。俺は湖まで車を飛ばした。湖で俺は浮いていた。真ん中で底にたどり着こうとした。湖の底が俺を呼んでいたのだ。だから行った。車で、飛ばして、クラクション響かせて、一目散に、高速飛ばして、スピード違反、怯えなかった。今回ばかりはそんなこと言っていられなかった。道を間違えたって構わない。繋がっているからだ。戻って来ることもできるし、戻ってこなくたっていい。引き返すこともできるし、しかし俺はそれをしなかった。湖は遠のいていたが、また新しい湖が俺の手の届くところまで来ていた。だからまた車を飛ばした。俺は湖に浸っていたいのだ。俺は湖との取引。それが人生。まるで鳥。空を駆ける、風の踊り子、舞い上がるダンス。アプサラ。湿地帯のその街で、雨季に入った雨とともに、涼しさがやってきたんだ。森で生まれた。俺はここで育った。記憶のこと。これでまた人生。改めてグッドナイト。夜は眠る。フクロウの声。ミミズクが遠い空にかけていく。満月あびて、月光浴。月夜の晩に笑って見せたリスの大群。電線かけてくリスの片手に蝉がダンス。もう消えた蝉。夏。終わりつげた蝉のワルツ。遠いどこかの木々の声。これがまだいる蝉の声。またお会いしましょう。丁寧に。柔らかい。温もり。忘れていたその感触に触れ、涙腺の綻び。気づいた時に綻びは溶ける。涙。ビックウェーヴ。間違い探し。もうやめて。静かにいて。ただそこにいて。私の湖よ。どうかそこで穏やかに、私に寄り添ってくれないかしら。踊り子と湖のダンスを私は鳥。鳥が舞う。その湖畔で鳥が舞う。

 

赤ワイン

 赤ワインに合う料理2日目。頂いたプラムリーを豚ロースに添えて。豚ロースの片面を焼く。ひっくり返して蜂蜜とマヨネーズを混ぜたタレを塗り薄く切ったプラムリーを3、4枚並べる。本当はマヨネーズじゃなくてマスタード。勘違い。プラムリーの上に再びマヨネーズを線引き。グリルはないのでコンロの魚焼き機のところへ。マヨネーズに焦げ目がついて来てお肉が焼けていたら完成。プラムリーの酸味とお肉マヨネーズ、蜂蜜が合う。クセになるお味。赤ワインに合う料理。

 みーさんが大根を煮る。輪切りで隠し包丁をして。程よい柔らかさに煮えたところで油とバターを引いたところに大根を移す。味付けはめんつゆと酒と思われる。みーさんのみぞ知る。出来上がった大根ステーキにはとろけたチーズが合う。これまたワインに合う料理。

 

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今日もまた涼しい。

深呼吸して。