溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170908

倦怠感

 胸のあたりがモヤモヤとする感覚が昨日から続く。怒っているのか悲しんでいるのか、感情ではないのかもしれないが何かがそこには存在していてそれを留めておくことが苦しいと感じる。そこにある苦しみのような物が存在しながらもやることは変わらないようにすること。とにかく朝は書くこと。とはいえ今日はだいぶ遅くなってしまったが起きたら書き始める。どんなことでもいい。とにかく書くこと。指先を運動させること。何かを書こうとしなくて良い。ただ動かせば良い。意味や文章の構成を考える必要はない。そのために書いているわけではないからだ。ただ流れ出すように動きたいように動かしてあげるのだ。絵を描いている。そして音楽があるように書く。書くことから逃げ出したい。苦しいこともある。それでも辞めてはいけないように思っている。私は書くことを止めてはいけないと考える。理由を考えようとするがただそう思っただけだ。辞めてはいけない。辞められないのだ。これは契約ごとだ。あの時交わした契約が今もまだ取り交わされてる。現に今こうして入り込んでいる状態になると苦しみのようなものの存在を忘れ始めるのだ。だから単に動かしているだけなのである。何かを思い出そうとした。昨日のご飯のこと。そんなことを考えるのが癖になっている。ここに書くことはそういうことだと思い込んでいる。そんなことを書かなくても良い。記録しなくても良い。ただ書き流せば良いのだ。誰かが見たところで判別のつかない文章で一向に構わない。ただやってしまうのだ。これがどれだけ重要なことなのか私は知っている。無駄であるとか、意味とかどうして考える必要があるのか。何も考える必要はないのだ。今。あるのは今、今、今。今だけがある。過去や未来のことを書き記す必要はない。ただ今を、今の連続を書く、書く、書く。

 朝目が覚めると胸が苦しかった。最近寝つきが悪い。夜うまく眠ることができない。うまく眠るとはなんだろうか。心地よく眠ることができない。最低の状況に陥る。それは夢の中の話を言っているがこれからあるであろう出来事が最低の事態を迎えている。私はそのことに胸を締め付けられる。思考は止まらない。ずっとずっと考え続けている。爆発しそうな、発狂しそうな状態をなんとか理性で押させつけながら、眠ろうとする。「昼寝できたんだし、目を瞑って目の疲れを取ってあげるだけでも良いんだよ」と、みーさんに言われて少し安心した自分がいた。眠れなくても良い。ただ疲れを取ってあげるために目を瞑る。その瞬間も思考は働く。もう何を考えているのかもわからないのだ。内側にある言語が世界が、爆発しそうな溢れてしまいそうな、それは心地が良いものではない。苦しくなにがなんだかわからない。私はいまそのことを書いている。あの瞬間の苦しみの発狂しそうな状況のことを書き記している。目を瞑っていたがまったく起きていた。意識はなくなっているようだったが、確かに私は起きているような状態が続いている。最低を味わっている。現実が絶望的でなくなったと思えば夢が絶望的に切り替わる。疲れ果てるしかないのだろうか。疲れが取れないのだ。限界まで続け、強制的に体を止めることしかできないのだろうか。安定したかと思えばそうではない。何か目の前のことに集中できなくなってる。面倒臭いのだ。何もかもが。ご飯を作ることも、起き上がろうとすることも面倒だと思えてくる。一体こんなことしてなんの意味があるのかと私は否定する。そしてまた意味のことを問い始める。その繰り返しなのだ。いつまでたってもずっとそのことを繰り返している。ここに書いていることは真実だ。しかし誰かにとっては真実ではない。心配される必要もないのだ。また普通の顔を装って生きているのだ。いかにも充実した生活をしているような顔をして、また偽りの状態を装うのだ。本当はどうだろう。汚いものを隠して、蓋をする。言葉にすることもなく、それはいかにも人としていけないことだと蔑ろに扱うこの社会に私はいや気がさしている。これも障害者の戯言だ。私は精神障害者なのだ。しかし私から見たら、もっとも健常者の方が危険な状態だと思わざるをえない。何を平気な顔をして毎日働いているのか、正気なのかと考える。誰かを指しているわけではない。ただ思考が流れ出てくるからそう書いているだけだ。言い逃れている。これは私にとっての真実であるが、誰にとっても真実ではない。だからこんな文章で私のことを計らないでほしい。文章などすべて偽りなのだ。私ではない。しかし私である。読んだことで私のことを何もかもを知ったかのような顔で私に触れないでほしい。私を知ることはないのだ。今後も。それでも私を知ろうと私は懸命に自分の中にあるものを掘り当てようとしている。その作業ができるのは私だけなのだ。だからその作業をすることになんの意味があるのかと言っているのだ。わたしはそのことを批判してる。だからその作業を無意味にしないために作り続け、展示して表に出て行くしかないのだ。その繰り返しだ。それが私の仕事だ。ずっとずっとやってきた。しかし表に出すことを恐れていた。それでも私はもう私であることしかできず、誰かがなんと言おうとそれは真実とは程遠い真実であると私は思っている。だから人のことなんて興味がないのだ。構っていられない。私は私のことだけにただ集中し、私の内面の底にたどり着くしかないのだ。底にたどり着いたかと思えば底はまだ深くにあるようで私は水の中を漂い続けながら、彷徨う。そのことの意味など説明する必要があるのだろうか。私はただ自らの内面を探求し発明する。医療を治療を発明するために生まれてきたのだ。ただそれだけのことだ。他に何がある。使命感ではない。やらざるを得ないのだ。これがないと死にそうなのだ。消えてしまいたいと考えるのだ。それがもう一人の私だ。私のことを言っていない。私は私ではない。今私が指している私はここにいる私のことでこの前の私のことはただ思い出しながら私と言っているだけだ。だからまったくこれは意味のないことだ。ここに書いていることはすべて嘘であるかもしれない。それでも私にっては真実なのだ。なぜなら私が書いているからだ。私は確かにここに書きました。ただ指が動くままに思考が流れ出てきました。これを安易に思考と言って良いのかもわからない。ただ真実であるのは私がいま書いたということだ。書いているということだけそれが真実なのだ。しかし誰かの目に触れた瞬間これは真実ではなくなるのだ。

 

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あまり眠れずちょっと調子悪め。

今日はゆっくり過ごしたい。