溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

小説のような日記です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170909

 1日調子が悪かった。それでも絵を描いている瞬間はそのことを忘れられた。太陽フレアの影響ということにする。とにかく何かしらの影響を受けていたとしても機械のように創造を続けること。それだけは辞めてはいけない。その瞬間に死を意味する。とにかく苦しくても、動けなくても書き、描く。そういう時間を辞めてはいけない。今はここ2日間続いていた胸に広がる倦怠感のようなものはだいぶ減ったように思える。それでもまだじとーっと体の中にへばりついているようなものが存在する。どうしてもそんな状態なのでイライラしてしまうことが増える。絵を描いていることもあるのだろうか。とにかく内側に入り込んでいる感覚がある。紙に現れるその内面に集中している。最近はそのことばかり考えてしまい現実的な感覚が乏しくなる。ご飯を作ったり、お風呂に入ったり、そういうことが後回し後回しになる。とにかく何か、そこに現れる世界と徹底して向き合おうとそういうことに集中したいのだ。とにかく手を動かし続けることだ。ここに書くこともそのひとつである。不安定な自分を嘆きながらそれでも永続するための方法論を身につけている。ただそれだけのことだ。ただ淡々と続けることなのだ。波があっても創造的な活動ならば続けることができる。依頼仕事とはまったく別のものだからだ。誰かに言われてやらされるものではないのだ。ただやるしかないのだ。やらざるを得えずやり続けてしまうのだ。だから辞めるという選択がない。ずっとそのことを考え続けてしまうし、考えるのをやめることもできない。だからそれを徹底してやれば良い。誰に気を使う必要もない。ただ徹底して考え続ける。中途半端にしてはいけない。それでも辞めてしまっても自分を責めない。どうせまたやりたくなったらやるのだ。なんて前は思っていたがその前提があるから続けられるのかもしれない。頑張ることとは違う。頑張った瞬間にそれは退屈なものへと変化して行く。頑張るとは誰かのためと考え始めることだ。あくまでもすべてが自分のためなのだ。自分を喜ばせることしか考えられないはずなのだ。誰かを喜ばせる自分の行動を喜んでいるんだ。そこを誰かに預けてはいけない。自分なのだ。自分を気持ちよくさせることが優先なのだ。誰かを気持ちよくさせるのは誰か自身なのだ。受け身ではいけない。積極的に自分で気持ちよくならなくてはいけない。それでいて誰かの気持ち良いところを気持ちよくしてあげる。それで自分が気持ち良いのだ。それが痒いところに手が届くということだろうか。自分自身が気持ち良いことを、その感覚を知っていなくては人を気持ちよくさせることなんて出来ないのだ。だからまずは自分が気持ちよくならなくてはいけない。そのことだけに徹底して没頭しなくてはいけない。そのことを遠慮してはいけないのだ。どうしてそのことが後回しなのだろうか。何を考えている。そんなことして良いはずがない。徹底しろ。そのことに集中しろ。と、言っているのは私だ。

 私は過集中になりやすい。だから俺はなだめるための存在だ。真面目すぎるのもよくない。緩め役っていうのも必要なんだ。わかるか。常に緊張状態ではいけない。緊張と緩和が内在し続けなくてはいけないんだ。どちらか一方では固く動けないし、緩みすぎて動きが悪い。揺れることだ。揺れ続けることだ。動きを止めてはいけないのだ。風が木々を揺らす。そのことを言っている。静止するな。止まって位はいけない。それが最も危険である。死を意味する。かといって死を否定はしない。ただ止まるなと言っているだけだ。調整しろ。指揮者。全体を、上から眺めるように嗅ぐ。あたりにある漂いを嗅ぎ分け触れる。肉体があるからだ。そこを無視してはいけない。体感しなくては。どうもそのことが無視されているようで俺は悲しい。書くことはそうなるのだろう。書くことは誰かにとってもう真実ではない。それでも読むことをやめないのはなんなのだろうか。意味を考えるのな。ただ受け取れ。文字ではない。漂いをだ。この文字からの漂いに耳を傾けろ。その能力こそが必要だ。無意識へ飛び込め。恐るな。ただそこに身を委ね肉体で生きるのだ。頼りになるのは肉体だ。徹底して耳を傾けろ。そこを通り抜けて行く風に、カーテンを揺らす風の存在を忘れるな。水は流れている。海の潮騒。音楽はそこにある。意識を拡張しろ。お前の内面から部屋の外までもっと遠い、子供達の掛け声に、鳥の、虫の声。土に眠る声。アスファルトの土の声。木陰を作る。

 木陰を作りましょう。次に来る夏までに。体を休めるための木陰を作りましょう。木とともに土とともに暮らしましょう。私たちが忘れてきた記憶。私たちは思い出すために声をかけえる。あなたはそのことを聞いているのです。意識を外へ。外へ。それが無意識なのです。外へ外へと無限に広がる意識こそがあなたの無意識です。さあ声を聞きなさい。自然は自然です。あなたはあなたなのです。すべては巡り、あなたの体に、流れ着く。そしてまた巡る。その繰り返し。

 

豚レバー

 久しぶりに豚レバーを購入。竜田揚げにしておろしポン酢。何回かやったが衣がうまくつかなかったので今回はビニール袋に片栗粉を入れてそこに味付けしたレバーを入れてよく混ぜる。片栗粉が思っていたよりもなかったので小麦粉を少し追加。オリーブオイルを少々。入れると良いらしいと対して中身のない情報を鵜呑みにして入れる。レバーは火の通りが良いらしく揚げすぎると固くなりすぎてしまうようだ。揚げすぎずかと言って火はしっかり通す。そこ重要。

 夜ご飯は絵に集中していて作るのが遅くなってしまった。豚肉のプラムニー乗せ。はちみつとマヨネーズで味付け。酸味が効いててやっぱり上手い。ご飯は炊き込みごはんに。鮭、人参、しめじ入り。たっぷりはいってなかなか満足な味。みーさんが味噌汁を作ったり、野菜を切ったりしてくれた。

 食べるものを意識している。8月からより意識し始めているがやっぱり偏ってしまったりする。それでも自分の状態を観察しながらどんな栄養を補給したいかを意識するのは楽しいことだ。それで体が軽くなったりするし、調子がいいと感じられることもある。そこが精神的な面と結びつきもあるようだが、それとは関係ないところで何かしらの影響を受けて苦しくなったり辛くなったりすることもあるから困ったものだ。それでも創造は続けていれば良い。それが精神衛生的に最も良いのだと思っている。上がっていても落ちてもいても創造を続けること。単純にそれだけなのだ。それと美味しいご飯を食べること。ちょっと栄養に気を使うこと。

 

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このブログ一瞬消そうかと思ったけど、ひとまず2500字を書く場所として残すことに。

書く場所として使います。

いまのところ。