溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170910

切り離す

 朝起きてそのまま絵を描き始める。ようやくひと段落ついた。1枚の絵を切り離した。切るという行為になんとも言えない幸福感があった。どうしても1枚の絵の中に存在していてはいけない箇所を切り分ける。そうやって別々のものして行く。そうやって分離させる。無理やり1枚の中に収めようと、なんとかバランスを取ろうと頑張る必要はなく、ただまったく別の存在として切り離してあげればよかった。一緒にいれない存在もまた自分の中に存在するのだ。だからなんの遠慮もすることはない。一緒にいれないのだから離れ離れにさせてあげればいい。そうした時に自分の体が楽になったような気がした。無理に一緒にいる必要はなかった。ただ切り離してまったく別のものとしてみてあげることでお互い楽になるのだ。一緒にいようと頑張ったって仕方ないのだ。無理に一緒にいようとしてはいけない。全く違う存在なのだから分裂したままにしてあげる。わざわざ一緒になろうとすることもなければ、まとめようとすることもない。まったく別々の存在同士がこうやって別々に存在し続ければいい。ただそれだけのことだった。それは私の中にいる存在なのだが。彼らは一緒になることはできない。一人にまとまることはできないのだ。だから私たちである。こうやって私たちは日々生活をともにするが、お互いが一人の人間としてまとまろうとしてはいけないのだ。時折私たちは勘違いして一緒になろうとする。混乱してしまうのだ。一人であると思っている私たちは乖離している私という存在に気づくと混乱を始める。だから一人になろうとするのだ。そんなことはしなくてよい。むしろ切り離してあげることだ。1枚の紙を切り分けた時そう感じた。お互いが存在すべき姿に、それぞれの本来のあるべき姿に戻っていったようなそんな感覚だった。

 

休む

 とにかく絵を描いている時以外の時間は浮き沈みが激しい。突然起こる。ついさっきまで何も調子が悪いとは感じていなかったのに本当に一瞬で倦怠感に襲われる。絵を描いている時はなんとかその世界で保つことができてるが、それをやめた時にどっとせき止めていたものが流れ込んで来るようなそんな感覚を覚える。1日の中でそういう波が現れる。最近は特に多い。安定しているとは言い難い。安定させることが重要なのかはわからないが安定させたいと願っている自分がいる。それでもその瞬間はとにかく横になり休ませるしかないのかもしれないと考えたりもする。休むということがうまくできていないのかもしれない。

 

集中

 気が散っているのかもしれない。いま集中しているとは思えない。どこかに意識がいっているような気がするがそれでもこの画面上に戻しているような感覚である。だからきっとなんの意味もないことを書いているのだろうと思うが、それでも書こうとも思っている。意味はない。特に考えてもいない。今は思考が止まっている。ただ指を動かしているだけの状態だ。こうなると体が休めているようなそんな感覚が広がる。ずっと休むことが出来なかったのだ。いまこうして脳が止まり、全くなんの動きもない状態で動かすことで、文字を追いかける。ただその動作を繰り返しているだけなのだが、その状態が心地よいと思える。この状態がずっと続けばいい。こうしてただ何も考えることなくただ流れ着いては流れ出て行く状態がいつまでも続けばいい。これが本来の姿だとも思える。何も頑張ることはない。少し頑張りすぎた。これまでも、いままでも。もう少し肩の力を抜けばいい。体全体をマッサージして緩めてあげればいい。緊張しすぎている。常に何かを警戒しているのだ。警戒することはない。もう誰も襲いかかっては来ないだろう。気を張っていなくてはいけない状態はもう過ぎ去ったのだろう。ほおっておけばいい。もうどうだっていいことだ。私だけのことでいい。ただそのことに集中すればいい。誰も文句は言えないのだ。誰のことも文句が言えないことを知っている。そんなことを言える立場ではないのだ。誰しもが。そのことを忠実に守っているのだ。ただそれだけだ。そうやって約束を守る。神様との約束。生まれる時にしてきたのだ。決して人のことを否定してはいけない。否定することなどできないのだ。私はそう考える。どうしてそれなのに平気で否定をすることが出来るのだろうか。口を閉ざさなくてはいけない。その代わりに体を動かすのだ。口から溢れでているそれを手から生み出せばいい。これからもそうやっていけばいい。ただ集中して、休み、緩和させ、緊迫した状態から解放される。しかし緊迫した状態は続く。しかし私自身はリラックししていなくてはいけない。ただ何もない状態で空洞でなくてはいけない。そうやって目の前に向かって表出させる。ただ行動を続ける。

 

 また少し暑いと感じる日が戻ってきたが夏ほどはなく、風も通ってくるから涼しいと感じられる。何か感じることができなくなっているように思える。今起こることを何も感じることができない状態がここにあり、それを否定することもないと思いながら少し混乱しているのかもしれない。どうしたって何か現実と切り離された世界にいる気がして、それでも構わないと思いながら、人との関わりは希薄になって行くような気がしてならない。それでも少ない人と関われればそれで十分だとも思う。いまなんの結論も導きだそうともせずただ書き連ねようとしている。結論なんて必要ない。ただ行動だけがあればいい。何もかも決めつける必要ない。決めつけることなどできない。毎回違う。明日になればまたちがうからだ。だから今の結論は全く今の結論でしかなく、今は正解なだけでいずれそれも変わって行くのだからそれでいい。言い張ることができない。だから今はこうですとしか言えない。断定など出来るわけがないのだ。変わり続けるからだ。何もかもが曖昧なのだ。私は決めることができない。決めかねている。何もかもを決めかねているのだ。結論を導きださない。その状態の中をさまよっている。ただ浮遊し着地もせずただフラフラと街の中を足もつけずに徘徊を続けるのだ。そうやって街を眺めて、人を眺める。それが今私の出来ることなのだ。

 

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風が通ると涼しい。

一旦ひと段落。