溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170917

除菌

 「あなたたちが触れたものはそれだけでとても汚れてしまいます。触ったことをわかるようにしてください。あとで私は除菌をします。菌を殺さなくてはなりません。そうではなくては次に来る人があなたたちが触れたものを触れることが出来ないのです。触ることは許可します。しかし、触ったものを全て私に把握できるようにしておくのです。そうでなくては菌は広がり後戻りは出来なくなります。それが私の役割です。私はあなたたちが触れたものを除菌するためにここにいるのです。それが私です。触れることは構いません。しかし触れたことがわかるようにしてください。それらは全て除菌します。そうでなくてはあなたたちの菌が広がってしまうからです。」

 なんとも不愉快な気持ちになって私は店を後にした。言われた言葉に鬱々とし始める。私がまるで汚いと言われたようで、私がまるでこの世では存在してはいけないように感じました。これは過大広告なんだよ。たいていのことはそうさ。今流行っているとか、今ここが盛り上がっているとかそういうことにいちいち反応していては仕方ないのさ。流行りに乗り遅れるなとか、今がチャンスとかまるでどこか違う世界の言葉のようでなりません。そこに波もなければチャンスもありません。私は政治にも経済にも左右されません。そういう空間を持つことです。何もかもに左右されて一体どうするのでしょうか。その流行はまたいずれ訪れます。それは操作ですから、ただ動かされているだけと知った方がいいでしょう。そんなことよりも私は除菌の対象になりました。触れたら汚いと言われました。私は興奮しました。すごいことが起こったと興奮しました。これが私の興奮でした。これは私が過大に受け取った言葉の大きさをそのまま示したものであり実際のところはわかりませんが、これは私にとっては事実なのです。歪んでいません。歪んでいます。これは揺れているのです。受け取り手の問題であり、発信者の問題でもあるのかもしれません。ですからそういうことを擦り合わせていくのです。一方的というのはよくありません。交わらないといけない。まったくなにをやっているのか。それでも雨は降るんだからさ。風は冷たい。体は冷え始めている。だから私は布団にくるまってる。ただそれだけのことなんだ。何も警戒する必要はない。警戒したところで出来事は起こり続ける。私は出来事とともに歩むしかないんだよ。出来事は待っている。私はただ出来事を通過する。その連続のことなんじゃないかな。それが過大広告だろうが、過小評価だろうがなんだっていいんだ。ただその出来事があっただけで誰も責めることはできない。そこでああだこうだが戦争だ。ああだこうだ戦争。話のできない大人たちが引き起こす格好の悪い喧嘩がああだこうだ戦争なんだ。しっかり目を見えて話さなくてはいけない。気持ちを伝えるんだ。今の言い方は嫌でした。不快でした。今怒っています。今悲しいです。とても嬉しいです。ありがとう。イマジン。想像しなさい。欠乏してはいけない。だから創造を繰り返せ。止めるな。永遠に行なえ。雨は降っている。風は吹いている。どちらもやまない。どちらもある。そこにある。それがあるだけ。すってんころりん。転げ落ちたらバナナの皮だ。すってんころりん。すってんころりん。

 

眼鏡

 鎌倉にある眼鏡屋さんを数軒回り気に入った眼鏡屋さんで眼鏡を購入。まず店員さんと話しているのが楽しかったこと。それに眼鏡もこだわりのものを置いていて、なるほどど感心しながら眼鏡をかけていた。G4 Old & Newという福井県鯖江市で作られている眼鏡を選んだ。あまり有名なブランドではないらしいが眼鏡のものづくりで有名な街で生き残ってきた実力派ブランドらしい。なによりも形やデザインも気に入ったのもあったが、親身になってメガネ選びに付き合ってくれた店員さんが良かった。初めて知ったのだが僕は目が乱視らしい。目が乱視らしいというこのリズムがなんとも言えないのだが、どうやら目が乱視らしいのだ。それでもそこまで強い乱視ではないようで、少し二重に見えたり焦点が合わないなと感じることがあるのはそういうことかと理解した。コンタクトも一緒に購入。これまでツーウィークのコンタクトだったがこれから眼鏡中心にしたいのでワンデーに切り替える。眼鏡の初お披露目は10月7日の展示会場で行われるアットホームラブにて。ライブよりも眼鏡の初披露に興奮している私。眼鏡の接客をしてくれたお姉さんも展示に来てくれることになった。嬉しい。完成は来週の20日になる予定で手元に届くのが楽しみ。「この眼鏡選ぶってことは眼鏡好きなんですよ」とお姉さんに言われたのだがきっとそうなのだと思う。もともと家は眼鏡家系だ。そのことが少し恥ずかしい気持ちだったのだ。僕はそういうことを気にしてしまう。だからたまたま硬式の野球を始めるからとコンタクトに変えたのは良かったのかもしれない。そんな思いのままここまで来ていてどうも眼鏡は恥ずかしいものという感覚が消えなかったのだ。今回新しい良い眼鏡に出会えたこと、これからかけたいと思えた眼鏡が手元に届くのはとても喜ばしいことである。元来、アメリカでは眼鏡は先祖代々受け継がれて来たものらしい。父の形見として子供が眼鏡を使ったりそういう考え方をされるものだった。そんな風に大切に扱えたら嬉しい。僕は物を長く使うのでひとつひとつ気に入ったものに出会えることは何よりも嬉しいことなのだ。

 

インスタレーション

 展示の準備を着々と進めているのだが、これは展示だけではなく街ぐるみで行うインスタレーションであるように思った。僕の芸術は芸術にしかなりえないし、鎌倉の自然は自然にしかなりえない。どちらも代わりにはなれないし、独立して存在しているのだ。鎌倉という街、鎌倉にある自然、鎌倉の人々、鎌倉にある芸術。それらはすべて横一線で上も下もない。全てが対等で全てを楽しむ価値のあるものだ。鎌倉の街並みや自然を楽しんでもらいながら美味しいドーナツを食べて僕の作品に浸ってもらうこと。そしてなにより鎌倉の人に触れてもらうことなのだと思った。僕とみーさんが鎌倉で家を探すため朝早くから街を歩いていると、掃除をしている人や犬の散歩をしている人が見ず知らずの僕たちに声をかけてくれて、空き家があるかどうかなんかも教えてくれたりするのだ。こういう挨拶のある街で住めることは何よりも幸せだなとその時思ったのだ。近所づきあいを深めることなどはきっと苦手なのだと思うが、おはようございますと目を合わせて言い合えるそういう関係が人の心を救ってくれるのだとも思ったのだ。と、そんな風に、街、自然、人、そして僕の芸術作品が一体となった展示になるのだと思った。

 

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今日は雨。

だいぶ涼しくなって来て冷えが気になるところ。

冷えすぎないように労ろう。