溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170918

認知

 少し気持ちを落ち着けてみようと思います。私はあの時、あの頃の、あの状態で果たして何を感じていたのでしょうか。それは後から私が認知を歪めているのだろうか。私は今この瞬間も認知書き換え続ける。一向に固定されることはない。ただ今は穏やかでいたいと思っているのです。ここは静かですか。私がここにいるということは穏やかなことでしょうか。私は悔しいと思いました。年月には追いつけないのです。だから今を積み重ね、その瞬間を出し続けてゆくことでしか、それを見せつけることしかできない。見せつけるとは少し強引な言い方のように思えてしまうのですが、そういう主体的な考えでもあるということです。どうしても捨てさることはできない。私は結局拾い集めるのだ。どれだけ捨て去ろうと努力したところで私はまた拾い集めることに注力し始めるのだ。しかし不要なものはとことん捨て始めるのだから仕方ない。それは仕方なのないことだ。差別でも区別でもない。ただ明らかに人と人とは違う存在であり、役割も何もかもがまったく違うのだからしかたないのだ。それでいいとするなら私は幾分気持ちが楽になります。

 覚悟はありますか。聞くなら覚悟をして聞いて欲しいのです。聞く意志がないのなら私は会話がなくても構わないのです。一人でも構いません。会話を求めているわけではないからです。ただその意志のない質問に私は答えるべきなのでしょうか。私は困惑しています。あまりに音が飛び散っていて、何のまとまりもないその状況に困惑しているのかもしれません。それであれば私は一人でいればいいのだとも思いました。困惑しているのだからそれは一人でいたらいいと思いました。孤独ではありません。これは私の意志であるのだとも思いました。

 

授業

 美味しい馬肉屋さんで馬肉を食べる。馬刺し、メンチカツ、ソーセージ、焼売、すき焼き。馬肉を様々な形で食べる。美味しい。みーさん特製パスタ。みーさんのパスタのクオリティがただ事ではない。ただのたらこパスタではない。そこにレモンの風味が加わる。アルデンテ。最高のアルデンテ状態にこだわるみーさん。初めてのアルデンテ。アルデンテをアルデンテと認識した初めての夜。ほんの少し歯ごたえの残るアルデンテを口にしてドキドキした夜。僕はアルデンテに恋をした。アルデンテをめぐる確執、争い。そこに現れたたらことレモン。バターもいるよ。シンプルでかつ深みのあるアルデンテたちの行方は。初めてのアルデンテ。今秋公開。美味いもの食べて幸せ。その後、ハーゲンダッツを食べながらmii美映画の授業。今回はストレイトストーリー。慌ただしかった1日の中で自分の中に流れる時間を確認出来るような映画だった。8キロの速度のトラクターで500キロの旅。足腰の悪いおじいさん。その流れに、時折見せるハッとする一言に僕は歳をとることへの思いを馳せる。ゆっくりでも進み続ける。その過程の中で見せる知識と経験から生まれる、時代を知る人同士でしか語ることのできない本心を僕は垣間見たのである。本心が話せる人と出会えた時、それは運がいいとも思えるし、運命だとも思える。運は命と繋がっているのだ。命と繋がろうと思えば運がやってくるのだ。運が歩いてくるのではなく、僕自身が運に歩み寄っているのだ。それが運命なのである。きっとまた慌ただしい日常に戻ってしまえばそんな運命なんてどこか遠くへ行ってしまったようなそんな気分になるのかもしれないが、命に近づくこうとすることを僕たちは忘れてはいけないのだろう。命から離れてはいけないのだ。意識散漫になるのは命ではない時だ。私の命に集中しなさい。恐れることはないのです。私たちはずっとここにいるのです。それはとても静かであるように思えるかもしれませんが、私たちはずっと命なのです。手繰り寄せない。あなたが歩み寄りなさい。自らを感動させなさい。主体的になりなさい。あなた自身になりなさい。自分を捨てなさい。自我を忘れなさい。手放しなさい。私自身になりなさい。元に戻りなさい。聞いてみなさい。子供の私に聞きなさい。望みを聞きなさい。そのことを知っているのはいつの日も子供達なのです。願っているのは子供達です。私たちは子供の声に耳を傾けなくてはいけない。手を握らなくてはいけない。語りかけなくてはいけない。笑い合わなくてはいけない。共に泣き、共に怒らなくてはいけない。何もかもを共にしなくてはいけない。そのことを覚悟しなさい。それが覚悟なのです。あなた自身のことを言っています。誰のせいでもありません。あなたの覚悟なのです。ここに立ち返りなさい。ここに戻ってこれればいいのです。だから自由に感じなさい。なにを言ったっていいのです。誤解を恐れずにいなさい。あなたの言葉を信じなさい。ただあなたでいることです。それが私の喜びなのです。静かな音楽が、時間になることを知りなさい。拡張させなさい。伸縮する空間を自ら作り出しなさい。創造しなさい。想像力を創造に当てなさい。それが命だ。歩み寄ることであるのです。お帰りなさい。ありがとう。ごめんなさい。美味しくて幸せです。美味しいご飯を一緒に食べることは幸せです。それは家族です。個人を見直すのならまず家族を見直しなさい。家族とともに過ごしなさい。一人ではないことを知りなさい。私たちには意志がありそのつながりがあり、それは目に見えない関係性を生み、私たちはその中で惹かれ合いながら存在しています。私はそのことをただ書いているのだと思いました。今はただ流れ込んでくる。音楽がただ独立して、声と混ざり合うこともなく、ただ存在し続けています。空気に触れています。私が触れています。距離感を大切にします。コーヒを飲みます。私がコーヒーを飲みます。人の出入りを感じます。私はいま止まることのない湧き水となりただ人と繋がり興奮を感じ、全てのもへと交信を続けているのだと思うのです。これは声なのです。大地の下に眠る声であり、私たちの声であり、私の中を通過して行く風であり、水であるのです。すなわち私は湖でありただ浮くことのない水の中で漂っているのです。水の中ではじたばたしているのですが、表情は変わりません。そこに意味はありません。ただ存在していると言っているのですが、私は海、川流れて飛んで、舞い上がった花火は蝉の声。

 

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暑い日が戻ってきた。

台風は行ってしまったのかな。