溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170919

終わり

 「どうしたの?もう終わったところ?」

 「そう。今終わったところ。終わったものを並べているところ。特に何かってわけでもないんだけど並べたら終わり。並べるところまでが今回頼まれていたことだからそこまではやった。これ以上のことは特にするつもりはない。これ以上も、これ以下もない。今はこれでいいってこと。何も特別なことはしないんだ。特別なんてない。毎日が僕にとっては日常。非日常なんて反対にあるだけでそれは日常で、それは普段も僕にはある感覚なんだと思っている。だからさ、僕は今もこうして並べる。僕は拾ってきたものを部屋に並べるんだ。並べることで確認している。存在みたいなものさ。消えかかっていた生命についてだと思う。それが明日もそうやって続いてく。これが日常の流れ。明日に沿っている。僕は確かに沿っていたようなんだ。川沿いを歩いていた。とは言ってもそこに川は流れていない。昨日は大雨だった。そのせいでその溝には新しい川ができて、何もかもがそこに流れ着いていた。だから僕はその川から流れ着いたものを拾い集めて部屋に並べたってわけ。貝殻や洋服、飲みかけのペットボトル。汚くなんてない。同じものだからさ。僕もそれらとなんら変わり無い。比較することはできないんだよ。できることはただ見ることだけだ。ただ見ている。それは確認に近い。確認しているのは目だけで僕は実際にそれらを見ていない。見ようとすらしていない。ただ拾うように促されたからそうした。命令でも無い。これは雨みたいなものでちゃんと循環の中にあるもの。降るべくして降るし、僕も拾うべくして拾った。そうやって僕はただ白い絵の具を手に塗りつけたってわけ。何に塗るあてもなくただ手に白い絵の具だけを塗りつけた。そうすると僕は白色になる。皮膚から色が溶け出して、水色にもなるしピンク色にもなる。僕は白色に染まりながら、白であったことを思い出していたんだ。それでも僕からは色が複数混ざり合った状態の色がまるで茶色みたいないつか黒になりそうなそんな色を身にまとってきっとそれは様々な色が混ざり合って、だからうんちは茶色いのかもしれないとそう考えてしまうことだってある。混ざり合った先のことを言っているんだ。いたって自然の現象だったってことだよ。何も変えようともしないし、変更する気もない。これからきっと司令官から通知が来るだろう。僕はその通知どうりに任務を遂行すると思うしそれは僕の意図通りの通知になるってことなんだよね。だから司令官からの指令は僕の意図であるし、僕はその指令をずっと待っているってことなんだよね。」

 「終わったところ。私も終わったところ。そしてまた終わったところ。また終わってしまったの。きっと続くと思っていたのに、また終わってしまった。こればかりは続くんだと思っていたわ。だから私は絵の具を持っていたし、筆はカラスの羽を代用することにしたの。インクの切れたペンを使って私は絵を描いていたわ。インクは黒かった。それだから私は黒の絵の具と混ぜたわ。黒と黒を混ぜ合わせるの。それはグレーよ。黒と黒はグレーなの。私はその光景を見たわ。まったく同感できなかった。それなのに私はグレーだった。私自身がそうだったの。これは私のみた色彩のことなのかもしれない。だから私は終わらせてやったわ。何もかも。今後一切何かを始めることなんてないと思うの。あとは終わり続けるだけよ。終わり続けることが私をこれからも待ち構えているのだ。終わり続けるために私はここにいるわ。私は終わり続けるためにやってきたの。何の変哲も無いこの終わりに向かって私は立ち尽くすの。ただ夕日を眺めるの。今日も終わってしまった。」

 

変更

 イメージしたものがそのまま動きとして現れるわけではありません。何かを経由してそれは行われる可能性があります。一度で足りなければ何回か行います。変更をします。抵抗なく変更をします。それはその時しか現れることはないからです。私はその時に現れるものに期待しています。その時だけ期待しています。それ以外には特に気にしようとは思いません。ただそっと見つめます。そして動きます。体は動かそうと思っているからです。単にそれは目の保養でもあり、それは心へと語りかけるものでもありました。そっと私に語りかけていました。誰かではなく私自身がなのです。誰かに語りかけてもらうことはありませんでした。例えば語りかけられたとしてもそれは語りかけられたうちには入らなかったのです。それは私には声ではなく音として認識していいのかもわからず、耳の外で鳴っている音でしかありませんでした。それは音として捉えて良いものか私は悩みましたが、それは体内に入っては来れない音だったのです。それも音楽であることは否定できません。ただ私の体には合わなかったと言った方がいいのかもしれません。体質の問題です。生まれつきの性質であり、変わらない性格のようなものです。無理に我慢して変えようとも思いません。私は生まれ持った性格に還っていくのです。それは家のようなものでした。家は大きくも小さくもありません。メーターでも平米でもありません。それでも私の家は移動しながらも建っていると言ってよかったと思います。私は確かにその家を持っていました。鳥の巣です。巣のような家でありそれが空間としても良いと思いました。そう思ったのだから仕方ありませんでした。私その意見を曲げようとも変えようともしませんでした。ただ静かに見守ることにしました。変えようとはしませんでした。変更の通知が来たと言ってもそれは私にとってはなんの変更でもありませんでした。会わないことにしました。もう会えません。ごめんなさい。私にとってのこの行いは一世一代かもしれません。それでもやめません。私は巣を移動させました。安全な場所へと避難させました。公共物としておいておくことにしました。踏みにじられても落ち込んではいけません。見えていません。盲目なのです。たいていのことは盲目なのです。私もその一人です。私は何も見えていません。なんら捉えることができていないのです。形は私が作りました。それがどうってことはないことを知っていました。それでも移動はできるようにしました。身軽でなくてはいけません。私たちは身軽でなくてはならなかったのです。

 

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たくさんのことはしなくていい。

目的だけを遠くへしにゆく。

 

それだけで十分。