溝井孝司のちゃらんぽらんちゃん。

詩的な日記小説です。児童文学みたいな人が書いてます。

20170920

額装

 久しぶりに東京へ。新橋駅を降りて地上に出る。鎌倉から横須賀線に乗ると新橋はものすごい地下にあるので出るのも一苦労である。地上に出ると街の明かりが眩しく感じられた。時刻は18時過ぎだった。もう18時ごろでもすっかり暗いと感じられるが、新橋の地上に出た時それは妙な明るさだったし、すごく遠くへ来たようなそんな気持ちになった。電気の光が混ざり合う。白みがかった空がここにはあり、電車で1時間でこんなに街の風景は変わってしまうものなのかと驚いてしまった。元々は東京に住んでいた。とは言っても江戸川区なので下町と言われるからギラギラはしていなと思っていたが、そんな場所でも夜は明るいと感じられた。新橋の夜はまた僕の生まれ育った街とは違った夜の空を持っていて、僕は一体どこへ向かえばいいのかとそんな気持ちにすらなるのだ。

 目的は額装のため。今度の展示でDMに使った1枚を額装することにした。色々考えてやっぱり月光荘で額装をしてもらうのが今は1番嬉しいし、喜べそうだと思った。額装をしてくれる月光荘エムゾへ。閉店時間ギリギリになってしまったが親身に対応してくれてありがたかった。なによりも額装することを楽しい気持ちにさせてくれる。寄り添ってもらえているといった感じがするのだ。額は取り寄せになり展示当日には間に合わないが途中から額装された絵が展示される流れになる。それもまたよし。額装をしようと決めたのが遅かったし、自分の中で踏ん切りがつかない部分もあった。というよりはふてくされていたのかもしれない。誰も理解してくれないとかおなじみのそういう類のふてくされだ。別にふてくされたいときはふてくされれば良いとも思った。それだけれどその間に迷惑をかけてしまったみーさんには謝りたいと思った。いつも1番に僕のことを気にかけてくれるし、少し捻じ曲がった考え方を私はこう思うと捉え直すきっかけをあたえてくれる。

 「どうせ誰も理解してくれない。いつまでたっても自分のことなんて誰も理解してくれない。だから人と関わりたいとも思えなくなるし、もう人と会いたいとも思えない。」

 「それでもいいんだと思うよ。だから作品で見せたらいいし、それでも言葉で語り続けたらいいんじゃないかな」

 こんな会話が繰り返される。僕の後ろ向きな考え方を少しだけ前向きにさせてくれる発言に僕は救われているのだと思う。何よりも不安なのだと思った。自信がないのだ。またここに戻って来てしまう。自信がないのではない。それが癖になっているのだ。今自信がないわけではないのだ。自信がないと思い込もうとする状態が癖になっているのだ。それでも作品を作り続けて来て自信がないとか、才能がないとか言い始める自分は嘘なのだと思えている。それは誤作動だ。そうやってなにか普通に押し込めようと存在しているだけなのかもしれない。きっとたくさん傷ついて来たし、人に合わせて来たのだ。そうやってきたからあまり人前で目立ったことはしないほうがいいと、そんなことする自信はないと、結果なんて出ないと、そんなことでは生きていけないと言い聞かせうるのだろう。それを否定してはいけないのだと思う。それが私の中で存在する関係性であり、社会性なのだとも思う。どうやって対話していくかなのだ。私はそのために作っている。私が作っているその最中ただの傍観者となる。ただじっと眺めている。何か喋る。喋る言葉を聞きながら聞いていない。そういう状態が続く。本当はもっとこんな展示がしたいとかもっともっとたくさんの絵を額装したいと思っている。それをしたいと思えるのは私自身の力があるからではなくそれを実現するために力になってくれる人たちがいるからなのである。そういう人たちが身近にいると感じられるからきっと私はまた何かをしようと考えるのだと思う。私自身はなにも持ち合わせていないのだ。ただ私の周りの人たちの才能に支えられているのだとも思った。

 

 何も頑張る必要はないのかもしれない。ただ作り続けることしかできないとそう感じ始めている。自分のこの不安定な、その状態に一番届くのは自分で作った歌であった。誰に聞かせるでなくてもただ自分で作った歌を自分で聞くということが何よりも自分自身を癒しているのだと自覚した。イライラした何もかもを、うごめいている感情のような、体の反応を、忘れさせてくれるのは自分で作った音楽だった。これは対処療法なのかもしれない。イヤホンを外せばまた現実が待っている。ものすごいスピードで歩く人たちの群れの中で私は一人立ち尽くすのかもしれない。その速度について行くことが出来ず、ただ外から眺めることを選ぶのかもしれない。それでも今は全員がそうではなくひとりひとりを見ようと心がけていることは確かだった。くくってはいけない。自ら関わらなくてはいけない。そうでなくては何も語ることなどできないのだ。余計なことを口にしてはいけない。それなのにどうして私はまた批判を口にしようとするのだろうか。そういう私を私は自己嫌悪する。消えてしまいたいとすら考える。それなのに音楽は許可する。私であることを許可していた。それは私のためだけの音楽だ。私のためのアルバムを作ろうと考えた。販売することもない。ただ自分のためだけの音楽である。アルバムを作るのだ。それが何よりも私の心を軽くした。それで良いのだと思った。それが思ったことであり、素直なことなのかもしれない。しかしひねくれた考えを私は持ち続ける。自分が批判されないように、責められないように、自分が傷つかないようにそんなことばかりを考えて、御託を並べるのである。そんな人間と誰が付き合いたいと思うのだろうか。そんなことばかりを言ってしまうのだから、一人になり向き合うしかないのだと考えている。今はもうそのことを書いているかもしれない。何か思い込むよりは動くより他ない。その時に私は立ち止まることが出来た。今私はこの瞬間立ち止まったのだ。とめどなく押し寄せる、思考を立ち止まらせることが出来た。これは何の意味もないことだが、整理はしている。整理した言葉を書いている。整理しなくてはいけない。ただそっとそこに存在していなくてはいけない。そして何者でもない状態である。それが何もない状態である。

 

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本日New眼鏡取りに行きます。

あとは展示の買い出し。

 

展示最後だと思ってやりますよ。