創作と探検の日記。

文、絵、歌、布など自給しています。

20170923

散歩

 江ノ電に乗って七里ヶ浜へ向かう。その前に食べた行きつけの太陽堂の塩ラーメンが体に染み渡り元気が出た。元気の出るラーメン。病院行く前にラーメン屋へ。これが合言葉になりそうです。お店を出た瞬間に雨が降ってくる。本当に一瞬だけ。喜びの雨。体も空も喜んでいた。七里ヶ浜の駅を降りて坂を登り15分ほど歩いたところにギター屋さんがある。2016年にできたばかりのお店でのようで数少ない鎌倉の楽器屋さんだ。店内ではコーヒーやデザートなども食べれるスペースがあり、物腰の柔らかいご夫婦と生まれたての赤ちゃん3人でお店を切り盛りしていた。ちょうど北海道から来ていた女性とも少しお話をしたりして、いるだけで気持ちが明るくなれるそんな場所だった。みーさんはもらったギターを少し調整してもらったり、張り替えるための弦を購入していた。僕はギター用のオイルがちょうど品切れでお望みのものを購入することは出来なかったが、とてもゆったりとした楽しい時間が過ごせて大満足だった。その後はせっかくだから歩いてい帰ろうということになり七里ヶ浜から鎌倉まで歩いて帰ることにする。七里ヶ浜稲村ヶ崎は海のイメージが強かったのだがここも少し歩けば山が連なる。久しぶりに自然の香りを感じたような気がした。雨も降っていたこともありより強く香りを感じさせた。極楽寺あたりまで来てみーさんが安室奈美恵の歌を歌い始める。

 「安室奈美恵引退するらしいよ」

 と、最近仕入れた情報をみーさんに伝えるとどうやら知らなかったようで驚きの表情を見せる。アクターズスクールファンとしては衝撃的事実だったようだ。極楽寺近くの切り通しを登っていると巨大ナメクジに出会う。親指くらいありそうなナメクジ。傘でちょっとだけツンツンさせてもらう。どうしてナメクジはツンツンしたくなるのだろうか。嫌そうなそぶりもなく、ゆっくりじっくり壁を降りていくナメクジ。名残惜しいが別れることにする。しばらく歩いて長谷方面へ。力餅を購入。以前お土産で頂いたのだがみーさんと二人でペロリと平らげてしまった代物だ。お餅はただ丸いのではなく薄く伸したものを二重にしている。それがよりモチモチした食感を生み出していると推測。あんこがお寿司のように乗っかっていて、あっという間に10個入りは完食。これは家に帰ってからの話し。由比ヶ浜通りに出て歩いていると、手紙舎の新しいお店を発見する。昔からあった古本屋さんを改装して作ったらしい。家に帰り、力餅を食べてから市役所へ。国保の支払いの確認をする。紀伊国屋でほうじ茶を購入し再び帰宅。昼寝をして新しい歌を作る。夜は昨夜の続きで再び水炊き。その後は雑炊にして。醤油を入れすぎてしょっぱくなってしまったので、お湯を足してしょっぱさを和らげる。お風呂に入って本を読む。布団の上に横になりほうじ茶を飲みながらのんびりと過ごす。朝、ここに書く以外はパソコンを開かず、ネットも使わなかったので気持ち良く過ごせた。体は休息をしたかったのだと思う。パソコンを使うのは午前中までで午後は使わないような生活に切り替えようかと検討中。

 

音楽

 いま思い出せる一番古い記憶は音楽である。家の中で流れていたエレクトーンの音だ。その曲を今でも覚えている。多分幼稚園とかそれよりも前の記憶なのだと思っている。逆にそのころのおもちゃのこととか何をして遊んでいたかとかそういうことは未だに思い出せていない。音としての記憶は忘れることがないのかもしれないと考え始める。音楽は夢に近いのかもしれない。夢のようなもの。記憶でもない。ずっと覚えている。忘れることがない音楽。1度聞いたらずっとそのことを記憶しているのだとも思った。音楽療法なのかもしれない。自分で作って自分で歌うことと、人の曲を歌うことは明らかに何かが違うようだ。何よりも自分で作った曲を自分で聞くことに歌うことに意味があるように思うのだ。これは精神的な部分のことを言っていて、今はその研究をしているのかもしれない。健康な精神状態を保つために音楽は必要なようだ。絵を描くことも、文章を書くことも全てがそうなのかもしれない。結局は自分自身が健康な精神状態を保つためのお薬みたいなものかもしれない。自ら薬を処方しているのかもしれない。自分で作り出しているのかもしれない。僕の場合は精神的な浮き沈みが消えることがなくそれが躁鬱なんて言われるのだが、それを薬を使って消すのではなく、作りながら整えていくほうが合っているのだと思えている。その方法を模索して行くのがよいのかもしれない。現代社会では病気とみなされるがそれをどう活かすかが重要なのだとも思えている。このことを考えている。時折自分がそういう症状のある人間であることを忘れてしまう時がある。安定したいと望んでいる自分がいる。それは社会的な地位の話ではなく精神面においての安定である。もう落ち込むことはないだろうとか前向きな気持ちになった矢先に突然落ち込み始めてしまうのだから未だに解決策がよくわかっていない。それでも解決しようともしていない。そのまま考えればいいのだとも思っている。調子がいいときは外に出て、そうでないときはとことん内側にエネルギーを向ければいい。そうやって生活をすること。それが僕にとっての生活なのかもしれない。ただ向かっている先が違うだけなのだ。その中でも毎日続けられることをただ続ければいい。それ以外ができないときは横になって眠っていればいいのかもしれない。休みたいときにはとことん休むことだ。休息を自らが与えてあげること。そこには音楽があること。

 

展示

 いよいよ明後日から展示が始まる。明日は展示の準備。みーさんが英語で書かれたポスターを作ってくれている。準備に抜かりがない。思えば絵をしっかりと展示するのは初めてのことになる。自分にとっての何かの区切りなのだろうか。展示をする意味などは特にわからない。ただそういう時期が来たからやろうとそんな感じなんかもしれない。それでも、描いて来た絵には自信を持っているというか自分が自分の絵を好きであることは間違いないし、もっと描けるなと思えているということである。描くという言葉が正しいのかはわからないが、もっとやれると思っている。なのでここまでを一区切りするという意味なのかもしれない。絵を使って言葉を生み出している。言語化している。それは内面のことでもある。とにかく描き続けるしかない状況だったから描き続けている。それでも絵を見て楽しんで貰えたら嬉しい。そこで対話が生まれるはずだからである。その人自身との。

 

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少しだけ太陽が出てきた。

風はひんやりとしている。